桜の花も満開の時期を過ぎて、折からの風と雨で花吹雪となっています。
当地は殆どがソメイヨシノですが、TVで見るとしだれ桜の濃いピンクも綺麗ですね。
いずれにせよこの辺りでは桜前線が通り過ぎたと言うところです。
この時期の桜・・・小学校の入学式の時期ですね
私は子供の頃、小学校1年生の「こくご」の教科書を見るたびに、嘘っぽいものを感じていました。
教科書の表紙は満開の桜の下、和服に黒い羽織のお母さんに手を引かれ、1年生が校門をくぐるところです。
マア母親については、当時はこんなものかも知れません。
当時のクラスメートの母親で、若い親は既に着物で入学式は来なかったように思うけれど、私の親に限って言えば、親の中でも年令が高かったこともあり、副業で和裁をしていたこともあり、概ね教科書の表紙どおりだったとは思う。
(何と言っても5人兄弟の末っ子の親と、若い親では相当に年令が違う)
しかし桜が!
実は学校に桜の木が無かったから、、、それに入学式の時期には桜は終っていたはず・・・
いずれにせよ、入学式=桜という図式は成り立たないはずで、、、
小学校1年の頃から、こういう固定観念というかパターン化というか、それと現実が必ずしも一致しないことに拘りがあったので、教科書の表紙の絵が嫌いでした。
マア、捻くれ坊主だったのでしょう
ところで「花祭り」という曲がありますね。
フォルクローレの花祭り・・・ケーナとチャランガと太鼓・・・学生時代にウニャ・ラモスという演奏家のステージで生で聞きましたが、今でも耳に残っているのですから、性格も耳も相当しつこいです。
インディオの音楽では「コンドルは飛んでいく」は勿論好きですが、私としては花祭りは大好き
丁度、桜のシーズンから、花屋さんの店先に花が溢れる時期と言うか・・・
私・音痴なので歌は鼻歌もダメですが、頭の中では「花祭り」が鳴っています
そしてインディオの花祭りとは関係ないはずですが、4月8日お釈迦様のお祭り
潅仏会ですから、お釈迦様の像に甘茶をかけるお祭りが、どういうわけか重なってきてしまいます。
春・本格的に花の咲く春になった時期と、花のイメージがこんがらがるでしょう
もっとも実際にお釈迦様に甘茶をかけたのは一度しか無いはず
私が就学以前当時に通った保育園、私は1年保育でしたが、、、そこはお寺で経営している保育園でしたから、「潅仏会」には園児が参加するのです。
お釈迦様の像の周りをグルグル回った記憶、黒くて甘茶で濡れて光っている像に甘茶を小さな柄杓でかけた記憶・・・半世紀以上の前の記憶。
さて、こんなにいい時期なのに、これは心が浮き立って、ついでに囲碁も調子がよくなるということには成らない。
考えてみれば当然で、私にとって春は、全国的に春なんですから、私だけが花祭りと言うわけには行かない。
昨日今日と連敗しました。
どちらの碁も、立ち上がりの布石の拙さに原因がある
序盤から打ちにくくし、形勢挽回ならずに負けたり、あるいは挽回を図って無理な手を重ね・・・肝心なところを手抜きせざるを得ない状態で、そこを咎められて、いずれも完敗。
マアこれほどハッキリした負けのほうがサバサバはしていますが、あまりの自分のふがいなさに呆れる程でもある。
強くなれば勝てるようになる?・・・勝てるように強く成りたい!
若い頃ならこういう気持ちが強かったでしょうが、、、今は、基本的・建て前としてはその通りですが、本音は「明日の風向きが変われば、いいこともあるかも知れない」・・・良い事があってもなくても止められませんが。
当地は殆どがソメイヨシノですが、TVで見るとしだれ桜の濃いピンクも綺麗ですね。
いずれにせよこの辺りでは桜前線が通り過ぎたと言うところです。
この時期の桜・・・小学校の入学式の時期ですね
私は子供の頃、小学校1年生の「こくご」の教科書を見るたびに、嘘っぽいものを感じていました。
教科書の表紙は満開の桜の下、和服に黒い羽織のお母さんに手を引かれ、1年生が校門をくぐるところです。
マア母親については、当時はこんなものかも知れません。
当時のクラスメートの母親で、若い親は既に着物で入学式は来なかったように思うけれど、私の親に限って言えば、親の中でも年令が高かったこともあり、副業で和裁をしていたこともあり、概ね教科書の表紙どおりだったとは思う。
(何と言っても5人兄弟の末っ子の親と、若い親では相当に年令が違う)
しかし桜が!
実は学校に桜の木が無かったから、、、それに入学式の時期には桜は終っていたはず・・・
いずれにせよ、入学式=桜という図式は成り立たないはずで、、、
小学校1年の頃から、こういう固定観念というかパターン化というか、それと現実が必ずしも一致しないことに拘りがあったので、教科書の表紙の絵が嫌いでした。
マア、捻くれ坊主だったのでしょう
ところで「花祭り」という曲がありますね。
フォルクローレの花祭り・・・ケーナとチャランガと太鼓・・・学生時代にウニャ・ラモスという演奏家のステージで生で聞きましたが、今でも耳に残っているのですから、性格も耳も相当しつこいです。
インディオの音楽では「コンドルは飛んでいく」は勿論好きですが、私としては花祭りは大好き
丁度、桜のシーズンから、花屋さんの店先に花が溢れる時期と言うか・・・
私・音痴なので歌は鼻歌もダメですが、頭の中では「花祭り」が鳴っています
そしてインディオの花祭りとは関係ないはずですが、4月8日お釈迦様のお祭り
潅仏会ですから、お釈迦様の像に甘茶をかけるお祭りが、どういうわけか重なってきてしまいます。
春・本格的に花の咲く春になった時期と、花のイメージがこんがらがるでしょう
もっとも実際にお釈迦様に甘茶をかけたのは一度しか無いはず
私が就学以前当時に通った保育園、私は1年保育でしたが、、、そこはお寺で経営している保育園でしたから、「潅仏会」には園児が参加するのです。
お釈迦様の像の周りをグルグル回った記憶、黒くて甘茶で濡れて光っている像に甘茶を小さな柄杓でかけた記憶・・・半世紀以上の前の記憶。
さて、こんなにいい時期なのに、これは心が浮き立って、ついでに囲碁も調子がよくなるということには成らない。
考えてみれば当然で、私にとって春は、全国的に春なんですから、私だけが花祭りと言うわけには行かない。
昨日今日と連敗しました。
どちらの碁も、立ち上がりの布石の拙さに原因がある
序盤から打ちにくくし、形勢挽回ならずに負けたり、あるいは挽回を図って無理な手を重ね・・・肝心なところを手抜きせざるを得ない状態で、そこを咎められて、いずれも完敗。
マアこれほどハッキリした負けのほうがサバサバはしていますが、あまりの自分のふがいなさに呆れる程でもある。
強くなれば勝てるようになる?・・・勝てるように強く成りたい!
若い頃ならこういう気持ちが強かったでしょうが、、、今は、基本的・建て前としてはその通りですが、本音は「明日の風向きが変われば、いいこともあるかも知れない」・・・良い事があってもなくても止められませんが。