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ゼカリヤ書

2023-02-13 | 旧約聖書

ゼカリヤ書

この書は捕囚の民がバビロンからエルサレムに帰って来たあとの話です。エズラ記によると、ゼカリヤとハガイは共に民に対して神殿の再建に取り組み、神の約束の成就を待望するよう励ましました。それよりずっと前に預言者エレミヤは イスラエルの捕囚は70年続くがその後 新しい神殿に再び神が臨在し、やがて神の王国とメシアの支配がすべての国に及ぶと言いました。ゼカリヤ書の冒頭にある日付を見ると、その70年が間もなく終わろうとしていました。しかし帰還した民の生活は苦しく、それらの約束はどれ一つ実現しそうには思えませんでした。ゼカリヤ書はその理由を記しています。

この書の構成は明快で、まず導入部があり、次にゼカリヤの見た幻を綴った大きなセクションがあり、7章と8章でそれが締めくくられています。続いてもう二つ詩と預言の大きなセクションがあります。では詳しく見ていきましょう。 

 

1:1-6 導入

導入でゼカリヤは、預言者たちを無視して神に逆らい捕囚にされた先祖たちのようであってはならず 神に立ち返るべきだと同世代の者たちに語っています。帰還した民はそれに答え、悔い改めて神の前にへりくだりました。あるいはそうしたように見えました。

 

1:7-6 ゼカリヤが見た幻

次の大きなセクションは ゼカリヤが夢に見た8つの幻を集めたものです。多くの夢がそうであるように、これらは奇妙なイメージにあふれています。神が象徴的な夢を通して人に何かを伝えることは昔からあり、たとえば創世記のヤコブやヨセフやファラオなどがその例です。それらの夢は、その時に起こっている出来事の意味を明かしたと同時に、未来を垣間見せるものでもありました。

 

ゼカリヤが見た夢はシンメトリーの構造になっています。最初の幻と最後の幻は馬に乗った 4人の男たちで、神のために世界をパトロールして回っています。これは、神がご自身の世界を注意深く見守っていることを表しています。彼らは世界は平和だったと報告しました。これはゼカリヤの時代に、神がペルシャを興し、バビロンを征服させて平和をもたらした事を指しています。

ここで疑問が浮かび上がります。イスラエルが捕囚にされる70年間は終わろうとしている今こそ、メシアの王国がエルサレムに建てられるのだろうか。神は約束を必ず成就すると答えますが、それがいつなのかについては答えませんでした。

 

2番目と7番目の幻も対になっていて、二つともイスラエルを捕囚へと導いた過去の罪について語っています。2番めの幻はイスラエルを攻撃し、民を散り散りにしたアッシリアとバビロンを象徴する角を描いています。そのあとこの角つまり2つの帝国を散らす職人たちが登場します。これはペルシャを表しています。

7つめの幻ではかごに入った女性が登場します。彼女はイスラエルが何世紀にもわたって契約に違反し続けたことの象徴です。この女性はコウノトリの翼を持った別の女性たちによって、バビロンに運ばれました。何とも奇妙な幻です。

 

3番目と6番目の幻も対になっていて、2つとも新しいエルサレムの建設についてです。男性が街を測っていてこれはエルサレムが再建され、諸国への光となり、すべての国が神の民と共に礼拝するという約束を象徴しています。6番めの幻では新しいエルサレムの周りを飛ぶ巻物が泥棒や嘘つきを罰しています。これは新しいエルサレムは神のみことばによってきよめられることを示しています。

 

4番目と5番目の幻はこのセクションの中心にあり、帰還民の中の鍵となる2人の指導者たち大祭司ヨシュアとダビデの子孫ゼルバベルについてです。ヨシュアはイスラエルの罪を象徴する汚れた服を着ていますが、それははぎとられ新しい服と新しいターバンが与えられます。これは神の恵みと赦しを表すものです。そして御使いがもしヨシュアが神に誠実であり続けるなら、彼は民を導き、未来のメシアなる王を象徴する 者になるだろうと告げます。

もう一方の幻では神の民に注がれる神の視線を象徴する金の燭台に油を注ぐ2本のオリーブの木があります。2本の木は神の油注がれた指導者で、神殿再建に尽力していたヨシュアとゼルバベルのことです。神は神殿再建は政治的な駆け引きだけではうまくいかないと言います。この2人の指導者は神の霊により頼まなければならないのです。

もう一つの幻

幻を集めたセクションは真ん中に位置する4番目と5番めの幻のテーマを取り上げるもう一つの幻をもって終わります。大祭司ヨシュアが再び現れ、冠を与えられ、未来のメシアなる王また神の国の大祭司の象徴として示されるのです。そしてゼカリヤは今の世代が神に誠実で契約を守るのなら、これらの幻はすべて実現するといってこのセクションを終わります。この3つの幻はメシアの王国の到来はこの世代の神への誠実さにかかっている事を強調しています。

 

7-8 結論

次にこれら幻の結論で ゼカリヤからもう一つのメッセージが語られます。イスラエル人の一団がやってきて、以前の神殿の崩壊を70年近く嘆いていました。彼らはゼカリヤに嘆きの時は終わり、神の王国はもうすぐ来るのでしょうかと尋ねました。

ゼカリヤは彼らに神が預言者を通して呼びかけた言葉を先祖たちが拒絶して捕囚にされる羽目になったことを思い出させ、今の世代の者たちが正義と平和を追い求め、神との契約に忠実であるなら メシアの王国を見るだろうと言います。

つまりゼカリヤは彼らに問い返したのです。あなたたちは来るべき神の王国を受け入れ、それに加わる人になる準備はできているのかと。しかしこの問いには答えが返ってこないまま、話は先に進んでいきます。

 

9-11 メシヤの王国のイメージ その1

最後のセクションは 1章から8章までとはまったく別のスタイルになっています。来るべきメシアの王国に関する詩やイメージの断片が、万華鏡をのぞいたように散りばめられています。9章から11章では謙虚なメシアなる王が、すべての国々の上に神の王国を築くために、ロバに乗って新しいエルサレムに入る様子が描かれています。

しかし突然その王が今度はイスラエルを導く羊飼いにたとえられ、拒絶され、ますまずご自分の民によって、次に、これもまた羊飼いにたとえられている彼らの指導者たちによってです。

そこで神はイスラエルをこの堕落した羊飼いたちに引き渡しました。ここで疑問が浮かび上がります。イスラエルは永遠に自分たちの王を拒むつもりなのでしょうか。

 

12-14 メシヤの王国のイメージ その2

最後のセクションである12章から 14章はそうではないと言っています。ここには来るべきメシアなる王について、別の詩とイメージが並べられていますが、それらは新しいエルサレムを神の正義がついに国々の悪を打ち滅ぼす場所として描いています。

このテーマはヨエルやエゼキエルが語ったテーマと非常に似通っています。しかし神はご自分の民の心の中の反逆にも立ち向かい、彼らにご自分の霊を注ぎ、彼らがメシアなる羊飼いを拒んだことを悔いて嘆くことができるようにしてくださるのです。最後の章はすべての国が新しいエルサレムに集まってくる記述で締めくくられています。そこは新しいエデンの園でもあり、そこの神殿から命の水の川が流れ出て、すべての被造物が癒されるというところでこの書は終わっています。

 

ここで読者は1章から8章と 9章から14章の関連性について考えさせられます。 ポイントは、後半で語られている来るべきメシアの王国は、前半で語られているように神の民が契約に忠実である場合にのみ到来するということなのです。ゼカリヤ書には読者を振り回すような難解さがあります。幻と詩の中には度肝を抜かれるようなイメージがたくさん出てきますし、直線的な思考の流れもありません。実はこれもこの書の重要な点で 歴史の流れや人の人生と同じようにいつも分かりやすいパターンがある とはかぎりません。しかし預言者たちはご自分の目的に沿って歴史を導く神のみわざの片鱗を垣間見せてくれます。混沌とした現実を超えて、来るべき神の王国への希望に目を向けさせてくれるこの書は 私たちに今を誠実に生きようと招いているのです。 これがゼカリヤ書です

 

 

 

 

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