どうも私の体は疲れているようだ。
これは表現として間違ってはいるが、私の素直な気持ちがそうであることに嘘偽りはない。
なぜ自分の事なのに、第三者的な書き方をするのかといえば、それが多分私の欠陥なのだろうから仕方が無い。
最近の私は、疲れてくると手といい足といい、一日に何度も攣る。これが結構痛い。
ステロイドを飲み始めてからそれは始まり、今では日常茶飯事のようになり、更には慣れてくるのが人間怖いところだ。
でも自分で疲れていると感じた時に気をつけて無理さえしなければ、多分そうはならないのだと思う。
そこに私の不便がある
疲れていることを感じる時、その時は既に手が震えていたり、目眩がしていたり、激しく動悸がして不整脈が連発したり、
つまり、自分の感覚よりも体の違和感の方が先なのだ。
だから未然に疲れを防ぐ手立ては、時間単位で休みをとる事という事になる。
でもそれを傍から見れば、それはさぼりっ気の強いだけの人にしか見えないだろう。
世にはいろいろなハンデを抱えている人がいるが、私のそれは他人にとってはイライラ感が募る種でもある。
でもそれでは矛盾してしまう。
私がストレスを溜めないような行動をとることは、他人がストレスを溜める原因になりえる。
人は様々な場でそういう循環を繰り返し、そしてそれに気が付かないことも多々ある。
お互い様と言ってしまえばそれまでだが、それを言うのがどちら側かっていうのは重要なところで、ストレスを与える側がそう言ってやり過ごしてしまうのは、あまりにも無責任でお粗末だと感じる。
お互い様っていうのは、本来優しさを持って始めて成立する言葉だと、きちんと理解する必要がある。
自分の都合が悪い時、それを誤魔化す為に使う言葉ではないから。
またここに私の矛盾が発生した
私はまた迷子になる
いつになったら大人になれるのだろう?
迷う者を迷子と書く、迷える者はいつまでも子供なのだろう。