はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

東京&横浜遠征7/25。(東京都現代美術館「ジャイアント・トらやん展示」「MOTコレクション展」「メ

2009-07-25 22:31:00 | アートなど
すっかり遅くなってしまいましたが、遠征メモ。(8月19日アップ)

7月25日(土)は、東京と横浜で3つの展示を見て参りました。
まずは、東京都現代美術館の「ジャイアント・トらやん展示」と「MOTコレクション展 夏の遊び場 -しりとり、ままごと、なぞなぞ、ぶらんこ- 」そして「メアリー・ブレア展」(サイトは 美術館サイト あるいは 企画展サイト

主な目的は、毎回渋い展示作品を揃えてくれる「MOTコレクション展」、そして、8月2日までの限定で展示されているヤノベケンジ氏作「ジャイアント・トらやん」の立ち姿を見るため。
興味を持っていた企画展「伊藤公象展」はあいにくの8月1日から。
ディズニーには興味がなかったのですが、せっかくなので開催中の企画展「メアリー・ブレア展」も併せて拝見しました。
メアリー・ブレアという名前は私は今回はじめて知りました。直接の作画には関与しなかったものの、どうやら初期のディズニーにおいて、カラーデザインやイメージスケッチによりアニメーション作品に多くの影響を与えていた方なのだそうです。いちどディズニーを離れ、フリーランスとして絵本や広告など幅広い分野で活躍した後、再びディズニーの「イッツ・ア・スモール・ワールド」のコンセプトデザインを担当し、名を広く知られるようになったのだとか。独特の色彩感覚と世界観は、たしかに「ああ、あの!」と思わせる作家性に裏打ちされたもののように思いました。
私個人的には、ディズニーに採用されなかった作品群のほうが抜きん出て「良い作品」と思えてならず、世間的には成功と評価されるであろう「ディズニーに認められディズニーの作品となる」ことが、果たして作家や作品にとって良いことなのかどうか不審に思いました。ディズニー色に染まるほど、ブレア氏の作家としての輝きが失せてしまっているようで、どうにも複雑な気分になりました。
しかも、ディズニーによってボツにされお蔵入りとされていた作品が、今回展示されるにあたって、ブレア氏個人のリソースではなくディズニーのリソースとして利用されていることに、どうにもやりきれない、釈然としない気分になりました。ビッグネームがすべてをかっさらってしまうような創造システムはよろしくないのではないか、と、法人所属の作家とその創造物との関係性について、非常に多くのものを考えさせられました。こういった関係性は、分業システムに頼らざるを得ない商業アニメーションの宿命かとは思いますが、どうにかならないものなのでしょうか。
誰がどのような経緯で何をして、何を作ったのか、どのように分業したのか。わたくし、グループワークにおいてこういったことを意識した説明や叙述が少なすぎることにいつも不満を覚えていたところ。できるかぎり誰が何をしたのか切り分けられる部分は切り分けて叙述してほしいと改めて強く思った次第です。
ところで、個人的にいたく気に入ったのが「ペネロペと12か月」のイラスト群。
お名前を出して恐縮ですが、更紗さんの描かれる絵を思い出しました。
さて、次に本命、ジャイアント・トらやんと「MOTコレクション展」。
常設展示室のエントランス部分に堂々と立つ「ジャイアント・トらやん」とその足下に遊ぶ「トらやん」、そして傍らに鎮座する「ロッキング・マンモス」に感銘。「トらやん」の隣には、彼らを巡る映像作品が何作かモニタで上映されており、突如現れた巨大ロボットやちょびヒゲ人形がどのような意味を担っているのかが解る仕組みになっており、毎度ながらヤノベ氏の展示構成に感心させられました。また、このエントランスのヤノベケンジ作品に限っては写真撮影OKとのことで、子どもたちが大はしゃぎするなか記念撮影をしている家族連れが多く見られたのも微笑ましく印象的でした。
「ジャイアント・トらやん」を観たのは二度目でしたが、前回の霧島アートの森では彼(?)は座っていたため、立ち姿を見るのは初めてでした。改めてまじまじと見るにつけ、とにかく「でかい!」のひとこと。
笑うしかないほどの圧巻です。
4月の豊田市美術館でのトークイベントでヤノベ氏が語った言葉によれば2009年は「トらやん最後の聖戦」の年なのだそうで、その言葉を聞いてから、ひょっとしたらトらやんの活動にはいったん終止符が打たれるのではないかと危惧していたところ。どうなるのかはわかりませんが、希有なアートシーンとして可能な限りこの目で見て、記憶にとどめてゆきたいものです。
MOTコレクション展は「遊び」という観点から現代芸術作品を眺め、「ままごと」「なぞなぞ」「しりとり」「ぶらんこ」という4つのキーワードで個性ある作品を紹介。毎度ながら、面白い観点、そして充実した展示に感心です。詳細は省きますが、エルネスト・ネトの作品とその香り、また、島袋道浩氏のドキュメント映像作品「タコに東京観光をプレゼントする」、そして「earth library」(作者名失念)などの作品が印象に残りました。

さて、次に足を運んだのは、横浜の新港地区で開催されていた東京芸術大学大学院映像研究化メディア映像専攻「OPEN STUDIO」 後期展示
先週の前期展示は修士2年(3期生)の習作展示でしたが、今回の後期展示は修士1年(4期生)の特別演習課題の成果作品を発表展示したもの。
14名の学生さんたちは4月に入学して以降、4名の指導教官から順次演習授業を受けており、それぞれの演習概要と併せて各演習で出題された課題に対する成果が紹介されていました。
以下、ざっくり感想メモ。

・佐藤雅彦特別演習
物理現象などの科学原理や日常に潜む何らかの事象が担う独特の面白さを抽出・収集し、それらの面白味に焦点をあてて作品として再構成する、という演習の課題成果群。
"科学的な原理が露呈する表現"、"新しい考え方が生むコマ撮りアニメーション"、"面白さの蒐集"、"ウズウズの言語化"の4つのテーマによる。

"科学的な原理が露呈する表現"

A 柿沼緑×森脇統「through」 インスタレーション
白い紙で覆われたガラス壁があり、その手前に底の抜けたペンキ缶が台に乗って数個置かれている。壁にはそのペンキ缶が壁を覗くような格好で1つ張り付けられている。台の上のペンキ缶を手に取って自分も同じように覗き込んでみると、缶の影になった部分にだけ、ミジンコなどの微生物を描いたアニメーション映像がうつって見える。じつは裏側から映像が投影されているのだが、壁面の紙を透過する光量が展示室の光量を下回るため、通常の状態では映像を見ることができず、缶で覆って覗き込むことで影になった部分だけが透過光を知覚できるいわば窓の役割を果たす、という作品。
缶で覗き込む作業が、まるで顕微鏡を覗き込むような感覚を引き起こしているのが面白い。手元の缶の影の中に動く何かを見た時は新鮮な驚きを感じました。壁の中から動く微生物の映像を探す面白さがあるいっぽうで、缶による視野が狭いため、切り取った影の窓の中にちょうど動く映像が入ってこない場合があり、そういったときは鑑賞者が作品内容に気付かない恐れもあるのではないかと思え、少々もったいない気もしました。

B 玄宇民×白*欣宏「虚実のバランス」 インスタレーション
滑車を介した一本のケーブルの両端の、一方には大きな石が、もう一方にはテレビモニタが吊り下げられている。ふたつを支えるケーブルは天井の滑車を介して、ちょうど同じ重さで釣り合っている。テレビには、となりの石を固定カメラでとらえたライブ映像が写し出されており、あたかも「実物の石」と「テレビの中の石」が釣り合っているかのような印象を与える。という作品。
あくまでもテレビモニタの重さと石の重さが釣り合っているだけであるはずが、テレビモニタに石の映像が写し出されることによって、まるで石と映像の中の石が釣り合っているかのような印象を与えているのが面白い。
また、冷静に考えると、この作品によって「テレビモニタのほうが石よりも密度が低い(石よりも体積は大きいが重さは一緒)」という事実があらわになっており、その事実もまた意外に感じられて、テレビを重いものと思い込んでいた自分の認識に気付き、その点についても興味深く思えました。
ちょうど東京都現代美術館のMOTコレクション展で展示されていたナム・ジュン・パイクの作品のことを少し思い出しました。


"新しい考え方が生むコマ撮りアニメーション"
C 高橋浩樹×村上雄大×白*欣宏×長島勇太×山下寿也「glide」 ビデオ
あたかも地面の大きな揺れでテーブルや椅子が床を滑って動き回っているかのような動きを再現した実写コマ撮りアニメーション。
再現があまりに忠実であるため、うっかり実際に家具が地面を滑っているかのような錯覚に陥るほど。下手をすると、コマ撮りの意図が伝わらない恐れがあるほど良くできている。
その懸念をクリアするためか、模型であらかじめ揺れによる家具の動きをシミュレートし、なおかつ、その実験の映像をコマ撮り映像の前に付加したことで意図が伝わりやすくなっているのが心憎い。秀逸だと思います。

D 深尾大樹×安西剛×柿沼緑「影」
テーブルに置かれている扇子が、手の影によって持ち上げられ、裏返しにされてゆくさまを表現した実写コマ撮りアニメーション。

E 牛腸卓人×森脇統×玄宇民「stick」
複数散らばって並ぶ缶の間を、ひとつの缶がジグザグに通り抜けてゆく様子を写した実写コマ撮りアニメーション。

F 田中麻里奈×三上亮×島本塁「ノート/シャツ」
巨大な手が指先でノートやシャツを弄ぶ様子を表現した実写コマ撮りアニメーション。

"おもしろさの蒐集"
G 高橋浩樹「Agent R」 ビデオインスタレーション
モニタ前のテーブルにRollyが置かれており、モニタに写し出される映像の中の人物の動きに合わせてRollyが動くことにより、あたかもRollyが人物の依り代になったかのような効果を生じる。という作品。映像の人物とRollyの動きが同期していることをいったん認知すると、画面上から人物が消えても、Rollyの動きがその人物の動きを引き続き担って再現しているのだと疑いなく認識してしまうのが興味深い。
人物の動きを担う「動く物体」が人間とはかけ離れたものであればあるほど面白いのではないかと何となく感じました。人物の動きを担っていると認識されるための境界はどこにあるのか、どこまでかけはなれると人物との関係性を感じ取れなくなってしまうのか、あるいは単に、同期する動きや音に対して関係性を感じ取っているのか、音を動きと関連づけて音だけで人物の動きを想起させることは可能なのか、等、様々なことを考えさせられました。実験・追求して行ったら非常に面白いテーマだと思います。

H 柿沼緑×森脇統「トーンネル」 インスタレーション
「音が光となってトンネルを抜けてゆく」様子を表現した作品。
直径15mmほど、長さ1mほどの透明なダクトが胸の高さで水平に吊られている。ダクトは緩やかなU字を描いてカーブしており、両端の開口部には金網が取り付けられている。左側の管端へ向かって声を吹き込むと、声が移動しているかのようにダクト内部のLEDが順繰りに白く光り、反対側の端へ向かって光がダクト内を伝ってゆく。光が管端へ到達すると、さきほど反対側から吹き込んだ声がそこで再生される。
声を吹き込んでからダクトの中間地点に手をかざすと、そこに光がとどまり、かざした手を離すまで「声を捕まえておく」ことができる。また、ダクト内を伝う「声」の移動速度は音量に比例し、大きさの違う声を吹き込んだ後にそれらの「声」を捕まえると、「声」を解放したときに大きい声が先に、小さい声が後になって再生される。
本来一定であるはずの音の速度が、このシステムにおいては音量に比例しているという点が面白いと感じました。大きい声ほど速く進むということは物理法則には反しますが、なぜだか直感的に違和感無く受け入れられるのは、声を発する行為があたかも物を投げる時のような行為と重複して感じられ、「力一杯投げる=力一杯大声を出す」という身体感覚に即して人間側が無意識的に理解してしまうからなのではないかと思えます。作品を理解するときに発生する認識に、物理法則よりも身体感覚を優先させたルールがはたらいているようで非常に興味深く思えました。


"ウズウズの言語化"
I 島本塁「飛び出すサーキット」 映像
二つのモニタが160°ほどの角度で二つ並んでいる。画面には小さな木材がレースカーのように爆音を上げながら動いている様子が映し出されており、木材カーは左のモニタでは奥から手前に向かって、右のモニタでは手前から奥に向かって動いてゆく。左の奥からやってきた木材カーはブゥン!という音をあげながら、いったん画面からフレームアウトしたかと思うと、すぐさま右側画面に現れ、奥へと走り去って見えなくなる。かと思うと、今度は左側画面奥からふたたび木材カーがやってきて同じ映像サイクルを繰り返す。
映像と音の効果により、あたかも木材カーが画面から飛び出してサーキットをぐるぐる回っているかのような印象を与える、という作品。
実際には飛び出してもいないし、木材は車とは似ても似つかない簡素な端材なのですが、まさに「飛び出す」「サーキット」にしか見えない点がすごい。シンプルながら秀逸な映像作品だと思いました。


・桐山孝司 特別演習
開発言語であるprocessing, arduino, xbee というシステムを使って、遠隔操作や応答システムを利用した作品を作る、という演習課題の成果作品群。

"processing, arduino, xbee を使って作る"
A 田中麻里奈「はこ」 インスタレーション
台の上に手のひらサイズの木箱が置かれており、手にとってみると、箱から細かい振動と声が出て反応する、という作品。
中に何かの生き物が入っているようで微笑ましい。

B 安西剛「スズメと友達になる」 ビデオ
超小型の車載カメラがスズメのいる方向へむかってゆく様子を、カメラとスズメを俯瞰した映像と車載カメラ自身の映像とを交えてつないだビデオ作品。
意図していた効果か否かは不明だが、友達になると称しつつ、非常に怪しいマシンがスズメの群に向かってゆく様子と、当のスズメが不審がって迷惑そうに少しづつ逃げてゆく様子が何とも悲しく可笑しい。

C 高橋浩樹「わたしからあなたへ」 インスタレーション
スピーカーに耳をあてるという行為を介して、鑑賞者が見ている側の音声だけを切り替え再生する機構を提示した作品。
二つのモニタを挟んでマイクのように長い管が設置されており、その管へ耳をあてると、右耳だと左側のモニタが、左耳だと右側のモニタが目に入るようになっていて、目に入った側の音声が管から聞こえてくる。モニタには歌(「わたしからあなたへ」の曲)を歌う男女二名の姿が映し出されており、二人は歌いながら左右のモニタを行き来する。移動する人物を追って左右交互に耳をあてると、鑑賞者が見ている側のモニタの音声だけが聞こえてくることが知れる。
顔認識による切り替えであろうが、耳を介したスイッチングになっているように感じられるのがおもしろい。
試していて機構に気づいたときには純粋に驚かされました。様々な応用が期待できそうで、今後どのように進化してゆくのか楽しみです。

D 三上亮「コーン」 ビデオ
下部に小型の自走車を仕込んだ赤いパイルコーンが、じりじりと動いてゆく様子を提示した映像作品。
本来の場所から少しづつ動き、赤いコーンが徐々に日常を逸脱してゆく様子と、その様子になかなか気づかない通行人との対比が見ていて興味深く感じました。例外的に、動く歩道に乗っていた老婦人が動くコーンに気付き、連れの男性に「発見」を伝えていたのがこれまた印象的に思えました。
それとわかって見ていれば気付かない方がおかしいようにも思えますが、実際は、少しづつ動くものや、「動くはずないもの」については、人間は動いている事実を認識し難いものなのだと実感させられたような気がします。


・桂英史 特別演習
自らの身体を使った表現を通じて、表現・記録行為をとらえなおすという課題制作の成果作品群。
"ダンス"、"ツアーパフォーマンス"、の2テーマによる。

"ダンス"上映
ボールやロープなどを使用した身体表現映像作成を試みたグループワーク作品。

A 柿沼×深尾×森脇「ikiki」
 ボールがテーマ。寝そべった3人の人物が縦列し、身体をレールのように利用しながらボールを転がしたり足で挟んで受け渡したりする様子を写した映像。街中で展開するボールの行き来が印象深い。

 村上×山下「睡眠」
 薄暗いスタジオで男性が横たわっている様子を映した映像。詳細失念。
 意図がうまく汲み取れず。残念。

 安西×田中×白*「以心伝心」
 ロープがテーマ。ロープを持った一人がそれを振り回しながら踊ると、遠く離れた場所にいるメンバーが、ロープの動きを引き継ぎつつ架空のロープを振り回しながら踊る。その動きがさらに別のメンバーへと引き継がれてゆく、という映像。
 実体のない「ロープ」というモノの概念がたしかに受け渡されてゆく様子が秀逸だと思いました。街中で果敢なパフォーマンスに挑んでいる様子と、通行人の狐につままれたような様子との対比も、何とも可笑しく印象深い。

 島本×牛腸×三上「HAKO」
 露出オーバーでホワイトアウトした映像の中で、数個の黒い箱が上下左右に激しく動いている。その動きはいずれも落下しているかのような勢いであるため、重力方向がどちらであるのか、判別できず戸惑いを覚える。しかし最後に露出が適正化されると、全身白タイツに身を包んだ人物たちが現れ、その実は、ホワイトアウトした中に人が紛れて箱を縦横に動かしていたことが知れる、という映像作品。
 独特の空気。荒々しくもどこかとぼけた味わいに思えました。人物たちがそそくさと帰ってゆく最後もユーモラス。


 高橋×玄×長島「Slowly Box」
背中を丸めて大きな箱を背負った人物が闇に沈む廊下をゆっくりと歩いてゆく様子を映した映像。
 歩いているのが人間と箱ではなく、何か別の生き物のように感じられるように思いました。直接は関係ありませんが、昔のマペット映画「ダーク・クリスタル」に出てくる生き物たちのことを何故か思い出しました。

"ツアー・パフォーマンス"上映/実演
B 田中麻里奈×山下寿也×長島勇太「おじいちゃん忘れないよツアー in 伊勢佐木町モール」
 実在の商店街をナビゲートするツアー音声ガイドを作成し、そのガイドたよりに商店街ツアーを実践した模様を、記録写真とガイド音声とともに提示したドキュメント映像。
 商店街ツアーというのが非常に面白い試みだと思いました。「場」や「土地」とそこに暮らす人々の記録を重ね合わせることではじめて露呈する何らかの心象を見事に再現しているようで興味深い。大きな可能性を持った手法だと思います。ポッドキャスティングと組み合わせれば、過疎の地や田舎の町おこしにも応用できるのではないか等いろいろ夢想してしまいました。

C 高橋浩樹×島本塁×玄宇民×安西剛「YES'89」
 26日のみの上演。前述の手法により作成したツアーに鑑賞者自らが参加する企画。
 日程が合わず体験できず。非常に残念。


・藤幡正樹 特別演習
映像原理においてカメラの原型となる装置"カメラ・オブスクーラ"を自作し、そのスクリーンに映る映像をビデをカメラに収めることにより、映像を記録する行為をとらえなおす、という演習課題の成果作品群。

"カメラ・オブスクーラにビデオをつける"
A "カメラ・オブスクーラを作る"
 カメラ・オブスクーラ(カメラの原形。ピンホールカメラの原理を用い、黒い箱とレンズ等を使用した、風景を映し出す装置。)をさまざまに応用した「見る装置」を作成し、その現物を展示したもの。
 映し出される風景を分割したり、方向を変えたり、ズーム倍率の異なる風景を同時に提示したり、像をゆがませたり、等、光学原理を利用しながら様々な発想の元に作成された"カメラ・オブスクーラ"たちがとても面白い。実際に手にとって外の風景を眺めることもでき、体験することで視覚や映像、像を結ぶ光の原理について考えさせられました。
 また、後述の、これら装置を使って撮影した映像を見てから再度手に取って見ることで装置特性への理解が深まるようになっており、関心しました。

B "風景撮影(固定カメラ・無声)"上映
 作成した"カメラ・オブスクーラ"をビデオカメラに接続して撮影した映像のうち、固定カメラでかつ無声の映像を上映したもの。いずれも、レンズを通した像は箱の中でトレース紙に投影されるため、得られる映像は淡く柔らかい独特の雰囲気を感じさせるものとなっている。

 牛腸卓人「観覧車」
  みなとみらい地区の観覧車を遠写しにしたもの。

 長島勇太「トレイン」
  電車を映した映像。映像方向が二分割され、それぞれ左右が入れ替わっているため不可思議な視覚効果が得られる。

 深尾大樹「部屋1」
  田の字に4分割された画面にそれぞれズーム倍率の異なった像として映像が映し出される。駅のコンコースを映した映像。
 島本塁「サークル・ウォーク」
  新港地区の環状歩道橋を映した映像。
 村上雄大「動く歩道」
      「メリーゴーランド」
  別の方向をとらえた像が左右に並んで映し出されるカメラを用い、動く歩道とメリーゴーランドを映した映像。

C "人物撮影(無声)"上映
 同じくカメラ・オブスクーラをビデオカメラに接続し、人物を無声で撮影した映像作品。

  三上亮「段ボール」
   ひとつの大きな段ボールを数名で頭からかぶったまま移動する様子をとらえた映像。
  玄宇民「アクシデント」
   うろ覚え。車と自転車の接触を描いた映像だったか?
  牛腸卓人「スクロール」
   左へ左へとスクロールする映像の中を次から次へと人物が先回りして追いかけてゆく様子を映した映像。
  村上雄大「internal」
   
  長島勇太「追跡」
   90°ずれた視界がとなり合って並ぶ映像を得られるカメラ・オブスクーラを用い、足元と進行方向とを上下二分割された視界に映し出しながら、被写体人物(後ろを振り返りつつ前を歩いている)を撮影者が追っている様子を記録した映像。追う人物の足元(=迫る人間の足取り)と追われる人物の背中(=逃げる人間の歩み)が並んで映し出される格好となり、結果的に非常にドラマチックな映像効果を生んでいるのがとても面白いと感じました。
  柿沼緑「花」
   視界が扇形にゆがむカメラ・オブスクーラを用い、自転車に乗ってやってきた人物が足元に花を置いて去る様子を記録した映像。
  深尾大樹「部屋2」
   「部屋1」で使用した4分割カメラを用い、部屋で掃除機をかける人物の遠景近景を並んで映し出した映像。別々のズーム倍率が隣合って併存することで、まるで多面的に情景をとらえているかのような印象を生んでいるようで興味深い。とても面白い映像だと思いました。
  安西剛「MIDORI」
   カメラ・オブスクーラを通して人物を映すとともに、カメラを通さない外界も同時に映し出した映像。
  島本塁「サークル・ラン」
   「サークル・ウォーク」と同じ定点で人物をとらえた映像。新記録に挑戦するスポーツ選手のようにインタビューに応じている(と思われる)人物が、環状歩道橋を一周してゴールインする様子を映したもの。ゴール時に、通行人にゴールテープを持ってもらってゴールインしているのが何とも微笑ましい。
  山下寿也「走れ」(カメラ・オブスクーラの実物展示)
   学内の敷地を全力疾走している人物を映しだしたテレビモニタが、一台のカメラ・オブスクーラで覗き込めるように設置されている。
 
D "人物撮影(ナレーションのみ)"上映
 同じくカメラ・オブスクーラをビデオカメラに接続し、辞書の記述を読み上げた音声を付加した映像作品。
  牛腸卓人×高橋浩樹「ことばあそび」
   焦点深度が浅い接写映像で前進しながら「こねこ→こんぶ→ぶんぐ→ぐんて」のオブジェを、後退しながら「てんぐ→ぐんぶ→ぶんこ→こねこ」のオブジェを映し出した作品。
 淡く滲んだ視界の中に物体が現れては過ぎてゆく様子と、辞書の記述が読み上げられながら、言葉と映像がじつは進んで戻るしりとりになっている様子が面白い。

  柿沼緑×島本塁「やもめ」
   洗濯を干す男性と、旅行カバンを手に引いて道を歩く女性とを順繰りに映し出した作品。洗濯、しわ、道、などの辞書記述が読み上げられるが、言葉の意味と使用例文が映像に新たな文脈を付与するようで興味深い。

  安西剛×玄宇民「手紙」
   集合住宅の郵便受けに封書が投函されており、中を開くとひとつの図形(異国の文字)が書かれている。街のあちこちに同様の図形が散在している様子が描かれ、最後にアーリア人種とおぼしき人物が異国語(ヒンディー語?)で何らかの言葉を述べ、さきほどの図形が文字であったと窺い知れる、という映像作品。


 いろいろな手法や着眼点で提示された作品群は、それぞれ様々な方向性を持ち、いずれも既存の枠組みでは形容し難い特性を有しているようで、見ていてたいへん楽しく、またエキサイティングな体験をさせていただきました。
 「今まで見たこともない面白い何か」との出会いを求めて毎回足を運んでいるこの展示ですが、今回も期待に違わぬ多くのものを拝見することができました。今回提示された14人の手による様々な表現の種が、今後どんな作家性やテーマを獲得しつつ進化してゆくのか非常に楽しみです。


本当はこの後、森美術館の「アイ・ウェイウェイ 何に依って」を観にいこうともくろんでいたのですが、うっかり時間を見誤り、未遂に終わりました。
夜行バス0泊3日。過去の反省を活かし、早朝に某スパでリフレッシュしてからの活動。ゆっくりペースで回ったため、幸い二日間は体調を崩すこともなく過ごせましたが、後日あえなく風邪によりノックダウン。
おかげで感想メモがすっかり遅くなってしまいました。
免疫がおかしいのか、すぐに熱を出してしまうのが困りもの。もう少し丈夫になりたいものです。


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