師茂樹先生の『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』が岩波新書の一冊として先月20日に発行されましたが、私の畏友である吉田慈敬師の御子息吉田慈順師と一緒に、仏教学の共同研究のリーダーとして活躍されているのが師先生でもあり、学術的な仏教としては珍しくベストセラーとして話題になっていることもあり、何度も読み返しています。
ともすれば私たちは、最澄・徳一の論争を、師先生が述べていられるように「一三権実論争」というように単純化してしまっているように思えます。
「はじめに」において、師先生は「特に、論争の最中に最澄が提示した論争氏の叙述は。まさに『三一権実』論争という枠組みを生み出したものであり、近現代の仏教学者が仏教
史を把握する際のパースペクティブを規定してしまうほどの影響力を持った。『三一権実』論争とは、まさに最澄が提示した仏教史観によって規定された最澄・徳一論争の見方なのである」と書くとともに、その見取り図を突破して、新たな見取り図を示そうとする野心的な試みなのです。このため、師先生は「それが最澄に対する批判だとするならば、本書は―不遜な物言いに聞こえるかもしれないがー最澄・徳一論争の続きをしようとしている、いえるかもしれない」と公言して憚らないのです。
師先生によると、最澄・徳一論争以前に、奈良仏教界では三論宗と法相宗との対立があり、和気広世・真綱の兄弟は、その解消を最澄に託しました。それに最澄も協力したことで、徳一の接点が生まれのです。三論宗はナーガルジュナの『中論』、法相宗はヴァズバンドの『成唯識論』などを宗旨としています。諭師が注釈、解説した論書であり、ブツダの説いた『法華経』の経書との違いを強調し、天台宗の優位性を主張したのでした。
最澄・徳一の論争事態のきっかけは、徳一が『仏性抄』を世に問うたからですが、今では道忠教団に対しての書であったといわれますが、「『法華経』の一乗は仮り(権)の教えである」と書かれていたことに、最澄が猛反発したのでした。
師先生は徳一の立場に寄り添うかのような書き方をしています。空海にあてて書いた『真言宗未決文』がそうであったように、「ただ疑問を決し、知恵と理解とを増やし、ひたすら信じることとに帰し、もっぱらその教えを学ぶことを欲しているだけである」との個人的な動機や覚悟がうかがえるのに対し、最澄は自分への批判でないにもかかわらず、徳一の行為を「謗法」と受け取ったというのです。
そうした師先生の見方はユニークでありますが、最澄が触発されたことで、「仏教史上最大の対決」となり、二人はそれだけに5年を費やしたのですから、誤解であろうとも、堰を切ったように、語るべき言葉が最澄からあふれ出たのは確かです。
また、師先生は徳一が「当時『外道』扱いされていた天台宗の四教説(蔵教・通教・別教・円教)に対して、因明を使って批判した、最澄は、その指摘に対して、やはり(やや曲解しながらも)因明を用いて反論した」と解説していますが、言葉の限界を感じつつ、言葉に頼らざるを得ないというのが、宗教と哲学の違いでありますから、その点は二人とも身に染みて分かっていたと思います。学としては徳一が優っていても、それを突き抜ける日本仏教という信仰を示した功績は最澄の側にあります。仏教の先進地であった中国において、仏教は力を持たず、儒教や道教の教えが根付くことになったのは、最澄のような仏教徒が日本のようにいなかったからだと思います。
師先生の本がでたおかげで、会津の徳一のことが多くの人に知られることになったのではないでしょうか。そのきっかけとなった一書であり、私としては師先生の活躍を今後とも期待しています。
合掌
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