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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

バタンキュウ

2010-02-03 04:19:06 | Weblog
 火曜日は勤めから帰って、夕食前にネット碁に接続したけれど、丁度同じくらいの相手がいなかったので観戦のみでした。
 もう少し観戦しながら待てば良いのですが、どことなく疲れているような気がして観戦を中断して退席・・・本当に疲れているのかどうかは自分でも分かりませんが、ここ2,3日は睡眠不足気味なのと、ゆっくり待つことが出来ないような感じがあるのでしょう。
 仮にこういう体調・心理状況の時に対戦相手が現れたりすると、多分その時の勝つ確率は50%以下に違いない・・・囲碁の勝敗は確率ではないと思うけれど、対戦して争うベースには体調・心理なども影響が大きいのでやはりその部分は棋力部分とは別に大きな要素の筈です。
 
 夕食後は久し振りにサッカーの試合をTV観戦。
  贔屓チームの選手が代表召集されて出場しているので、その応援観戦です。
 代表チームの試合とはいえ親善試合のなので、勝敗は余り拘らない応援。
  本来ならシーズンオフで寒い時期、今から体調を試合モードにしなくてはいけない選手たちも大変ですね・・・アスリートとしての体調としてはWC、レギュラーシーズン開幕を考えたら今からトップギアは早いのですが、それでは代表に選ばれない可能性もあるから今から突っ走ら無くてはいけない矛盾がありますね。
 などと思いながら観戦していた筈・・・イヤ引き分けのホイッスルを聞き中国人の審判が両手上げて試合が終わったシーンを見た筈ですが試合後のインタビューは憶えていない。
 気がつくと自分のベッドで寝ていて、ふと目を醒ますと日付が変わっていて<今日>になっていましたから「バタンキュウ」だったのですね。
 いやー、囲碁観戦とTVでのサッカー観戦なのに、体力の低下を感じます。

 「バタンキュウ」と言えば懐かしい思い出があります。
 この単語は普通は疲れて倒れるように座り込むとか、昨夜の私のように思わず寝てしまうような状態を表しますが、当地ではある物の固有名詞だった。
 それを聞いたのは40年も昔のことですから、私の記憶もしつこいと言うか”昔のことほどよく憶えている”状態なのか・・・ともかく「どうでも良いことは細かな事をよく憶えている」性格。
 当地は東京から今では快速電車で30分余りの土地ですが、昔は江戸とは江戸川と言う川で隔たれていたし、半島の形なので首都には近いけれど地方独特の物も残っていた。
 私が学生の時代は方言も健在?だったようです。
  例えば大衆食堂に行ってご飯を食べるとします。
 そこのオバサンが調理兼店番で、客である私に「オメー何にする?」と言う調子です。
  別に悪気も無いし乱暴でも無く、こういう調子です。
 
 この土地育ちの学生時代の友人が「ペンペンに・・・」と言っていたのが分かりませんでしたが、意味を聞くと「一杯一杯」の状態を表わす言葉だそうで、なるほどと思った事を思い出します。
 土地の若者たちもお互いに「ニシャー」などと言っていました・・・こういう部分は外国語が飛び交っているような感じ。
 意味としては「おぬしは」が訛ったものでしょうから、案外丁寧な言葉なのか、ともかく「あなたは」「お前は」「君は」などの親しい間での表現らしい。
 マアしかし外から来た住民が半数を越えるころには。こういう言葉も消えて行ったようです。
  そういう言葉の中に「バタンキュウ」もあります。
   これは言葉がそのものが消えたことと、言葉が表わす物が消えて行った事でもある。

 バタンキュウは単純な仕組みの物・・・5,60センチほどの少し重みのある木の板と20センチくらいの角材の棒でその棒には紐が結びつけてある・・・それだけ。
 何をする物か?。
  庭に木の板を斜めにして木の棒で支えた状態にします。
 その板の下の地面に御米などを撒いて置き、支えの棒につけた紐の端を持って物陰に隠れる。
  そうです、スズメを捕まえる道具なのだそうです。
 実際にこういうものでスズメが捕まったかどうかは知りませんし、試したこともありませんが、こういう名前が残っていると言うことは子供でも捕まえることが出来たのかも知れません。
 本来は大きめのザルを斜めにして木の棒で支えた物のような気がしますが、板ですと逃げ遅れたスズメがまさに「バタンキュウ」になりそうです。

 ともあれ昨夜は私がバタンキュウだったらしい。
  4,5時間眠って一応緊急充電が終了しブログ更新、外は新聞配達の音がしていて、あと1時間もしないうちに女房殿が起きて来るでしょう。
 私?、水曜日は休みなので、ゆっくりバタンキュウの予定です。