会津はもう雪の季節は迎えましたが、齊藤圓眞師様にはいかがお過ごしでしょうか。12月に入ってゆっくり本を読む時間ができましたので、御恵存いただいた『台泉衲談抄1講和編』をありがたく御拝読しました。
「まえがき」で多田孝文前大正大学学長も述べておられますが、圓眞師様は昭和41年に中央大学大学院法学研究科修士課程を修了されると、昭和47年にアイルランド交換留学生として世界に雄飛され、その前後約半年間かけて世界の36ヵ国を歴訪され、多くの経験と知識を取得されました。
さらに、大正大学仏教学部に編入をして大学院に御進みになられ、慈覚大師円仁の研究家として、塩入良道先生のもとで御研鑽を積まれ、平成18年には『渡天台僧の史的研究』で博士号を授与されました。それ以後は大正大学教授として数々の業績を残されましたが、私のような会津の一僧侶にまで、貴重な著書を御恵存いただいたことは、感激ひとしおでございます。
私は大学を中退して関西の商社に勤務しましたが、人生の虚しさを感じて、仏門の道に入ったのは30歳を過ぎておりました。若い人と一緒に叡山学院で勉強をしましたが、それだけでは飽き足りず、天台大師様が開かれた天台山や文殊菩薩の聖地である五臺山には10回以上も足を運ぶとともに、中国全土を隈なく見て回りました。100回以上は訪中しています。私の妻も南京で知り合った女性で、今では日本に帰化しましたが、日本仏教の源泉である中国仏教を肌で感じたかったのでした。
また、御著書では伝教大師様や慈覚大師様が日中文化交流史上に足跡を残されたということについても、詳しく書かれているばかりか、中国の五代や北宋の時代に大陸に渡った天台僧に関しても、資料にもとづいて取り上げておられます。
とくに、圓眞師様が詳しく論じておられるのが『参天台五臺山記』の作者である成尋です。成尋は北宋の時代に渡海した一人で、法華経、密教、浄土信仰を併せ持った僧侶といわれます。圓眞師様は「成尋の眼を通して当時の日宋の仏教事情がよく透けて見えるほか、記述の内容が豊富で、読んでいて面白くワクワクしてきます」と書いていられますが、ぜひ私も一読したいと思っております。今後とも薫陶ご指導のほどよろしくお願いいたします。
合掌
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