「空気を読まない」という選択
会社や学校などで「あいつは空気を読めないな」とか「空気を読めよ」という会話がされることがあります。
ご存じのように「空気を読む」とは、その場の雰囲気や状況を察することです。
特に日本人は、和を乱さない、ということを大切にしている民族です。
そのため空気が読めない=協調性がないと認識され、協調性がないのはダメなことだと判断する傾向にあります。
「空気を読む」とは、その場で自分が何をすべきか、すべきでないかを、相手のして欲しいこと、して欲しくないことを憶測して判断する力です。
つまり、空気を読んで行動することは、相手がこうして欲しいと思うような振る舞いをするということです。
しかし例えば、上司の方針はおかしい、と思ってもみんなが意見しないから自分もしないでおこう。
この上司の方針は今の流れに合ってないと思っても揉めるのが面倒だから言わないでおこう。
つまり空気を読むことで、意見を言わない・判断しない、という風潮を作ってしまうことがあります。
空気を読むことと、空気に流されることは違います。
このことを理解し、必要な場面で「空気を読まない」という選択をしてチャレンジすることも必要になってきてます。
「空気を読む」ことは必要であり、不要である、ということです。
そして、大切なのは「空気を読む力をコントロール」することです。
「空気を読む力のコントロール」を身につけることが何より大切な気がします。