『山行記』南木佳士(文春文庫)
著者は、1989年『ダイヤモンドダスト』で芥川賞を受賞。純文学をこころざす一方、医師としても働く、いわば2足のわらじを履く御仁だ。40代で心のバランスを崩し、周囲の勧めもあって50代で山を始めたという。この小著で、冒頭に出てくるのは、「ためらいの笠ヶ岳から槍ヶ岳」。山初心者にしては、派手な山行記録だ。2泊3日のテント泊で、病院に勤務する若い仲間とともに、まずは笠新道を上がっていく。私もそろそろ笠ヶ岳を登りにいこうかと考えているが、どうもあの等高線混み混みの地図を見ると、逡巡してしまう。著者によれば、笠新道は、日本3大急登に数えられているという。3大急登!そうなのかと納得。
話しを戻そう。やはり50代で山初心者の著者にとって、テント泊装備はきつい。テントは若いやつに持たせればいいとしても、食糧は増えるし、シュラフやマットももって行かなければならない。結果、ペースダウンを余儀なくされ、皆から置いてきぼりをくらうことになる。ただ完全に孤立してしまったわけではなく、50代の著者と同じペースになってしまった筋骨隆々の若いのとコンビで上がっていくことになるから、心理的にはだいぶ救われている。ここでまた横道にそれるが、竹内洋岳氏ものたまっていたが、筋骨隆々というのは、登山にはよくないらしい。なにせ筋肉は、酸素を大量に消費する。高所で酸素が薄くなるところで筋肉だらけの体を動かすのは、大変なエネルギーを必要とするのだ。当然疲労しやすくなる。
さて、なんとか3大急登を制覇し、笠へ到達するのだが、そのあとの無茶ぶりがおもしろい。というか危ない。翌日は双六小屋へ、そして西鎌尾根をたどって槍へと向かう。ふつうは体力と時間に余裕がなければ、行かないはずだ。けれど、参加者が多くて、誰かが行こうと言い出すと、行くことになってしまう。それが団体の、そしてリーダー不在のパーティの恐ろしいところだ。言いだしっぺは、なんと著者(厳密には態度で示しただけだが)。這う這うの体で、最後のパーティとして肩の小屋に到着する。なんともはや。
2話めは、浅間山。年中規制ばかりで、私も含め前掛山にも行けない人が多いが、近所にお住まいの著者は、年に何度も訪れている。蛇骨岳やJバンド、草つきと次々に地名が出て来るが、いったいそこはどこだと思って読んでいたが、巻末のほうに地図が掲載されていた。なるほど、ここかと。NHKの、先輩が学校の後輩を訪ね、授業を行う番組があるけれども、著者はこれを引き受けてしまい、浅間山に生徒を引率して登山することになる。小さい子どもたちは、コントロール不能だから、たいへんだ。ここに書かれている以上の大変さだったに違いない。
3話めは、「つられて白峰三山」、そして最後に「山を下りてから」が綴られる。総じてよくある山行記では、あるけれども、登場人物が躍動している。みなさんのパーティや、山仲間にもこんな人はいるよねというキャラが登場してきて、思わず実在の人物の顔を思い浮かべたりする。事実をたんたんと描写するよりも、こうした読み物としての山行記はとっつきやすいし、共感できる。山のぼらーなら、ちょっとした骨休みにニヤニヤしながら読める、快作だ。
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