土狸庵ゆめ日記

土タヌキおやじのひとりごと。

あけましておめでとうございます。

2013年12月31日 13時08分54秒 | 日記


午(馬)に見えるか心配でしたが、これが実力と観念しました。





今年は歳男です。
最後の跳ね年にしたいですね。

よりしくお願いいたします。


迎春準備

2013年12月28日 19時41分31秒 | 日記
これといったニュースもないことを良いことに、
ちょっと更新をサボったので、心配のメールをいただいた。
ありがたいことです。
元気ですのでご安心ください。

お正月の飾り付けをするのに、昨日の大安が良いと聞き、
出かけたついでに材料を買ってみた。
いろいろ豪華なものもあるが、どうも好きになれない。
そこでいつも自己流に飾ることにしている。



こちらが玄関のドアにあしらった松飾。
松と造花の梅に小さな〆飾りでまとめてみた。




こちらは玄関の中。
一閑張りの箕に竹筒を置き、松と千両に小さな〆飾り。
我が家にふさわしいと気に入っている。

さて、次は庭の落ち葉の整理と部屋の片づけ。
それに年賀状の印刷もまだだ。

はてさて・・・。

一閑楽座考10

2013年12月20日 09時31分44秒 | 一閑張り考


あれやこれやの試行錯誤の結果は、どうやら「素」に戻るような気がします。

周りの目を意識すると、どうしても受けを狙うようになるし、
売れることを目的にすると飾り過ぎになるのも自然です。

それが良いとか悪いとか言うつもりはありません。

自分の中で「何が目的か?」「何か違わないか?」と問うたときに、
次第に見えてくる、感じてくるものがありました。

利休の「侘び」や武蔵の「空」の境地に通じるのでしょうか。

いえいえ、そんなレベルには到底なれませんが、
何か、気持ちの中に軽い解放感を感じられるときがあるのです。

興味のない方からみればゴミと紙一重の作品たちの中で、
試行錯誤の日々がつづきます。

美女と・・・!

2013年12月16日 08時20分09秒 | 日記


良い写真でしょう!

気の毒な独居老人を励ますボランティアのみなさん・・・?
そんな微笑ましい雰囲気のワンシーンです。

新しいカメラで写真の勉強中のさえ子さんの演出で、
なごやかな良い写真が出来ました。

おかげで寿命が3年は伸びました。

本当は非公開の約束でしたが、あまりの感動に公開してしまいました。
美女友のみなさん、さえ子さん、ごめんね!

清水こまつ教室閉幕。

2013年12月13日 18時53分30秒 | 日記


清水駅前銀座商店街のこまつやさんで開催していた一閑張り教室が、
12月12日をもって終了しました。

こまつやさんの閉店にともなって、別の会場でもと思ったのですが、
思うような場所も無く、自身の体調のことも考えて決心しました。

現在登録中の40余名の生徒さんは、皆さんかなり上達しており、
自分の世界を拓くには良い機会になると思っています。

また、清水地区には別の一閑張り教室が複数あり、
これから学びたいという方にも不便は無いと安堵しています。

約8年のあいだに、のべ200名ほどの生徒さんが通ってくれました。
本当にありがとうございました。

今後は、自宅と藤枝の教室を軸に、あまり手を広げずに、
一閑張りの新しい可能性を求めながら、楽しめたらと思っています。


一閑楽座考9

2013年12月09日 17時54分30秒 | 一閑張り考
最近の過飾気味な一閑張りに疑問がわいていたところで出会ったのがコレ。



生徒さんが知人からいただいたものだが、さすがにコレは無理!と、
捨てるというのでいただいた。
その荒れた姿に、逆に創作意欲がわいてきた。



出来るだけ原形を残し、下張りをして古文書を張り渋を塗る。
穴の開いた部分も無理にふさがないで、素材の持つ侘びた雰囲気を残す。
これにはもう絵柄は要らない。あとはどう利用できるか考える。



こちらは花活けに活用した例。ペットボトルを黒い和紙で巻き花瓶とした。
両手を広げたような形状が、朽ちたカゴとは思えぬ生気を感じさせてくれる。



一閑張りの枯れた風情には、路傍の草花こそが良く似合う。





ひとつの方向を見い出せたようで、好きな作品達になった。





一閑楽座考8

2013年12月06日 02時55分47秒 | 一閑張り考


こちらが最近の椿の絵。
葉が薄墨になり、花の形もかなり変わって、
自分では、少し大人の感じがしていると思っている。

元々の一閑張りには絵は普通入らない。
古文書などの墨文字に柿渋が塗られているだけだ。

でも、文字だけではつまらないし、まず楽しくない。
そこで、最初は絵手紙風に文字と絵をからめて入れてみた。
それがけっこう楽しくて、あんがい好評だった。

問題は柿渋だった。
和紙だけでは水気に弱いため、丈夫にするために柿渋を塗る。
柿渋は、年月を経るごとに濃く変色するのが特徴だ。
そのため、せっかくのきれいな絵が見えなくなってしまうのだ。

まあ、それが本来の一閑張りの姿と思えば良いのだが、
そんな中でも、この赤い椿は頑張ってくれるのが嬉しい。



残念に思うのは、一閑張りを飾り物と思っている人が多いことだ。
飾られたままで、埃をかぶった一閑張りを見るのは悲しいものだ。

蔓(ツル)のカゴを編む職人さんが言っていた言葉を思い出す。
「高価なものだから大切にしたいのは解るが、
 ビニールで包んで、押し入れに仕舞っている方が多いのが残念だ。
 あれでは蔓は育たない。カビが出たり、乾燥して朽ちてしまう。
 毎日使って手で撫でられることで、脂がつき艶と粘りが増す。
 一番良い色と艶が出るのは20年程先になる。
 そこまで使って育てて欲しいのだが・・・。」

一閑張りも同じことが言えそうだ。
本来は道具であるから、いろんなモノを入れて使って欲しい。
そして、折に触れ手で撫で愛でて欲しいのだ。
それによってより艶も出るし風格も増す、つまり育つのだ。

20年とは言わない。5年先を楽しみにして欲しい。
破れたり傷がついたりもするだろうが、
それを直すのも一閑張りの楽しみの一つだ。

数年すると柿渋も色褪せてくる。
そこで、補修し塗り直すことで生気を取り戻す。
それが出来て、本当のプロと言えるのかも知れない。










一閑楽座考7

2013年12月03日 21時19分52秒 | 一閑張り考


こちらは初期の頃の椿のバッグ。
薄墨のふちどりと緑の葉が特徴で懐かしい。

うちの教室では、入会するとまず椿を描く。

当初は、本物や写真の椿を見ながらスケッチしてもらった。
でも、大方の生徒さんは嫌がった。
そこで、楽に描いて形になる方法は無いかと考えた。
それが、お絵かき教室式の描き方だった。

「はい、丸を描いて、次に中を塗りながら・・・」
半信半疑で筆を動かす生徒さん達。
やがて、紙面にそれぞれの椿が咲きはじめる。

これが、写生と違って面白いほど個性が出る。
生徒さんたちも、おたがいの椿を見比べながら楽しそうだ。
以来、椿はうちの一閑張りの看板になっていった。

やがて、生徒さんたちも上達し、展示会や販売を望むようになった。
私は、やる気のある生徒さんにはそれを勧めた。
他人の眼や評価を受けることは、良い鍛練になると思うからだ。

おかげで、あちこちに同じような椿の柄があふれ出した。
「おい、お前の偽物が売られているぞ!」
友人からそんな連絡をもらうこともあった。



以来、生徒さんと間違われないようにしなければ・・・と、
私にとっても良い刺激になっていった。