なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

独り占め花街道

2008-04-04 18:17:53 | Weblog
 今朝の通勤路は満開の花の下を自転車で走りました。
  穏やかな日和で、学校が休みなので、私一人が満開の花の下を走っていました。
 実際には満開を過ぎているのかも知れませんが、、、花びらが時折ちらりほらりと舞ってくるところなんぞは、日頃無粋な私でも「春だな」とくらいは感じます。
 「花に嵐の例えもあるさ・・・」みたいな桜吹雪も派手な感じはしますが、コノ「ちらりほらり」がいいですね。
 そして足元の歩道の上は、花びらで出来た霰模様というか、江戸小紋というか・・・これもまたなかなかの風情でした。
 今朝はそんなわけで、満開の桜の下を一人で走りまして(学校も春休みなので生徒の姿もなく)、なんだか独り占めで得した気分です。

 ところで日本人の美意識で「散り際の潔さ」=桜みたいな感覚がありますが、私は散らない方も結構好きでして、、、枝にしがみついてでも、、、散らずにしおれても、それはそれで”天晴れ”という思いはありますから、「散り際」ばかりがクローズアップされると、少し天邪鬼的な気分になります。
 その辺りを囲碁に置き変えると、やはり難しいですね。
  ”潔い=投げっぷりが良い”打ち手は確かに綺麗な印象はある、、、これは形勢判断に基づいて、先を見通したら戦いを継続する意欲がなくなったということでしょうが・・・そこから、もう少し頑張るとか、起死回生の手をひねり出す。あるいはひねりだそうとするというのもアリなんでしょうし。
 もっと嫌味っぽく言うと、、、もしもいつも潔いとしたなら、、、
  そこの場面に至るまでの過程について反省・振り返りが足りないのでは無いかとも考えてしまう。
 潔い相手は嬉しいけれど、しかし一面「粘りが無い」とも言えるかも
  尤も、見通しの無い碁を何時までも打つ人も困るけれど・・・
 ということは程々が良い
  きっとこれは程度の問題ではなくてケースバイケースですね
 満開の桜の下を走りながら・・・

 夕べの職場の歓迎会での新所長の挨拶です
 「心と体の健康・・・ストレスを貯めない・・・笑いのある職場・・・」最近の世相を考えたらよい挨拶で、良い所長かも知れません。
 しかし、一方で私はやや白ける気分も持っています。
  つまりトップはスローガンを言ったに過ぎないのですから
  方針はのげられたとしても、では具体的に何をするのかは・・・
 「職場の中を歩き回って、いろんなことを訊きます、、、話しかけます、、、」ではあったけれど、さてさて
 私としては「今後囲碁・将棋をやりましょう」と奨励してくれる方が嬉しい。
  囲碁将棋に限らず、テニスコートだって持っているし、近くはジョギングコースもあるし、卓球だってバトミントンだってやろうと思えば出来る。
 だから、こういう具体的なことを言って欲しかった
  もっとも偉い人が声を大きくして言うと、新たなストレスが発生するかもしれないから、そこは難しいのかも。