なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

6才から

2010-02-09 01:55:59 | Weblog
 7日の夜のことです、私が女房殿に「アノ故藤沢先生の孫がプロ棋士になったよ」と言うと、女房殿アッサリと「そうなんだってね」の返事・・・ナント知っていた。
 5日の出来事を私が知ったのは7日にネットの記事によるのですが、女房殿までが知っているとなるとこれは碁キチ限定のニュースではないと言う事でしょう。

 40年近く昔の話ですが、我が家(と言っても当時はアパート暮らしでしたが)は週末雀荘でして、女房殿は飲み物、ラーメン、灰皿などの世話係でしたが、ある時堪忍袋の緒が切れまして「私にも麻雀が打てるように教えて、且つ仲間に入れなければ家での麻雀禁止」宣言。
 この緊急事態に慌てて麻雀仲間が交代でコーチをして、何とか打てるようにしまして、麻雀のメンツに入れました。
 おかげで私が少々勝っても夫婦トータルではほぼチャラでしたが・・・。
  ところで『麻雀が憶えられたのだから、次は囲碁を教えよう』と思ったのですが、これが思惑外れでした。
 本人が「理解出来ない」と気持ちを閉ざし、教える方も力量不足。
 なんと言っても麻雀と違って憶えようと言う動機・意欲が全く違うのです。
  今にして思えば麻雀並みに週末徹夜碁会所にすれば良かったかも知れない・・・

 ともあれ、それ以後は私が「碁会所に行く」事に、「ああそう」状態で無関心状態。
  免状をすすめられた時に「せっかくだから貰っておけば」とお金を出してきたのに驚いたくらい、普段は無関心で、「私に囲碁を教えようと思わないで下さい」というくらい拒否反応を示しました。
 そういう女房殿が藤沢里菜さんのニュースを知っている!
  もしかしたら教師と言う商売柄の為?。
 マア普通のニュースと一緒に耳に入っただけかも知れません。

 ところで記事によると「6才の時に囲碁を始め・・・」とある。
  「なんと6才」と言うより、「やはり6才」でしょう。
 お芝居にしても、歌舞伎、習い事の家元など、6才から始めると聞いたことがあります。
  6才と言うところに何か意味がありそうです。
 勿論ご本人の才能が第一でしょうが、「三つ子の魂ならぬ6才の魂」という形で、動物としての成長の意味もあるような気がします。
 スタート時期ととして最も良い時期にスタートして、理想的な環境があったと思われます。
  でも、5,6年で最も難しい第一関門クリアーと言うのは素晴らしい。
 
 これから何年かしたら、棋聖のDNAとか名人のDNAとかの戦いが見られるかも知れませんね。
  それも楽しみです。