あるひのあひる

sometimes"♯",sometimes"♭" ,and always"NATURAL”
猫とハーブと酒と音楽

手が伝えるもの

2009-12-06 13:13:16 | 私見・雑感

おそらく社長の方針だと思うけど、社長を訪ねて来た他所の営業マンは、挨拶の時必ず固い握手をする。

傍で見ているとそれは結構素敵なワンシーンで、単純なワタシは毎回密かに感動している。


なにしろあひょ的には、手って奴は意外に多くの情報を伝達してくれる『気持ちの受発信機』みたいなもんだと思っているからだ。

だから、好きになったらまず、相手の手に触れたい、と思う。
自分と、相手の気持ちを確かめるため。触れたその感覚で、不思議なんだけど、その人と合うか合わないか、本質的な所が把握できる気がするのだ。


だから、数年前、ある大ファンの人に偶然会った時も、思い切ってお願いして握手してもらった。
寛いで煙草を吸っている最中だったにも関わらず、気持ち良く応じてくれた上に、わざわざ煙草を消して手を差し出してくれた。温かく、大きく、優しい手だった。
TVで初めてその姿を見たとき、“この人とはいつかきっと直接会うんだろうな”と直感したことが実現した感動も相当だったけど、手に触れたことで、勝手に想像していたその人の“像”が決して外れていなかったことも確信した。きっととても優しく、誠実な人なんだろうな、と感じた。


その後暫く経ってからその人の著書を読んだ時、偶然にも握手について同じような意見が書かれているのを見つけ、“あぁ、やっぱしそうなのかぁ・・・”と再認識。不思議な縁を感じたものだ。
その1節を紹介すると、『僕は、初対面の相手が信用できる人物かどうかを握手で知ることができます。意識して感じようとすれば、その人の本質が読めるのです。・・・(中略)元来、相手の体に触れるという行為は、敵味方を判断するためのものだったのでは・・・・(中略)人は、人に直接触れることで、相手の本心を知り、危険を回避することができるのです』


冷たく冷え切った手を、大きく温かな手で包んでもらう時の安堵感。
そんな、誰かにとっての“優しい手”であり、常に温かな気持ちを伝えることのできる手、でありたいものだなぁ。特に、寒い冬は

コメント
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