びっくりするほど、空が青い。白い雲も浮かんでいるが、「曇りのち雨」予報とは、程遠い快晴の空が広がっている。7時から15分ニュースを見て、その後15分、「はねこんま」の古いNHK朝ドラの再放送を見て、それから15分「エール」を見て(あまりに、鬱陶しい弟をぶん殴ってやりたい不愉快な気分になるが)、で、2014年春の「こころ旅」再放送を見て、ちょうど8時になるので、今朝は、ワイフと散歩に出た。
山の上まで行って、ひとまわりしてきたら、9時を回っている。それから、朝飯。昨日も、村の先生宅に書類を届けに行ったら、小さな筍を「持っていけ」と言われて、昨日朝処理して、夕方には鍋一杯に煮込んで、昨夕から食べている。なのに、今朝、また、今度は奥さんが、伸びきった竹のような大きな筍を3本もセメント袋に入れて、玄関先まで持ってきてくれた。
参った!いくらなんでも多すぎる。で、ふっと先輩社長に届けようと電話したが、つながらない。そういえば、明治橋近くの友人宅は? ここなら近い。で、電話して米糠と同時に届けて、庭先の畑前の流しで、その場で皮をむいて、すぐに茹でることができる状態にして、帰ってきた。
土建屋の悪友が感染した噂を聞いていたので、きっと私も感染、入院だと心配していたという。ありがたいことに、タバコをバカすか吸いながら、マスクもせずに大声でしゃべくりまくり、元気に「自粛」している、いつものつつましやかな生活をしているばかりの「お姿」を見せつけてきた。
それにしても、「下市山」の登り口の駐車場は、満杯だったぞ!
2020年5月4日(月曜日)緑の日 By Yahoo [ 16c/26c/60% 68k52f ]{ Gut0500 } 曇り
曇りのち雨の予報だが、濃淡のある雨雲は薄く、降りそうな気配はない。穏やかで、静かで、暖かい。窓全開で、室温は22度。
遠くまで見渡せる景色のいい田舎に住んでいて、ふっと思うのだが、晩年の秀吉の母親は、不幸だったに違いないって。中村の百姓が、どれほど豪華絢爛なお城住まいで贅沢三昧出来ても、晩年、顔見知りだらけの田舎村で、土にまみれた百姓暮らしに四季折々の生活を重ねる方が、はるかに「幸せ」だったに違いない。そんな心模様が手に取るように理解できる年頃になった。
百姓の辛さは、あくまでも「貧乏」という、金がないことだから、出世した秀吉が、時々「黄金」さえ密かに届けてくれれば、百姓屋で十分、幸せに一生を送ることが出来たに違いない。あの、弟だってその方が良かった。届けてくれる黄金次第で、家も次第に立派になるし、田畠も増えていく。村での地位も上がっていく。人は社会的な生き物だ。社会性が切断されたところに、幸せはない。
究極の「自由人」というのは、百姓なのだ。(私は、百姓ではないのだが)
まあ、人それぞれ、好きに、というか、選んだ人生を生きるしかないのだから、他人がとやかくいえた義理ではないけどね。今でも、隣のばーちゃんは「家に帰る」と口走って、玄関先の椅子に座っている。昔の家に帰りたいのだ。まさに、座っている後ろに、古民家再生した見違えるような家があって、その玄関から出てきているのに、「古い家」に帰りたいのだ。