先祖探しの旅。この本を一言で表現するとそういうことになる。ちょっとそそるよね。一見タイトルが何だかよくわからないけど。でも先祖探しの本は、つまるところ、じゃあ、自分の家はどうなんだというところに行き着くわけだ。自分の先祖を調べてみようかと。お寺に行って過去帳を見る手はあるけど、たんに名前と生没年がわかるくらいだし、それがわかったからどうだっていうんだろう。その土地の名家であれば、先祖がこんな業績を、地域貢献をと鼻高々になれるだろうけど、何もなければ、そう、フツーの市井の人かと納得するだけだ。
まっ、それはさておき、なぜこの本をこのブログで採り上げるのか。それは、元禄期の冒険譚に思いを馳せることができるからだ。
著者の星野さんの祖父は外房(房総半島の太平洋側)の出身で、東京五反田に生活の糧を得るために引っ越してきた。外房の祖父の家は、コンニャク屋という屋号をもつ漁師の家だ。一時期コンニャクを売っていたから、その屋号になったとか。さらにそのルーツをたどると、紀州へとつながる。江戸元禄期に紀州加太辺りの漁師は淡路の漁師らと鰯漁で争っていたようだ。漁場が同じで、納め先も大坂で同じ。鰯はそのまま食べることもしたのだろうけど、大量にとれることもあって、加工して肥料にもした。干鰯(ほしか)と〆粕(しめかす)だ。いずれも即効性のある肥料として、金肥として扱われていた。
漁場の争いは激化し、紀州の漁師は、新たな漁場を求めて関東へ進出する。時は徳川の時代に入り、江戸に新たな市場が形成され、鰯の需要も勃興してくる。彼らは、外房に新しい漁場と干鰯をつくるための広い砂浜を見つけて、直接江戸に商品を持ち込む算段をする。
この頃はまだ、紀州から毎年のように外房へ移動して漁をしていたというから驚く。内海ではなく、波の荒い外海を移動しての漁だ。「板一枚下は地獄」といわれる漁師の世界、ある面、覚悟の上ということなんだろうけど、その執念には驚くばかりだ。
順調に漁が行われると、今度は外房の各所で住みやすそうな場所が物色され、仮住まいが始まる。そして次男、三男坊がこぞって移住をはじめ、漁村が形成される。紀州の地名がそのまま房総にあるのは、移住者の出身地がそのまま付けられているのだろう。
紀州から外房への大移住が江戸元禄期にあった。その冒険心、開拓心には脱帽するほかない。
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コンニャク屋漂流記 (文春文庫) |
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