山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ふとん丸けてものおもひ居る

2009-07-09 15:23:46 | 文化・芸術
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―表象の森― 精神分析の臨床と日常語

その著書「甘えの構造」はつとに知られるが、日本の精神分析、その黎明期をリードし後進に多大の影響を与えた土居健郎-5日死去、89歳-を悼む斎藤環の一文が、昨日の夕刊-毎日-に載っていた。
先達土居健郎の、卓越した臨床家としての側面は、名著「方法としての面接」でその片鱗をうかがい知ることができる、として続いた言挙げが判りやすくおもしろいので書き留めておく。

「わかる」という言葉を手がかりに
自分のことが「わかられている」と感じるのが分裂病
「わかりっこない」と考える躁鬱病
「わかってほしい」と訴える神経症
といった区分がなされる。

斎藤は、臨床において日常語がいかに発見的な機能を持っているか、このくだりからだけでも十分にうかがい知れよう、と結んでいる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-18

  雪の跡吹はがしたる朧月  

   ふとん丸けてものおもひ居る  芭蕉

次男曰く、折端、雑。天象を人事に奪い、「雪の跡吹はがしたる」に見合うのは「ふとん丸けて」だと作っている。敷いてないのではない、展べてあるか、展べかけて思い直したか、はだれ雪にさすおぼろな月かげに蒲団を丸める興を誘われた、とまず云っている。そして、じつは「ものおもひ」のたねがあったのだ、と恋含につないである。二句、待人来らず独り寝のさまか、つれなく帰った男に対する思いか、それとも亡き人の思出か、などなど話をさぐらせるところ、芭蕉はやはり恋上手である。尤も、句の人には当世風の女の姿はあるが、かぎる必要はない。

蒲団は現代では冬の季語である。蕪村の頃には冬に扱った例がいくつもあり、元禄頃にもそう見なしたらしい発句がある。支考の「削かけの返事」-享保13年-には「発句にすれば当季となり、平句にすれば雑となる物は、夜着、ふとん、居-すゑ-風呂の類也」と云う。平句では無季に扱うのが普通だったらしい、と。


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剥いでもらつた柿のうまさが一銭

2009-07-08 13:49:43 | 文化・芸術
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―山頭火の一句―
昭和5年の行乞記、10月4日の稿に
10月4日、曇、飫肥町、宿は同前-橋本屋-

長い一筋道を根気よく歩きつづけた、かなり労れたので、最後の一軒の飲食店で、刺身一皿、焼酎二杯の自供養をした、これでいよいよ生臭坊主になりきつた。-略-

今日は行乞エピソードとして特種が二つあつた、その一つは文字通りに一銭を投げ与へられたことだ、その一銭を投げ与へた彼女は主婦の友の愛読者らしかつた、私は黙つてその一銭を拾つて、そこにゐた主人公に返してあげた、他の一つは或る店で女の声で、出ませんよといはれたことだ、彼女も婦人倶楽部の愛読者だつたろう。-略-

行乞記の重要な出来事を書き洩らしてゐたーーもう行乞をやめて宿へ帰る途上で、行きずりの娘さんがうやうやしく十銭玉を報謝して下さつた、私はその態度がうれしかつた、心から頭がさがつた、彼女はどちらかといへば醜い方だつた、何か心配事でもあるのか、亡くなつた父か母でも思ひ出したのか、それとも恋人に逢へなくなつたのか、とにかく彼女に幸あれ、冀くは三世の諸仏、彼女を恵んで下さい。
※表題に掲げた句のほか9句を記している

特種二つとして、主婦の友や婦人倶楽部の愛読者だろうと決めつける前者と、丁重に十銭玉を呉れた行きずりの娘への山頭火の思い入れ、その対照がおもしろい。
雑誌「主婦之友」は1917-T6-年創刊、そのライバル誌ともいえる「婦人倶楽部」の創刊は1920-T9-年だ。大正デモクラシーの潮流のなかで、大衆的主婦層に向けた生活の知恵、暮しに根ざした教養と修養の啓蒙的雑誌だが、大正末期から昭和初期、飛躍的に愛読者をひろげ、主婦之の友は1934年-S9-新年号で108万部発行にまで至っている。その教養主義の大衆化は、古きよきものをないがしろにし滅ぼしていくことでもあったろうから、山頭火は苦々しい面付でこれを見ていたのだろう。

―表象の森― KAORUKO、出色

いや、驚いた、胸中思わず唸ってしまうほどに、
「天国のお母さん、大切なことを言い忘れました。
私を生んでくださって、ありがとう。」
たった二行の、その発語は、出色のものだった。

板の上にのること、虚と実の二相に引き裂かれつつ身を置くといった、その特異な局面が、我が身に否応もなく、一方で昂揚感をもたらし、また緊張感に包まれもし、我が事にあって我が事にあらず、舞台という世界に潜む遊び神にでもまるで背中を押されたかのように、たとえ幼な児といえど、無自覚なままに豹変、憑依してしまうものなのだ。

まこと白川静の云う「言葉とは呪能」である。そしてまた、身振りとは魂振りであり、際において窮まれる振りとは呪能そのものであろう。

振り返れば、昨年9月、ほぼ2年ぶりに再びはじめたDance Caféも、昨夜でやっと4夜を重ね、これが見事なほどに起承転結に照応していることに、ふと気づかされたものである。

バレエの申し子のように育ってきたありさを、世界もキャリアもまるで異なる此方の手法のなかにどのように棲まわせるか、そんな試行にはじまり、13歳のありさの世代にまで降りてゆけるのなら、8歳のKAORUKOにも届き得ようかというのが「Reding」であり、転でもあった、そんな一面がある。

むろん4夜の起承転結、その照応はこの一事ばかりではない。むしろ核というか本質というか、孕むべき劇的変容はもっと要のところで静かに進行しており、こと此処に到っているのだ。


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雪の跡吹はがしたる朧月

2009-07-07 11:24:49 | 文化・芸術
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Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―四方のたより― 今夜はダンスカフェ!

弁天のオーク200でお逢いしましょう。
            四方館亭主 林田鉄

―表象の森― Body Gear、角正之の手法

昨夜は、Dance Caféの前日というに、山田いづみからの熱い誘いもあって、角正之君たちの即興Liveを観に出かけた。
場所は阪急六甲駅そばのLivehouse.Maiden Voyage、午後7時に間に合うように六甲駅に降り立ったが、直ぐ開演かと思いきやなんのことはない、開場が7時で、7時30分の開演だった。

二部に分かれた前半は、部分的にDuo partもあったものの、いわば短いsolo集といったもの。角君も含め、小谷ちず子、越久豊子、三好直美、山田いづみの5人5態、各人の踊り方、個別の骨法の如きものがよく覗えて、それなりに楽しめた。
暫時の休憩を挟んで後半は、女性4人による即興だが、時間にして20分ほどか。演奏トリオはVoiceの北村千絵を軸にした編成で一定のまとまりを有するゆえか、一面聞きやすいが、いくぶん意外性に乏しい。

いつも観念的言辞を弄してやまぬ角君だが、その手法、音と動き、そして空間、それらの関係性や組立ての論理は、どうやら形式的論理の思考で貫かれたものらしい。
あくまで即興の、4人のその踊りは、約束事とて僅かなものしかなかったのだろうが、結果としては、ずいぶんと構成的なものになってしまって、前半を些か楽しめただけに期待は膨らんだのだったが、案に相違、裏切られるかたちとなった。

私の眼からすれば、原因ははっきりしている。4人の動きは、それぞれ2人、3人、また全員と、あまりにも即物的、直接的に、絶えず関係を採りすぎた。個々ひとりひとりの動きの世界が生み出され際立っていくなかで、関係の網の目を形成していこうと、そういう視点に立っていないように、どうしても私には映る。即興をとおしてどんな世界を現出せしめるか、志向しているのか、角君のアプローチと私の方法論の違いが、かなりはっきりと浮かび上がってきた、そんな一夜だったように思われた。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-17

   かれし柳を今におしみて  

  雪の跡吹はがしたる朧月  孤屋

次男曰く、根雪かそれとも春雪か、はだらに土の覗くあたりに朧月がさしている、という眺めである。積った雪を風が吹起したとも読めぬことはないが、それなら「雪の跡吹きはがされし朧月」と云えばよい。さてはあの雪を吹きはがしたのは朧月であったか、と見立てるところに俳趣を生む作りである。したがってこの「朧月」は、単に俳諧特有の投込の技法というのとも違う。

孤屋が月の座をこぼして花の跡見とした成行は先に述べたとおり。「雪の跡」と加えて雪月花三位の興の設けとしたところが洒落た工夫で、月花一所のつとめは歌仙に間々見かけるけれど、こういうはこびは他に例がない。古い歌にも雪月花を合せ詠んで成功した例は稀であるから、猶のこと眼にとまる、と。


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子供ら仲よく遊んでゐる墓の中

2009-07-06 23:51:43 | 文化・芸術
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Information – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月3日の稿に

10月3日、晴、飫肥町、橋本屋
すこし寝苦しかつた、夜の明けきらないうちに眼がさめて読書する、一室一灯占有のおかげである、8時出立、右に山、左に海、昨日の風景のつづきを鑑賞しつつ、そしてところどころ行乞しつつ風田といふ里まで、そこから右折して、小さい峠を二つ越してここ飫肥の町へついたのは2時だつた、途中道連れになつた同県の同行といつしょに宿をとつた。-略-

朝、まだ開けきらない東の空、眺めてゐるうちに、いつとなつて明るくなつて、今日のお天道様がらんらんと昇る、それは私には荘厳すぎる光景であるが、めつたに見られない歓喜であつた、私はおのづから合掌低頭した。-略-
表題に掲げた句のほか8句を記している

飫肥-おび-町は、現在の宮崎県南部、日南市の中心街だが、九州の小京都と称される古い城下町である。古くは戦国の世、伊東氏と薩摩の島津との間で100年にわたる国盗りの舞台ともなった飫肥城は、江戸期になって5万1千石の城下町となって代々伊東家が治めた。1977年には重要伝統的建造物群保存地区として、城下町らしい景観と飫肥城を復元するために大規模な改修が行われている。

その古い町並の静かな佇まいを伝えるPhoto群が<此のサイト>で観られる。

―四方のたより― 今日のYou Tube-vol.18-
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.8、終幕である。




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かれし柳を今におしみて

2009-07-05 23:12:53 | 文化・芸術
Santouka081130065

IInformation – 四方館 DANCE CAFE –「出遊-天河織女篇-」

―四方のたより― めずらしく連チャン稽古

昨日は夕刻の5時頃から、演奏の競演者たちに集まって貰ってリハーサル、今日は10時集合でいつものように稽古、わが四方館にすればめずらしい連チャンだが、即興-Improvisation-主体のDance Caféとはいうものの、やはりPlayerとDancerが一応の手合わせをしておくことは収穫があるものだ。

昨日から今日へと、Dancerたちは心的に昂揚もしてくるし、その分集中力も強まってくる。
Playerたちはといえば、昨年9月から常連となってきたvoiceのMさんを今回は余儀なく欠くものの、ほかのお三方は健在、同じ陣容で4回目となる今回、互いの手の内をよく知り得てきたなかで、此方の狙いどころを受けとめて貰いながら、意外性をいかに生み出し、ときに求心力をどう発揮していくかなど、それぞれ脳裡に具体像を結びつつあるのではないか。

残る心配は、会場のレイアウト-Installation-設営ときわめて限られたlight-照明-との兼合いだが、これは現場仕事、当日の設営作業のなかで判断していくしかないが、さて‥。

今日のYou Tube-vol.17-
林田鉄のひとり語り「うしろすがたの‥山頭火」Scene.7



<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-16

  この春はどうやら花の静なる  

   かれし柳を今におしみて  岱水

次男曰く、花どきも終り新茶が出始める候になったから、古茶の在庫を減らしておこうというのも人情なら、今となってはかえって古茶が懐かしい、というのも人情だろうと含を利かせて作っている。

前が「花の静なる」と云うから、春2句目に、わざわざ「か-枯-れし柳」と逆らって応じて見せたところが滑稽のみそで、「柳枯る」は冬の季語である。「今にお-惜-しむ」のは柳も芽吹いたころ、と覚らせるように強引に季を持たせている。春・秋は三句以上続という連句の約束があって出来る趣向の面白みだ、と。


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