はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

<font size="-3">「i feel」35号(2006年冬号)。</font>

2006-02-06 23:57:26 | 佐藤雅彦
紀伊国屋書店の発行している広報誌「i feel」35号(2006年冬号)を購入しました。
特集は「脳と心を読み解く」。対談やエッセイ、そしてブックレビューなどがA5版96ページの中にぎっしり掲載されています。
*R*graffiti**のざらえもんさまに、佐藤雅彦氏の短編が掲載されていると教えていただいたのが購入のきっかけです。
しかし頁をめくってみると、佐藤氏の作品もさることながら、茂木健一郎氏と布施英利氏の対談と、山形浩生氏のブックレビュー、という思わぬ伏兵に感服させられました。
とくに印象に残った言葉がふたつあります。
まず、茂木氏と布施氏の対談「脳を脱構築する。その先に、脳科学の未来がある。」中の茂木氏の言葉。
『科学のトレーニングを受けた人は、何か重要なことをステートメントする時に、必ず何らかの自己懐疑を含んだ形で言います。つまり、あることを言う時は仮説として言っているわけで、それが百パーセント正しいという押し付けはしないという態度を徹底的に叩き込まれます。でも昨今の脳ブームではそういう言い方はされていませんね。そのまま信じられて、まさに宗教的な機能を果たすようになってしまうんですね。』(p10-11, vol.35, 2006, winter,「i feel」紀伊国屋書店)
この部分を読んで、思わず膝を打ちました。
ここ最近私が感じていた違和感の原因を見事に言葉にしてくださっています。
誰かが何かを語る時の、主観と事実と推論をごっちゃにした記述の多さが気になっていた私にとって、まさに根本を思い出させてくれるような言葉に思えました。
そう、科学の徒たるもの、本来は根拠のない断言などしちゃいけないのです。わからない部分は『わからない』と断った上で推論をしなければならないはずなのです。
もちろんこれは個人的エッセイなどに当てはまるものではありませんが、世の中の文化人と称される方々にも、少しはこの姿勢を見習ってほしいものだと心底思いました。
なにが争点になっているのかすらわからなくなるような不毛な議論を避けるためにも、この科学的スタンスは重要な手法なのではないかと思います。


印象に残ったふたつめの言葉は、山形浩生氏のブックレビュー「トンネルの先の光明」の導入部分。以下、1段落を引用。
三菱自動車のリコール事件から、スペースシャトルの爆発、福知山線の脱線/横転など、世の中に事故はたくさんある。通常それらは、しばらくニュースをにぎわして、その期間だけ原因は何だとかだれが悪いとか、いろいろな人が勝手なことを言いあう。われわれ外野はそれを断片的に新聞紙上で見聞きするけれど、結局何が原因だったのか筋の通った説明を得られることはほとんどない。新聞やテレビは、とにかく目先で見つけた断片的な情報を、ろくに真偽も確認せずに(というより確認する能力がそもそもない)垂れ流し、何かといえばお涙ちょうだいの人間ドラマばかりをクローズアップする。そして、自分たちの流した情報のどれが正しく、どれは誤報で、それにもとづきどの説が蓋然性を持ち、どの説は見当ちがいだったのかをきちんとまとめることは決してない。みなさん、結局あの福知山線の事故は何が原因だったかすぐに言えますか? 人々は、断片的に見た断片的な情報(それも往々にして誤報やガセネタ)だけを抱え込む。そしてそれが時に変な陰謀論の温床にもなったりする。
 この本は、各種の事故をじっくりと調べて、結局何がいけなかったのかを工学的にきちんと教えてくれる、得難い本だ。
 (p72, vol.35, 2006, winter,「i feel」紀伊国屋書店)
これは、『重大事故の舞台裏』という本の紹介文冒頭。
見事な導入。いっきに引き込まれました。
冷静な分析と思わず頷いてしまう論展開、文章はこび。
山形氏の文章はいつも、私たちが薄々感じていたことを冷静かつ明確かつ論理的かつスマートに提示してくれるように思います。
マスメディアに嫌気がさし、いろいろなことが嫌になってしまったときでも、この方の冷静な物言いを見ていると、『この国はまだ大丈夫』という気になれるような気がするのです。
とかくいろいろな物事をごっちゃに論じてしまいがちな私たちに、立ち止まって良く見ることの重要性を思い出させてくれるとでもいいましょうか。
私の知る限りでいちばん頭の良い人なんじゃなかろうかという印象すら受けます。
思わぬところで何だか少し元気の出る心地がした「i feel」読後でした。



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