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預かり物の置いてあったスペースが広がったのでさっぱりしましたが、元々4人家族だったのが今は夫婦のみなので、少し寂しいとも言えます。
”物”も賑わいのうちだったかもしれない。
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昔々見た映画だったか・・・母が若かった頃、主演が森繁だったような気がしますが「元の二人に戻りました」という台詞が突然頭に浮かんできます。
母がその台詞を呟いて「いつかはそうなるでしょうね」と言ったのが妙に印象的だった記憶がある。
その映画は見ていないし、どんな場面で言われたのか想像でしかないのですが
そのシーンを見た5人も子どもを生んだ母親でさえそういう感傷を持ったらしい
恐らく、今の私たちの状況に似ているかも知れません。
さて娘たちの新居の住所の書付を見ながら、女房殿が県内の区分地図を広げながら「多分この辺りね。ここなら勤めの帰りにJRを途中下車して私鉄で4駅。そこから歩いて5,6百メートルだから直ぐに寄れそうね」と言っている。
確かにこの人のパワーと行動力からすれば、きっとそうなるに違いない
これは、私にとってはかなりの警報でもあるのです。
第一にもしも女房殿と一緒なら、例え500mでもあちらのスピードに合わせるのは大変です。
当方は循環器も筋肉も問題だらけですから、、、でも一人で行くのも、、、
つまり、若夫婦にとって嫁さんの母親だから気軽に寄り易いし相当当てにされているところもある・・・そして実際に勤めの帰り道に寄るとすると・・・携帯に電話を掛けるかメールで
「遅くなるから、一人で夕食を済ましておいて!」と成るはず。
これが例えば孫娘の看病だったりしたら・・・「私が行って手助けしなければいけないのよ」となり、更に「ジイサマはホントに役に立たないんだから」に成ることは必至・・・近未来が見え隠れしている。
まさにその通りだから言い返す気力も無いのだけれど
そうなったら、コンビニでお弁当を買ってきてネットで碁を打つしかないだろう
私の唯一の緊急避難・シェルターです
何やら疎外感があるが、それを避けるためにはジイサマとしては孫の看病などをして良いジイサマになるしかない・・・ジイサマには良いジイサマに成るか、役立たずと言われながらも好きなことをしているか・・・そういう選択肢ですね
バアサマには後からでも割り込んで行けるるようなパワーがありそうで、疎外感とは縁が無さそうですが、ジイサマ(私)の方はちょっと弱そうな気がするし、どちらの選択肢を選んでも疎外感とは縁が切れそうも無い。
家族の中に居ても疎外感を感じる方がおかしいのかも知れないけれど、私は人の中にいるだけで程度の差は有っても疲労感が残る
恐らくブツブツ言いながらもネット碁を打ったり観戦したりしているに違いない
ということは、このジイサマにはパソコンとTVと食べ物さえ与えておけば、一人にしておいても大丈夫みたいな感じ。
(私の場合には定期的な検診と大量の薬も必要ではありますが)
ともあれ、将来に黒い雲が漂っている
娘と女房殿が仲が良いだけに危ない
実の親子だし、娘は母親を頼りにしているし、母親は娘を目に入れても痛くないだろうし、婿さんはウーマンパワーには無力だろうし・・・
となると弱い者通し、婿殿を味方につけるしかない!!
しかし、趣味がハッキリしない・・・パチンコばっかりやっているような・・・直ぐに友人と集まってお酒を飲んでいるような感じで、どうも波長が合いそうも無い。
婿殿から見ても変なジイサマだろうが・・・
唯一の円満解決法は彼に囲碁を教えるしかないのだけれど・・・実現すればどんなに素晴らしいか
しかし、”やってみたい”と言う気持ちを持たせるのだけでも大変だろう。
「ジイサマが一人で可哀想だから、少し付き合ってやろうかな」でも許すゾ!!
実際には娘夫婦が隣の市に引っ越してきたというだけで、まだ何も起こっていない・・・しかも孫娘?・・・まだ影も形も無い。
しかし近未来の想像は果てしなく続く、暇人の暇なGWなのです。