また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。マタイ6:5
偽善者とは人前で演技する者。彼らはすでにその演技に対する報い、賃金、労賃をこの世で受け取っている。天国での報いはない。
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。6:6
祈ろうとするとき、自分の奥の部屋の中に入って行って、自ら父なる神の御前に出て父に祈れと命令されています。ある人は家が狭くてトイレで祈るとか。祈る時は妨げとなるもの、携帯などは手元に置かないで祈ろう。
父なる神に見られている祈りは、すぐにかなわないかも知れないが、報いてくださいますと未来形で書かれて約束されているので、希望が持てる。
また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。マタイ6:7
日本では、お経を何度も唱えたり、商売繁盛、家内安全などと決まり文句で祈っているようだが、それを誰が聞いているのかも知らず、それが聞かれるとは思ってもいない。
だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。マタイ6:8
時に祈祷課題が冊子となって配られる。それぞれ担当者が既に祈った結果、神様が示してくださった課題が書かれたものです。ですから、同じことを繰り返さないで、次のステップとして、私はどう考え、どうするべきかを、考えながら、祈り求めて、聞きます。
そうすれば、ともにいてくださっている神様は応えて語りかけてくださいます。奥まった部屋で神様と個人的な交わりを持つことができます。個人的な祈りの場所は「私の宝の部屋」です。
警告もあります。奥まったひそかな所をご覧になる主は、自分では隠しているつもりの心の奥底の不信仰、二心、疑いを知っておられる。いつまでも隠しおおせるものではなく、やがて明らかになり裁かれることになる。悔い改めて、告白するなら赦され、きよめられる。
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