毎年のように同窓会の案内が来ます。
尤も半分は偽物だとは思うのですが・・・それは「同窓会商売」のような気がします。
以前偶然に知ったのですが、東京のあるビルの一角に「○○同窓会・・・」という看板が出ていた。
どうやらそれはいろんな地方出身者の「同窓会業務代行」みたいでもあるし、「卒業者名簿」を作成して販売する業務でもあるらしい。
ですから、もしかしたら何らかのニーズがあって生まれた商売かもしれないけれど、なんとなく胡散臭い気もしてしまう。
私のところにも「○○高校同窓会」の名前で”卒業者名簿購入案内”が送られて来る。
それも毎年のようにです。
確かに毎年卒業者があるのだし、古い先輩たちも変化しているには違いない
が、しかし毎年のように送られてくる「名簿を買え」は故郷が懐かしいというより、何やらいやらしさを感じてしまいます。
昔みたいに活字を組んで印刷していたら、採算の部数が大きかっただろうが、今ならデータをパソコンに保存しておいて、変更と新しいデータを入力すればいいのだから、採算ラインがかなり違うということもあるのだろう。
まだ一度も買ったことが無い私に、「今度こそ買え」とばかりに案内状が毎年来るのです・・・DMの押し売りと言うか、我慢比べというか、あるいは新卒業生に販売したついで・残りを。
どの程度の売り上げ・購入者が居るのだろうか
新卒業生の何割かが買うのだろうが、運転免許センターで安全協会に入会するような感じかも・・・つまり卒業と卒業者名簿がセットみたいな・・・
それとも、「消防署の方から来ました・・・」みたいに半なりすまし商売?
そして、新卒で無いのに名簿を購入する人って居るだろうか?居るとすれば何のために、、、DM作りには役立つでしょうが、私は後輩にとっては役に立つ先輩ではないから、名前の後の住所・電話など空欄でいいでしょう。
ところで、本物の同窓会もあって、こちら方の案内状も来ます。
高校の同窓会で毎年幹事が変わるようで、嘗ての同窓生の名前が並んでいて、「○月○日△△ホテル・・・」とあるから、こちらは間違いなく同窓会だろう
返信用葉書の出欠に印をつけて、一言コメントを書く・・・つまり毎回欠席
というのも「同窓会アレルギー」というか「同窓会シンドローム」というか、そういうものがあるような気がする。
私が小学校6年の時、クラスの担任の先生とクラスの生徒の殆どが折り合いが悪かった・・・所謂「先生」と言う感じに馴染めなかったというか、甘える気になれないというか・・・そういう感じで、当時私が学級委員長。
卒業間近のある時、その先生自身から「同窓会について、委員とかどうするのか決めて置いてくれ」みたいな提案と言うか指示があった。
つまり生徒の自発的行為が無いことに先生が焦りを感じて発言したのかも知れない。
教師から見て、当然行われることが無いということで催促みたいな、、、
私とクラスメートはそれを無視・拒否し続けた。
イヤ、私の一存であったかもしれない・・・クラスメートの意志を感じて
ですから、小学校の同窓会は1度も呼びかけも無いし、開かれても居ない。
中学校時代の同窓会は1度行われた。
これは高校時代だったから、流石にまだ早かったかもしれません。
卒業して別々の進路とはいえ、たいていは地元に住んでいて、町を歩いていれば顔をあわせることもあるのだから、、、
それに、時間の経過というか、「アノ頃は楽しかったネ」みたいな話題も、「今どうしている?」も熟していないというか。
次回の幹事を決めた筈だけれど、今のところ2回目は開かれていない。
さて、高校時代の同窓会
今まで何十回も欠席に丸をつけて返信用の葉書を送ったのですが、、、私は自分で考えて、どうもこういう催しが苦手だということに気がついた。
もし、旧友に出会ったとして何を話すのかイメージが無い。
年令から見たら、4昔以上も昔の話。
マア、思い出話に花を咲かせるというのもあるのかも知れないが、「まだそんな年ではないゾ」と思いつつ何年も経ってしまったような。
本当は、年取った姿を晒すのがイヤだという、見栄もあるし
高校時代は少しワルみたいなところがあったから仕返しが怖い!?・・・
第一旧友と杯を交わす・・・この図が有り得ない(飲まないし)
それに、大勢の中の一人という宴会形式は苦手ですね、数人で料理をつつきながらジックリ話をするのならいいけれど、大人数の方は反って疎外感がある。
でも、もしも第○期卒業生囲碁大会があれば・・・有りそうも無いけれど
きっと出席するだろう。
同期420人居たのだから、確率5%でも21人同じ趣味の人が居るはず。
それに当時の先生の中にも数人は打つ人が居るはず。
更に前後5年・・・10期程度合同なら対象は200人くらいになるはずです
もっとも、何のための碁会と聞かれると、何のための同窓会と同じですから、どうどう巡りです・・・
碁を打ちながら、「彼はこういう碁を打つのか」とか「性格は昔のまま・・・」、「勉強は出来たけれど碁は甘そう」とか感じることが出来るはず。
私にとって、お酒・料理・話を介して伝わるより、碁盤を通しての方がより自然に伝わってくるだろう。
そして、「1年経ったらまた碁盤を囲もう」になるはずなんだけれど・・・勝手な言い分で勝手な想像だろうな。
尤も半分は偽物だとは思うのですが・・・それは「同窓会商売」のような気がします。
以前偶然に知ったのですが、東京のあるビルの一角に「○○同窓会・・・」という看板が出ていた。
どうやらそれはいろんな地方出身者の「同窓会業務代行」みたいでもあるし、「卒業者名簿」を作成して販売する業務でもあるらしい。
ですから、もしかしたら何らかのニーズがあって生まれた商売かもしれないけれど、なんとなく胡散臭い気もしてしまう。
私のところにも「○○高校同窓会」の名前で”卒業者名簿購入案内”が送られて来る。
それも毎年のようにです。
確かに毎年卒業者があるのだし、古い先輩たちも変化しているには違いない
が、しかし毎年のように送られてくる「名簿を買え」は故郷が懐かしいというより、何やらいやらしさを感じてしまいます。
昔みたいに活字を組んで印刷していたら、採算の部数が大きかっただろうが、今ならデータをパソコンに保存しておいて、変更と新しいデータを入力すればいいのだから、採算ラインがかなり違うということもあるのだろう。
まだ一度も買ったことが無い私に、「今度こそ買え」とばかりに案内状が毎年来るのです・・・DMの押し売りと言うか、我慢比べというか、あるいは新卒業生に販売したついで・残りを。
どの程度の売り上げ・購入者が居るのだろうか
新卒業生の何割かが買うのだろうが、運転免許センターで安全協会に入会するような感じかも・・・つまり卒業と卒業者名簿がセットみたいな・・・
それとも、「消防署の方から来ました・・・」みたいに半なりすまし商売?
そして、新卒で無いのに名簿を購入する人って居るだろうか?居るとすれば何のために、、、DM作りには役立つでしょうが、私は後輩にとっては役に立つ先輩ではないから、名前の後の住所・電話など空欄でいいでしょう。
ところで、本物の同窓会もあって、こちら方の案内状も来ます。
高校の同窓会で毎年幹事が変わるようで、嘗ての同窓生の名前が並んでいて、「○月○日△△ホテル・・・」とあるから、こちらは間違いなく同窓会だろう
返信用葉書の出欠に印をつけて、一言コメントを書く・・・つまり毎回欠席
というのも「同窓会アレルギー」というか「同窓会シンドローム」というか、そういうものがあるような気がする。
私が小学校6年の時、クラスの担任の先生とクラスの生徒の殆どが折り合いが悪かった・・・所謂「先生」と言う感じに馴染めなかったというか、甘える気になれないというか・・・そういう感じで、当時私が学級委員長。
卒業間近のある時、その先生自身から「同窓会について、委員とかどうするのか決めて置いてくれ」みたいな提案と言うか指示があった。
つまり生徒の自発的行為が無いことに先生が焦りを感じて発言したのかも知れない。
教師から見て、当然行われることが無いということで催促みたいな、、、
私とクラスメートはそれを無視・拒否し続けた。
イヤ、私の一存であったかもしれない・・・クラスメートの意志を感じて
ですから、小学校の同窓会は1度も呼びかけも無いし、開かれても居ない。
中学校時代の同窓会は1度行われた。
これは高校時代だったから、流石にまだ早かったかもしれません。
卒業して別々の進路とはいえ、たいていは地元に住んでいて、町を歩いていれば顔をあわせることもあるのだから、、、
それに、時間の経過というか、「アノ頃は楽しかったネ」みたいな話題も、「今どうしている?」も熟していないというか。
次回の幹事を決めた筈だけれど、今のところ2回目は開かれていない。
さて、高校時代の同窓会
今まで何十回も欠席に丸をつけて返信用の葉書を送ったのですが、、、私は自分で考えて、どうもこういう催しが苦手だということに気がついた。
もし、旧友に出会ったとして何を話すのかイメージが無い。
年令から見たら、4昔以上も昔の話。
マア、思い出話に花を咲かせるというのもあるのかも知れないが、「まだそんな年ではないゾ」と思いつつ何年も経ってしまったような。
本当は、年取った姿を晒すのがイヤだという、見栄もあるし
高校時代は少しワルみたいなところがあったから仕返しが怖い!?・・・
第一旧友と杯を交わす・・・この図が有り得ない(飲まないし)
それに、大勢の中の一人という宴会形式は苦手ですね、数人で料理をつつきながらジックリ話をするのならいいけれど、大人数の方は反って疎外感がある。
でも、もしも第○期卒業生囲碁大会があれば・・・有りそうも無いけれど
きっと出席するだろう。
同期420人居たのだから、確率5%でも21人同じ趣味の人が居るはず。
それに当時の先生の中にも数人は打つ人が居るはず。
更に前後5年・・・10期程度合同なら対象は200人くらいになるはずです
もっとも、何のための碁会と聞かれると、何のための同窓会と同じですから、どうどう巡りです・・・
碁を打ちながら、「彼はこういう碁を打つのか」とか「性格は昔のまま・・・」、「勉強は出来たけれど碁は甘そう」とか感じることが出来るはず。
私にとって、お酒・料理・話を介して伝わるより、碁盤を通しての方がより自然に伝わってくるだろう。
そして、「1年経ったらまた碁盤を囲もう」になるはずなんだけれど・・・勝手な言い分で勝手な想像だろうな。