お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

10人に一人は80歳以上という現実

2023-09-19 04:34:39 | 日記

10人に一人は80歳以上という現実


全国の100歳以上の高齢者が53年連続で過去最多を更新した。

その数は全国で合わせて約9万2000人で昨年から1600人以上の増加です。

性別では男性が1万550人、女性が8万1589人で全体の88.5%を女性が占めている。

これについては、人間の生物学的な特徴で深く考えても意味はない。

また、65歳以上の高齢者は3623万人で総人口に占める割の29・1%で過去最高で世界1位です。

内80歳以上は27万人増の1259万人で割合が10・1%と初めて10%を超えた。

つまり日本の人口の10人に一人は80歳以上ということです。

現在の日本の年齢別の人口分布は、ひし形のような形で30代から50代が一番多い。

そして、段々上下に行くに従って減少している構成になっている。

つまり、ここままの状態で推移すると、30年後には逆三角形の分布になってしまうということです。

当然に生産人口(16~65歳)は激変して日本のGDPは下落してG7ところがG20にも残らないだろう。

今、政府は躍起なって少子化問題(施策は別として)に取組んでる意味は理解できると思う。

少子高齢化問題はその勢いを増しながら着実に迫って来てる近々問題なのは確かだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宿命と運命の違いを知ることで

2023-09-18 04:26:04 | 日記

宿命と運命の違いを知ることで


宿命と運命は、同じような意味として捉えている人が多いようだ。

しかしこの2つの言葉には大きな違いがある。

「宿命」とは文字通り「宿る命」と書き、生まれつき宿っていることをいう。

一方「運命」とは「運ぶ命」と書き、生まれてから自分で経験を加えていく道のりのことをいう。

自分の力で運び動かすことが可能で自分でコントロールすることができる。

例えば「宿命」とは、人間として生まれたこと。

長男として生まれたこと。

日本人として○○家に生まれたこと。

これら全ては「宿命」で変えようがなく「生まれつき宿っていること」が宿命である。

一方「運命」は、どんな人と出会い、どんな経験をして、どんな学校へ行き、どんな仕事をして、どんな人と

結婚するか、これら全ては「運命」である。

自分の意思で行動を起こすことで決定され、命をどう運んでいくかを自分で決めることができる。

つまり自分次第である。

変えることのできない「宿命」は、既に決められていて自分ではコントロールできないことを知り素直に受け

入れることである。

一方「運命」は自分の意思や行動によって、いかようにも創造できることを知ることが大切である。

僕がこのテーマについて調べ自分なりに解釈したことをブログとして書き留め、考えや生活に変化が起きたとすれば、それも

「運命」ということである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間は考え方によってはちっぽけな存在

2023-09-17 05:12:39 | 日記

人間は考え方によってはちっぽけな存在


僕が今、死んでも地球は変わらず自転し、その地球が突然消えても太陽系は無くなることはない。

更に太陽系が万が一無くなっても宇宙は無くなることはない。

そんな考え方をすると地球上の一人の人間なんて、ほんのちっぽけな存在だといえる。

人生では様々な問題に直面し苦悩する。

例えば、親友との決別、受験の失敗、失恋、解雇、会社の倒産、離婚、死なども宇宙全体から見れば、一個人

の苦悩など取るに足らない、ちっぽけな問題といえる。

そして地球上で起こっている様々な出来事は、宇宙規模から見るとチリのようなものと思えてくる。

しかし、人間は自らの抱えている問題には、真正面から受け止め持てる力を発揮して乗り越えようとする。

時には、挫折して落ち込むこともあるが、宇宙規模から見ると抱えてる問題なとは無にも等しい。

このような考え方を知っておくことは、決してマイナスではない。

つまり、そんなに重大なことでもないと考えられるなら、少しは楽な気持ちになるからである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

携帯電話で頭を下げて謝る行為とは

2023-09-16 04:20:34 | 日記

携帯電話で頭を下げて謝る行為とは

 

先日、地下鉄のホームで電車を待っている時、不思議な光景を目にした。

携帯電話で話しながら、必死に謝っている30代くらいの男性。

「すみませんでした。申し訳ございませんでした」と、何度も言っていた。

ハンカチで額を押さえながら、頭を大きく下げて、謝っていた。

客観的に見ると滑稽な光景である。

携帯電話だから、頭を下げて謝っても相手には見えるはずがない。

おそらく本人も無意識のうちに、そうしているのだろう。

しかし、頭を下げる様子は、携帯電話で話している相手には見えなくても、誠意は伝わると思った。

頭を下げたり腰を曲げたりすれば、自然と声のイントネーションに、気持ちが表れる、

聞いている相手も、相手が頭を下げている様子が、目に浮かんでいることだと思った。

傍から見ると滑稽な姿だが、人としては実直で誠意のある方のように僕には見えた。

無意識に出る言動は、たとえ直面してなくても、人間性は伝わるものだとその時僕は思った。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒロシマ・ナガサキの写真展を見て

2023-09-15 04:16:44 | 日記

ヒロシマ・ナガサキの写真展を見て


昨日、区役所のロビーを通った時、ヒロシマ・ナガサキの原爆写真展がやってました。

ちらっとしか見なかったが、かなり生々しい写真もありました。

現在、世界にはアメリカ・ロシア・中国など9ヶ国が核兵器を所有している。

その数の合計は約12700発もの核弾頭と言われている。

現在、ロシアのウクライナ侵略でミサイルによる破壊で町や人々の悲惨な映像を眼にするようになった。

戦争とは一旦始まったら、このような光景が現実になってしまう。

核兵器に至ってはその数万倍の威力を持って、一瞬にして都市一つを消滅させる。

その後に、残った人間を数日で死に至らしめる放射能が降り注ぐ。

核兵器によってもたらされる平和は存在しない。

この世に存在することは決してあってはならないモノと全ての人間が認識すべきである。

そして、このことを全世界の人類が声を上げる時が、今まさに来ていると写真展を見て思った。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする