お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

「いつか使うかもしれないモノ」に限って一生使うことはない

2023-04-25 05:40:58 | 日記
「いつか使うかもしれないモノ」に限って一生使うことはない




私は今月2日に藤沢市(神奈川)から京都市に越して来た。

引っ越しの荷物を整理してると、よくもまあこんなに不要な物を溜め込んでたものだと唖然とした。

京都の部屋は少しは広くなるが、極力捨てていくことにした。

京都に着てからも、息子や孫達に着ない衣類を惜しみなくあげた。

お蔭で、部屋も心もスッキリした。

誰にでも「いつか使うかもしれない」「今は使わないけど、とりあえず取っておこう」というモノは多少なりともある。

私は今回の引っ越しで、こうした「いつか使うかもしれないモノ」は実際には一生来ないと実感した。

確かに完全に不必要というわけでもなく、これほど捨てにくいモノもない。

だからと言って、ため込んでいると、部屋の中が「いつか使うかもしれないモノ」だらけになる。

これらは、ゆっくりたまっていくだけに気づきにくい。

あなたの部屋の中にも「いつか使うかもしれない物」ありませんか?

それは一生使うことはないと考えることです。

いつ使うかもわからない物を部屋に置いていると、無駄なモノにスペースをとられる。

自分の部屋にするためにも「いつか使うかもしれないモノ」は捨ててしまうことである。

余計なモノは極力持たないシンプルな生活に心掛けたい。


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見栄を張るから、自分らしく生きられなくなる

2023-04-24 05:28:41 | 日記
見栄を張るから、自分らしく生きられなくなる
 
 

人間には虚栄心という心がある。

「人によく思われたい」「尊敬されたい」「かっこよく見られたい」「美人に見られたい」「見栄を張って強く見せたい」など。

本当はそうではないのだが、そう見せようとする。

特に恥ずかしいコンプレックスほど、見られたくないという心理が働き、隠そうと見栄を張る傾向にある。

弱い犬は、弱く見せないために、ワンワンと強そうに吠える。

しかし、ワンワンと吠えるがために、人から避けられ、同じ犬同士からも避けられることになる。

見栄を張って、時間やお金を無駄に使っても、人から避けられストレスを抱え込んでしまうだけである。

結局、見栄を張ってしまうと、人生をおかしくさせてしまう。

人間には弱さのない人はいない、弱さを素直に出したほうが生きやすい。

弱さに気づいた周りの人が、助けてくれることもある。

わからないことはわからないと言ったほうがいい。

わからないことを教えてくれる。。

見栄を張ると自分らしく生きることができなくなり、人生を踏み外してしまうこともある。

弱い人間が、辛い人生を送るのではない。

背の低い人が、哀れな人生を送るのではない。

無知な人が刑務所に入るわけではない。

見栄を張って生きてる人が、辛い人生を歩むことになり、正直に素直に生きてる人が幸せな人生を歩むことができる。


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幸せの実感は個人によって様々である

2023-04-23 05:20:21 | 日記

幸せの実感は個人によって様々である

 

京都に来て3週間、この決断は果たして私を幸せへと導いてくれるだろうか?

その答えは、私の行動次第で幸せの実感も捉え方一つである。

人間はいつも幸せを実感して生きて行くことは難しい。

幸せと不幸の繰り返しで生きているようで、そのどちらが多く感じたかは大した問題でない。

何故なら、幸せと不幸はそう感じる個人の物事の捉え方や価値観によって違うだからだ。

例えば、金欲や物欲、失うことの辛さ、病気等で健康を害した時、これらも個人によって捉え方は様々である。

どちらかというと、幸せも不幸も世間一般や他人と比較しているところがある。

生まれて死ぬまで幸せのままに暮らせる人はいない。

今こうして生きていて、なんとか生活できていることに幸せを感じる人。

更にお金を手にして自由で満ち足りた人生を送りたいができないと嘆いて不幸と感じてる人。

感じ方は本当に個人によって様々で、その基準もない。

つまり、人間誰もが幸せになりたいと思っている。

では,どう云う生活・生き方ができれば幸せだと実感できるのかを考えると、個人個人で感じ方はバラバラである。

毎日の生活の中で、殆ど変化もなく幸せとも不幸とも感じないこと自体、案外幸せな生活を過ごしているのかもしれない。

そう考えると幸せの実感は、ふとした時に何となく感じるものなのかもしれない。


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立場が人を作るのではなく責任の自覚が人を作る

2023-04-22 05:39:14 | 日記

立場が人を作るのではなく責任の自覚が人を作る

 

人は責任ある立場に就くと自ら思考し自らの意志で行動する。

人は、子どもを持つと親になる。

親の立場になり、その責任を自覚すれば、自ずと子どものことを考えるようになる。

子どもにとって良かれと思う行動を取るようになる。

人は、部下を持つと上司になる。

上司の立場になり、その責任を自覚すれば、自ずと部下のことを考えるようになる。

部下にとって良かれと思う行動を取るようになる。

人は、生徒を持つと先生になる。

先生の立場になり、その責任を自覚すれば、自ずと生徒のことを考えるようになる。

生徒にとって良かれと思う行動を取るようになる。

つまり、自ら思考し自らの意志で行動するキッカケを得たければ、責任ある立場に付くことである。

人はどんな立場にも責任が伴うので、それを自覚するだけである。

親であっても、子どもであっても。上司であっても、部下であってもです。

先生であっても、生徒であっても。他人であっても、自分であってもです。

それぞれの立場に、それぞれの責任がある。

もちろん、立場により責任の重さは異なる。

相対的に相手に及ぼす影響力が強い立場の方が責任は重い。

しかし、そうでない立場の方にも責任はある。

立場が人を作るのではない。責任の自覚が人を作るのである。

自ら思考し自らの意志で行動する自由を得たければ、責任ある立場に就くことである。

そして今、自分が置かれている立場の責任を自覚することである。


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人生では嫌われる覚悟も必要である

2023-04-21 05:23:55 | 日記

人生では嫌われる覚悟も必要である


人から嫌われるのは、できるだけ避けたいそして多くの人と仲良くやっていくに越したことはない。

多くの人と仲良くなるほど、協力や援助が得られ、目標に向かって加速することができる。

しかし、人生では必ず誰かに嫌われ、誰からも嫌われない人生はあり得ない。

世の中に様々な人がいるので、自分の意見や考えに同意してくれない人もいる。

つまり自分の信念を貫くなら、嫌われる覚悟も必要ということです。

誰かに嫌われたまま生きているのは辛くて悲しいですが、人生はそういうものだと割り切るしかない。

誰からも好かれようとする八方美人より、誰かに嫌われる覚悟のある人のほうが輝いて見える。

反対者がいるくらいでめげるなら、その程度の信念で嫌われたくらいで諦めるならその程度の夢である。

誰からも好かれることが、はつらつと生きていけることではない。

嫌われる覚悟ができた時、はつらつと生きていけると思う。

嫌われる覚悟ができた時、自由で自分らしく生きていけると思う。

人生は嫌われる選択肢も、視野に入れることが必要である。

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