目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

芭蕉ゆかりの中尊寺金色堂

2020-04-12 | まち歩き

平泉 標高約30m

2008年9月19日(金)晴れ 

平泉といえば、中尊寺。その境内には松尾芭蕉の像が建てられている。この地で詠んだあの有名な俳句を記念するものだ。

夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

北上川のほとりには、この句碑が建てられていて、それを見に行くのも一興だ。結果的には句碑は見に行かなかったけれど、中尊寺を訪れるのは非常に楽しみにしていた。いまや世界遺産に登録もされたしね。


左:国民宿舎サンホテル衣川荘 右:衣川城(懐徳館)

前泊は、奥州市国民宿舎サンホテル衣川荘。スタンダードプラン1泊2食つきが当時で7,500円(税別)だったが、いま調べてみると12年前と変わらず同じ金額になっている。さすがは国民に寄り添う国民宿舎だ。

国民宿舎のお隣に衣川城(懐徳館)があって、チェックイン後洗濯物をコインランドリーに放り込んで、山の神と歩いて行ってみた。当時すでに建物の安全性に問題があって立入禁止になっていた。廃屋チックになっていたが、いまもそのまま放置されているのだろうか。


左:中尊寺参道へ 右:弁慶堂

朝風呂に入って朝食をとり、8:20衣川荘をチェックアウト。フロントにはやたらと元気で笑いを誘うコミカルな動きをする名物おじさんがいた。前日に前沢牛のおみやげを買ったときに対応してくれた人で印象に残っていた。朝風呂の帰りにすれ違うと、はつらつとした声でおはようございますっ!と挨拶。そのおじさん、衣川荘ではこの後敬老会が催されるのだと説明してくれた。たしかに紅白の幔幕が張られ、金婚、米寿、白寿と書かれた紙が貼られた受付の机が出されていた。ちょっと解説すると、金婚は結婚50年、25歳で結婚したとすると、75歳くらいの方々か。米寿は米の字が表すように八十八歳、白寿は百から上の一本棒をとった、つまり百マイナス1で99歳だ。こんな催しを大々的にやる街なのだから、きっと老人が多いのだろうと負のイメージをもちつつも、逆にお祝いできるくらい元気なのだから、それはそれで活気があっていいことだとも思えた。

ところでお目当ての中尊寺は、国民宿舎からほど近くにある。駐車場に車を置いて(当時で駐車料400円)、山の神と参道に向かう。参道の入口付近は月見坂と名付けられ、ゆるやかな上りとなる。まず江戸時代に建てられた弁慶堂が出てくる。地蔵菩薩と義経、弁慶の木造が安置されている。そこからいくつもお堂が出てきた後、宝物館に至る。ここで拝観料800円(当時)を支払う。


金色堂入口。中は撮影禁止

そしてハイライトの金色堂だ。私は奥州藤原氏の全盛時代に中尊寺が開山され、金色堂もその時なのかと思っていたが、意外なことにそうでなはく、慈覚大師円仁が850年に開山していて、金色堂は藤原清衡によって1124年に建てられている。

金色堂はいま、上の写真の現代的な建築物の中に収まっている。実物を前にすると、こぢんまりしているなと小ささにまずがっかりしてしまうのだが、よく見ると、いたるところに漆が使われ、精巧な螺鈿や象牙、宝石の細工が施されていて、その細密さに驚かされる。また金箔の多さとその輝き、金色の仏像に目を見張ることになる。

 杉並木の参道

金色堂を出るころ、平日ではあったが、徐々に団体客が押し寄せ始め居心地が悪くなってきた。山の神とそれを避けるように、中尊寺の最奥、かんざん亭まで足を延ばした。ラッキーなことにNHKの平泉のビデオが流れていて、それを眺めながら山の神と一息つき、その後再び月見坂に戻った。

土産物屋を少し覗いた後、次に毛越寺(もうつうじ)へ移動した。


2点とも:毛越寺、右は遣水

毛越寺の駐車場で残念ながら、また駐車料(300円)をとられ、さらには拝観料500円をとられる。でも毛越寺の庭園はいい。これを見るだけで元がとれるともいえる。松の巨木や遣水(やりみず)、庭の木々がうまく配されていて、とても心が落ち着く場所だ。ただ池は露骨に人工的で鼻白むのだが。


左:毛越寺の石仏 右:岩面大佛

庭を愛でた後、山門付近で茶をよばれ小休止。昼どきには、せっかく岩手にいるのだから盛岡冷麺が食べたいねと山の神が言い出して、韓国料理の店ソウル〇〇に入店する。具が少ないなと不平をこぼしながらも、まあまあ納得の味だった。

そして昼食後はまだ時間があるからと、達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)へ移動することになった。


パワースポット達谷窟毘沙門堂

達谷窟毘沙門堂は岩に建物が食い込むように建てられていて、なぜここにという驚きの建築物だ。境内には、上の写真、磨崖仏の岩面大佛もあって見どころは多い。岩面大佛は残念ながら江戸時代の地震で崩れてしまい、いまはお顔だけを拝することができる。


厳美渓

本日のお宿にチェックインするまでにまだ時間があるので、最後に渓谷美で有名な一関の厳美渓(げんびけい)に行くことにした。ここの名物はこの優美な景色とともに食するかっこうだんごだ。対岸につながるロープに括りつけられたかごにお金を入れて、木槌で合図を送ると、対岸のお店でだんごとお茶を用意してかごに入れて送り返してくれる。テレビで見たようなシーンが、実際に目の前で繰り広げられていた。

エピローグ~秘湯五色温泉で全国行脚の老夫婦に会うへつづく
人気の奥入瀬渓谷へへ戻る
紅葉には少し早かった八甲田山へ戻る
楽チンコースで岩木山へ戻る
まさかの、、、暗門の滝トレッキングへ戻る
白神岳マテ山コースへ戻る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山の神、南部鉄器を買う

2020-04-11 | まち歩き

2008年9月18日(木)十和田湖から盛岡市内に移動した。山の神からのリクエストで南部鉄器の岩鋳(いわちゅう)を訪れる。まずは昼時になっていたこともあり、併設の大きな食堂でサンマフライ定食を食べる。普通なら塩焼きなんだろうけど、内陸部の盛岡だからこそのフライなのか。なかなかの美味だった。

さっそく店内に入ると、展示品は多く品ぞろえがすごい。見慣れない道具が置かれた工房も見られて興味は高まる。さっそく山の神がずしりと重い鉄瓶をひとつ購入した、、、とずっと思っていたのだが、じつは上の写真の鉄瓶はもっとずっと前に購入し我が家で使われていたものだった。山の神に確認してみると、岩鋳で購入したのはフライパンと鉄急須だった。フライパンは目玉焼き用にいまも活躍中だが、なんと鉄急須は引退。現在使用中のものは、青山でデザインがいいとゲットした2代目になっている。そうなのか、残念!岩鋳。

ここで少し、南部鉄器の良さを宣伝させてもらおう。南部鉄器がすぐれているのは、お湯を沸かしたり、料理を作ったりすると鉄分をもれなく添加してくれることだ。リンゴを食べなくとも、サプリメントをわざわざ買ってこなくとも済む。しかも体によく吸収されるという二価鉄(にかてつ)が溶け出すというからさらにいい。

そもそも鉄分が不足するとどうなるかというと、新百合ヶ丘病院のサイトによれば、以下のような不具合が生じるそうだ。

① 骨・皮膚・粘膜の障害(あざ、コラーゲン低下による骨・肌異常、爪・毛髪・舌異常)
② 知能・情動への影響(不眠・集中力低下・学習障害・うつ・パニック障害)
③ ホルモンへの影響(甲状腺ホルモンの成熟障害、不妊症)
④ 白血球・免疫への影響(抵抗力の減少)
⑤ 消化系に及ぼす影響(嚥下障害、食欲不振、下痢、便秘、氷を好んで食べる)
⑥ いわゆる不定愁訴:頭痛、イライラ、耳鳴り、肩こり、寝坊癖、疲労、むずむず脚など

そしてよくいわれるのは、貧血で血のめぐりが悪くなる。南部鉄器を使えば、そんな不具合は解消できるのだ。

最近は海外で人気のカラフルな南部鉄器もあるから、キッチンのアクセントとして、インテリアの一員にもふさわしい。一家に一台、南部鉄器をどうぞ。

なにか南部鉄器の宣伝マンのようになってしまった。

脱線してしまったが、次回は本当に「芭蕉ゆかりの中尊寺金色堂」へとつづく

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十和田湖遊覧散歩

2020-04-04 | 山雑記

十和田湖 標高 400m 青森県

2008年9月18日(木)晴れ 

前泊は十和田湖畔の湖秀亭。この宿は、東日本大震災の影響で宿泊客が激減し、2013年頃に閉館したようだ。この地区では湖秀亭も含めた観光ホテル3つが同じ資本系列で、上記の理由でやむなく閉館。いま湖畔に建つ廃墟といわれ景観を損なうとして問題になっている。いっぽうではすぐ近所に星野リゾートの奥入瀬渓流ホテルがあって繁盛しているのだから、やり方しだいで客足も戻ったのではないかと思えてしまう。少なくとも2つをたたんで1つで生き残りを図れば、なんとかなったようにも思えるが、どうだろうか。そもそもの失敗はバブル時代の拡大路線とささやかれている。


左:湖秀亭の部屋 右:湖秀亭のエントランス

湖秀亭は、十和田湖ビューの部屋を備えた温泉宿で、コスパもよかっただけに個人的には閉館は残念に感じる。夕食にシャモロック鍋、ポークジンジャーステーキなどを食べて1泊2食付き12,000円くらいだった。


湖秀亭の部屋から十和田湖を見る

さて話を戻そう。9月18日は朝風呂でさっぱりしてから、7:00に朝食。自ら陶板で目玉焼きをつくり、イカ刺しや里芋の煮物、鮭などを食し、8:20頃宿をチェックアウトした。


遊覧船からの十和田湖ビュー

その後遊覧船乗り場に移動し、9:00発の遊覧船第一観光丸(定員220人)に山の神と乗り込んだ。さすがに平日とあって、乗船しているのは年配者ばかり。繁忙期には500人や800人が乗船可能な大型船の運航があるようだが、この日はいちばん小さな船の運航だった。乗船料は1400円のところ、割引券を使って1300円。ちょっと高いなと思ったのだが、ここまで来て乗らないという選択肢はなかった。


左:遊覧船第一観光丸 右:デッキに出て風に吹かれる

遊覧船のデッキに出ると、風が気持ちいいし、景色も抜群で乗ってよかったと自然と笑みがこぼれてきた。ただこのあと、船内で一部の年寄りがはしゃいでやかましかったのには興を削がれたが。


左:中山半島 右:高村光太郎作「乙女の像」

遊覧船は十和田湖のなかの2つの半島、御倉半島と中山半島をめぐり、50分ほどでスタート地点に戻ってくる。引き返し始めると、もう終わりなのかと名残惜しさが募る。

下船後は湖畔を乙女の像まで山の神とのんびりと散策した。かの有名な詩人にして彫刻家、とくに『智恵子抄』で有名な高村光太郎の晩年の傑作「乙女の像」である。とってもふくよかに見えるのは、制作当時の美の基準がこうだったからなのだろう。


2点とも:十和田湖畔の散策路

乙女の像を見れば、もう十分に目的を達した気分になれる。山の神と遊覧船乗り場まで戻り、近くにあった喫茶店憩いに自然と吸い込まれた。コーヒーを注文し、まったりと朝の時間を過ごし、10:30十和田湖を後にした。


芭蕉ゆかりの中尊寺金色堂へとつづく
人気の奥入瀬渓谷へへ戻る
紅葉には少し早かった八甲田山へ戻る
楽チンコースで岩木山へ戻る
まさかの、、、暗門の滝トレッキングへ戻る
白神岳マテ山コースへ戻る

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人気の奥入瀬渓谷へ

2020-04-03 | 山行~東北

標高 230m~400m 青森県

2008年9月17日(水) 晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 14:30頃 石ヶ戸(いしけど)駐車場--馬門岩--阿修羅の流れ--銚子大滝--九段の滝--16:00頃 駐車場

八甲田山から下山後、山の神と酸ヶ湯でアイスクリームを食べクールダウン。その足で奥入瀬渓谷へ向かう。14:30頃石ヶ戸(いしけど)駐車場に車を置き、山の神と散策をスタートさせた。界隈にはツアー客が大勢いて、ガイドの説明が聞くとはなしに聞こえてくる。

どこをどう歩いたのかはよく覚えていないが、奥入瀬渓谷のマップを見てみると、撮影の順番からして車道を歩いたり遊歩道を歩いたりで、行ったり来たりしていたようだ。最後に九段の滝に立ち寄って、駐車場に戻ったものと思われる。

最初のカットがこれ。阿修羅の流れなのか、激流で白く泡立っている。清流といわれている割にはにごっていて、澄んでいなかった。

次に撮影したのが、馬門岩。この見え方であると道路の向こうに立ちはだかっている岩が馬門岩と思われるが、どこをどう見れば、馬の門になるのかはまったくわからない。

これが石ヶ戸(いしけど)。この巨岩は、カルデラ湖として十和田湖ができた915年の噴火のときに飛来してきたものだとガイドの人が説明していた。飛んできたのか、これが、、、

奥入瀬渓谷では必見といわれている銚子大滝だけあって、観光客だらけだった。

帰りがてらに立ち寄ったのが、九段の滝。年配の夫婦に先を越されてしまい、どのアングルでも入ってしまった。

参考:
奥入瀬渓流子ノ口周辺散策マップ
当ブログ 8~9世紀の大地震と火山の噴火

 

十和田湖散歩へつづく
紅葉には少し早かった八甲田山へ戻る
楽チンコースで岩木山へ戻る
まさかの、、、暗門の滝トレッキングへ戻る
白神岳マテ山コースへ戻る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする