『限りなく繊細でワイルドな森の生活』内藤里永子(KADOKAWA)
「森の生活」といえば、真っ先にヘンリー・D・ソローを思い浮かべるけれども、先ごろKADOKAWAより詩人で翻訳家の内藤里永子著『森の生活』が刊行された。ソローは森の思索家として20代から森の生活を志向し実践しているが、内藤さんはといえば、若い頃から登山を趣味として自然に親しんでいたものの、実際に「森の生活」を営んだのは60代に入ってから。
なぜ60代になって突然か。勝手な推測ではあるが、「メメント・モリ」(死を思え、つまりは今を楽しめ)に目覚めたからなのではないのか。50代で周囲の親しい人たちが鬼籍に入ったことが影響している。内藤さんは独身者であり、独身者にとって親しい人がいなくなることは大きな衝撃になることは容易に想像がつく。
この本の中で、若い頃黒部源流を訪ね遭難したときのことを認めている。昔は天気予報があてにならなかったし、各山域の情報が圧倒的に少なかったからこうした事態に陥いることも不思議ではなく、事故も多かったように思える。このときは救助された後に大雨になり、河畔にテントを張っていた登山者が濁流に呑まれて遭難死している。この経験がひとの死と向き合うことになった最初となったのだろう。
でもそんな深刻さは、森の中にいれば日々の楽しみで緩和されていく。辛夷の花を愛でたり、自然の恵みである、キノコや山菜、野草を自分好みの器やお皿に盛りつけて食したり、詩をつくったり、翻訳をしたり……。とても優雅な山の一日一日が過ぎていく。一方では野ネズミの来訪を楽しむ余裕。しかし山栗の豊作が多産の野ネズミを大量に殖やしてしまい、部屋中を走り回る事態にも。
ニホンザルの群れに家を占拠されたエピソードも書かれていて驚く。部屋という部屋にサルがいる風景は異様だし怖い。
「森の生活」は都会にはない、自然との共生を強いられる生活だ。それはとても楽しい日々であるが、突然のトラブルに見舞わられ困惑させられることもある。それでも「森の生活」がすばらしく感じるのは、そもそも人間は動物だからなのだろう。野生に目覚めたか。