私は5人兄弟(全て姉・兄)の末っ子です。
兄弟が3人4人と言うのは珍しくなかった時代・・・まあ5人は多い方かも知れませんが。
一番上とは14才違いですから、姉と言うより何処かのオバサンみたいなもの
母の一番下の妹と、家の姉は年が近かったので、まるで姉妹みたいな付き合い・・・おかげで「伯母」だけれど「従兄弟」みたいな感じ
それはともかく、私は12才・小学校6年でオジサンになりまして・・・姉、兄の子供たちから「○○オジサン」と呼ばれるようになった。
ですからオジサンのベテランで、あと数年で半世紀オジサンをやっていることになる
今日のタイトルの「ぼくのオジサン」とは私で、甥・姪から見たオジサンです
(昔同名の映画がありましたが、内容は全然知らないのにタイトルだけはハッキリと覚えている不思議な映画)
さてオジサンこと私は、甥・姪には人気がある・・・と言うか多少尊敬されている(多分・・・)
それと同じ理由で彼らの親から(つまり私の姉・兄)からは「とんでもない」とレッテルを貼られている。
甥・姪から見ると「オジサンの生き方が理想!」「自分のやりたいことをやって生きている!」・・・と、こうなる。
確かに、確かにやりたいことをやっている、というか、やりたいことしかやっていないような感じ。
麻雀に血道を上げて、セミプロ数歩手前まで行ったり
毎週土日には、中山か府中にいたり・・・年末年始はは船橋で
そういうものから足を洗ったら、囲碁にどっぷり浸かって、まさに病コウモウニイル状態。
富も名誉も出世も関係ない暮らし・・・これでは親たちは「とんでもないことを言うな!」の大合唱です。
私にしても「尊敬するのは自由だが、これでなかなか大変なんだぞ」と内心思っている。
つまり好きなことをするには、外見「やらなくてはいけないことをやらない=だらしない性格」と映る筈ですが・・・マア当たっていますが、「堅固な意志?を持って、好きなことしかやらない」と言う覚悟が必要なわけです。
ですから、生半可な気持ちでは出来ないはず?
生活も女房殿に依存するところが大きいし、娘や息子たちから「何で打ちは貧乏なの」と言われても、平然と「何でだろうね?」という顔が出来なくてはいけない。
それで居て、ザルに過ぎない囲碁に夢中で・・・
掃除洗濯はしない、食事は作らない・・・夕食時に「ご飯ですよ」と声がかかっても「・・・まだ、、、もうチョット、、、今試合中」
このくらい堂々と出来るのだから、我ながらたいしたものです。
甥や姪たち! 本当にやりたい好きなものがあって、それが出来たら他はどうでもいい・・・そこまで出来るかな?
まあ、私にしても孫悟空がお釈迦様の手の平で暴れているみたいに、女房殿の手のひらで遊ばせて貰っているだけかも知れませんが・・・
さて何年か後、あるいは十数年後・・・「いい人生だったと思えるだろうか?」
私の予想では、何時までも煩悩の塊ですから「まだ遊び足りない!」と駄々をこねるでしょう。
兄弟が3人4人と言うのは珍しくなかった時代・・・まあ5人は多い方かも知れませんが。
一番上とは14才違いですから、姉と言うより何処かのオバサンみたいなもの
母の一番下の妹と、家の姉は年が近かったので、まるで姉妹みたいな付き合い・・・おかげで「伯母」だけれど「従兄弟」みたいな感じ
それはともかく、私は12才・小学校6年でオジサンになりまして・・・姉、兄の子供たちから「○○オジサン」と呼ばれるようになった。
ですからオジサンのベテランで、あと数年で半世紀オジサンをやっていることになる
今日のタイトルの「ぼくのオジサン」とは私で、甥・姪から見たオジサンです
(昔同名の映画がありましたが、内容は全然知らないのにタイトルだけはハッキリと覚えている不思議な映画)
さてオジサンこと私は、甥・姪には人気がある・・・と言うか多少尊敬されている(多分・・・)
それと同じ理由で彼らの親から(つまり私の姉・兄)からは「とんでもない」とレッテルを貼られている。
甥・姪から見ると「オジサンの生き方が理想!」「自分のやりたいことをやって生きている!」・・・と、こうなる。
確かに、確かにやりたいことをやっている、というか、やりたいことしかやっていないような感じ。
麻雀に血道を上げて、セミプロ数歩手前まで行ったり
毎週土日には、中山か府中にいたり・・・年末年始はは船橋で
そういうものから足を洗ったら、囲碁にどっぷり浸かって、まさに病コウモウニイル状態。
富も名誉も出世も関係ない暮らし・・・これでは親たちは「とんでもないことを言うな!」の大合唱です。
私にしても「尊敬するのは自由だが、これでなかなか大変なんだぞ」と内心思っている。
つまり好きなことをするには、外見「やらなくてはいけないことをやらない=だらしない性格」と映る筈ですが・・・マア当たっていますが、「堅固な意志?を持って、好きなことしかやらない」と言う覚悟が必要なわけです。
ですから、生半可な気持ちでは出来ないはず?
生活も女房殿に依存するところが大きいし、娘や息子たちから「何で打ちは貧乏なの」と言われても、平然と「何でだろうね?」という顔が出来なくてはいけない。
それで居て、ザルに過ぎない囲碁に夢中で・・・
掃除洗濯はしない、食事は作らない・・・夕食時に「ご飯ですよ」と声がかかっても「・・・まだ、、、もうチョット、、、今試合中」
このくらい堂々と出来るのだから、我ながらたいしたものです。
甥や姪たち! 本当にやりたい好きなものがあって、それが出来たら他はどうでもいい・・・そこまで出来るかな?
まあ、私にしても孫悟空がお釈迦様の手の平で暴れているみたいに、女房殿の手のひらで遊ばせて貰っているだけかも知れませんが・・・
さて何年か後、あるいは十数年後・・・「いい人生だったと思えるだろうか?」
私の予想では、何時までも煩悩の塊ですから「まだ遊び足りない!」と駄々をこねるでしょう。