目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

信仰の山は奥深い。『出羽三山』を読む

2018-04-01 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『出羽三山 山岳信仰の歴史を歩く』岩鼻通明(岩波新書)

雑念が多く湧いてしまって、なかなか集中して読めない本だった。というのも2016年に羽黒山は行っているし、遡れば、30代のはるか昔に三山すべてを歩いているからだ。写真が豊富に掲載されているので、読んでいるうちに、自ら訪れたときの映像やシーンがそれにかぶって浮かんできてしまう。もうそうなると、なかなか前に進めなくなる。とくに「羽黒山を歩く」の記述にさしかかると、もういけない。行ったばかりであるから、そこは通ったとか、それは見たとか、一向にページが進まなくなった。

この本のいいところは、すでに訪れた人間からすれば、修験者はこんな道も歩いたのかとか、こんなところに宿坊や小屋があったのかとか、あいまいだった地名と位置が整理されて、すっきりした気分になれることだ。これからという人は、下調べに使えるし、興味をもったところを中心に訪れてもいいだろう。また三山の歴史についても詳述されているので、関心がある人にはお奨めだ。

私はだいぶ前に役行者に関心をもち、小説や文献などを読み漁っていた時期があったけれども、そんな役行者ゆかりの熊野の修験者がこの地にも訪れていて、地名や習慣などにその影響や痕跡が残されているようだ。

それに彼の地で、なんだかよくわからなかった、「引き綱」の説明もあった。軒先にぶら下げているのを見たときには、あちらにもこちらにもあって、なにかの道具かと思ったのだが、大晦日の深夜に行われる松例祭の験競べで勝利した若者頭が軒先に飾ることができるのが、「引き綱」であると説明があった。魔除けであり、幸運を招くものであり、勲章でもあるようだ。

巻末では、即身仏についても触れている。修行者が多かったこともあり、庄内では即身仏の数が多いと紹介している。即身仏とは、五穀断ち、すなわち木食行(もくじきぎょう)という厳しい修行を積んで入定(にゅうじょう)、体が腐敗せず原形をとどめて、いわゆるミイラ化したものを指している。身体が腐敗してしまっては、即身仏ではない。

ほかに松尾芭蕉が登場したり、江戸時代の図譜も掲載されたりで、どっぷりと出羽三山の信仰の世界に浸れる。

山のぼらー、歴史好き、山岳信仰に興味がある方はいますぐ手にとってみてください。

参考:当ブログ「羽黒山2446段を往復」
https://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/b3fffdb34b867c6b97c5d6d9807b7b4a

 

出羽三山――山岳信仰の歴史を歩く (岩波新書)
岩鼻 通明
岩波書店

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