昨日3月29日土曜日は、札幌のかでる2.7で上演されている舞台「KENTARO KOBAYASHI SOLO LIVE POTSUNEN 『DROP』」の13時公演および18時公演を観て参りました。
短評はのちほど学会のほうへ上げるとして、とりあえず手短に雑感的総評。
以下、たたんでおきます。
ポツネン2005とポツネンmaruが連続したひとつづきのものを便宜的に区切った作品対であったとすると、今回の「DROP」は、別方向からの付け足し的な再話であると思えました。
具象としてのモノを多用するなど、今までとの方向性の違いを感じます。
技術的ハードルを上げていて、果敢なチャレンジ精神は感じられるものの、しかし、作品としての強度がそれに釣り合っていない印象を受けました。
一言でいうなら『もったいない』。
fun なおかしみはあるけれど、interest な面白さがモノに頼って影をひそめていたように思え、私にとっては残念でした。
比較すべきではないかもしれませんが、これでは先日観たフキコシ・ソロ・アクト・ライブに軍配を上げたくなります。
ちなみに、細かいモチーフや言葉運びは小林氏らしさにあふれたものであったかと思います。
ただ、作品を収斂させるポイントが見出せず散漫な印象がぬぐえないような気がしました。モノを媒体にした緩やかな連続性が提示されていましたので、ひょっとするとこれも『DROP』という題名の原義から導き出される演出の一部であったのかもしれません。
総じて今回の公演では小林賢太郎氏の「作品」に興味がある向きは物足りなさを感じるかもしれません。が、逆を言えば、今作は氏の作品のひとつの変遷過程として一見の価値があるのかもしれません。
全体的に新しい何かを模索している途上なのかと思える印象もあったので、次作が非常に楽しみです。
短評はのちほど学会のほうへ上げるとして、とりあえず手短に雑感的総評。
以下、たたんでおきます。
ポツネン2005とポツネンmaruが連続したひとつづきのものを便宜的に区切った作品対であったとすると、今回の「DROP」は、別方向からの付け足し的な再話であると思えました。
具象としてのモノを多用するなど、今までとの方向性の違いを感じます。
技術的ハードルを上げていて、果敢なチャレンジ精神は感じられるものの、しかし、作品としての強度がそれに釣り合っていない印象を受けました。
一言でいうなら『もったいない』。
fun なおかしみはあるけれど、interest な面白さがモノに頼って影をひそめていたように思え、私にとっては残念でした。
比較すべきではないかもしれませんが、これでは先日観たフキコシ・ソロ・アクト・ライブに軍配を上げたくなります。
ちなみに、細かいモチーフや言葉運びは小林氏らしさにあふれたものであったかと思います。
ただ、作品を収斂させるポイントが見出せず散漫な印象がぬぐえないような気がしました。モノを媒体にした緩やかな連続性が提示されていましたので、ひょっとするとこれも『DROP』という題名の原義から導き出される演出の一部であったのかもしれません。
総じて今回の公演では小林賢太郎氏の「作品」に興味がある向きは物足りなさを感じるかもしれません。が、逆を言えば、今作は氏の作品のひとつの変遷過程として一見の価値があるのかもしれません。
全体的に新しい何かを模索している途上なのかと思える印象もあったので、次作が非常に楽しみです。
そして、もやもやとしていたものがaiwendilさんの雑感を読んでよくわかりました、私もたぶん、同感です。自分自身で言葉にできなかったのですが、まさに、場面場面のfunは多々あれど、全体としてのinterestは物足りなくて。
今回は1回しか見られなかったからかしら、それとも、近場ゆえ仕事を早退して見に行けることがかえって現実との切り替えのできなさになって、うまく入っていけなかったのかしら、などなど、いろいろ思っていたのですが。
それにしても、aiwendilさんは本当によく表現されますね、全く…腑に落ちました。