なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

目先の1目

2010-02-08 00:41:28 | Weblog
 「なんと言うことだ」と言うような一局でした。
 手合いは向う先でコミ2目半出しで、初めてか過去に1回くらいは打ったことがあるかも知れない人です。
 リストで御名前を拝見した記憶が曖昧・・・但しその人は合計4000局以上対局記録があるので
私の倍以上このネットでのキャリアはある。
 と言うことは相手から見れば「比較的新しい会員ですね」になりそうです。
  何かの団体で長老が多ければかなりの年になっても”若手”扱いですから。
 例えば地方の消防団とか青年団とか・・・世の中の若手と基準が違っていたりします。
  
 話を戻しまして
  打つ前に「要注意信号」が出ました・・・(私の頭の中だけですが)。
 お相手からの挨拶メールが定型文ですが「お相手をしていただいてありがとうございます」
  この文を選んで送って来る人は私としては「宜しくご指導お願いします」の人に次いで要注意。
 ちなみに、単に「お願いします」あるいは「宜しくお願いします」なら普通。
  私の感覚では丁寧な挨拶をする人ほど怖い。
 実生活ではいい加減な挨拶しかしない人は論外ですが、要するに「きちんと」であって「普通」が良いのと同じではないでしょうか。

 そういう事で碁の方は立ち上がりから、いつもよりは慎重に打ち進めまして、何とか優勢だと自覚する終盤。
 大寄せもそう沢山残っていない場面で痛恨の大チョンボ。
  相手のヨセの手に間に合わせの手で応じ、逆に相手に一手の手入れを要求するような手を・・・
 これが、実質で僅かに1目だし、相手にとってはいずれは受けるにしても即応じる必要は微妙なタイミング・・・加えて自分の手抜きした部分は攻め合いになった場合1手読み違い!。
 つまり目先の1目に目がくらみ、半潰れになってしまいました。
  打ってしまったものはどうしようもないない・・・あとは投了の一手のみです。
 局後一人で居残り反省。
  仮に相手の打つ手にきちんと受けていたら・・・盤面でも7,8目残っている。
 自分でも優勢だと意識しているのに、いざ実戦では相手の先手に切り返して先手を取ろうとする意識が出てしまう。
 10目勝ちでも11目勝ちでも、、、。
 普段ですと、優勢ならばだらしないほどにイエスマンになるのに、時に眠っている本能が出てしまうと言うか。
 いや、中盤までは先手争いに意識が強いので相手の先を”いなす””切り返す”と言う意識は必要で、終盤になるとその意識を継続するかあるいは形勢によっては”安全第一”にスイッチが切り替わるかもしれないと言うことですね。
 尤も読みが正確ならば、厳しく打とうが軟弱に打とうが結果は変わらない・・・目先の1目に惑わされると言うことは「欲張り」であり「不正確」と言うことに・・・悔しいですね。
 結局土日は1勝2敗でした。