komaの こまごまひとりごと

気が向いたときに更新しています。ただいま「歌の力」カテゴリ工事中。すみません。

嵐の雲が(おまけのひとりごと 5)

2014年04月06日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)


     

     見上げると、空一面に黒い雲。
     台風接近。
     そういえば、天気予報でいっていた。

     上空は風が強くて、巨大な雲のかたまりが
     どんどんどんどん、流れてく。
     怖いくらいの力強さで、流れてく。

     真っ暗なのに、雲の内部にたしかに光があるのがわかる。
     真っ黒なのに、エネルギーが雲の中からあふれてる。

     こういうものを、わたしはほかにも知っている。
     いつだっけ。
     いつどこで、知ったんだっけと思ったら・・・。

 

     あれに似ている、あの感じ。
     身ごもっていた日の、あの感じ。
     見知らぬ生命が、押し寄せてくる、あの感じ。
     

 

 

 


     

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破水は赤ちゃんキックから(妊娠と出産 3)

2014年04月06日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 陣痛室に入ってからの出来事で印象的だった第1位は、陣痛が大変だったこと・・・ではなく、ほかの妊婦さんの出産実況中継(?)を聞いたこと。
 これが、1人目のときも2人目のときも経験してしまったんですが・・・。


 陣痛がまだそんなに来ていない頃、子宮口の開き具合を確かめるために、いっとき分娩室のほうに移動したんです。  
 ところが、カーテンでしきられたお隣の分娩台では、別のお産の真っ最中。
 先生はそのお産がすんだらこちらの様子を見に来るわけなので、お産が終わるまで、私は待機(てか、放置?)の状態で。
 向こう側から響いてくるリアルな声を、しかたなくじっと聞いていました。
 お隣さん、まさに、佳境。
 見えないけど、立ち会っているみたいな気分・・・。


 で、1人目のときは。がんばってとかもうすぐだよとかいう声のあとに響いた産声をきいて・・・。
 ボロ泣きです。私が。
 だって感動しちゃって・・・このあとに自分も産むと思うと、兄弟が生まれたような気持ちになって。
 ちなみにその子は女の子で、ママはもと婦人警官、パパはネパールのかた。出産後はネパールに住むと言っていました。
 でも実家がうちと同じ市内だったので、行く前に一度我が家に遊びにきたんですよ。
 赤ちゃんどうしの写真も撮って。それ以降は連絡取り合っていないけど、あの子、どうしているかな。
 きっとたくましく育っていることと思います。

 ところが、2人目のときは・・・。
 カーテン越しに聞こえてくる叫び声。「暑い~」「痛い~」「もうだめ~!」
 ちょ、ちょっと待って。こんな声、ずっと聞いてなきゃいけないの!?
 私もあんなふうになったらどうしよう。怖いんですけど。耳せんどこ、耳せん!
 ってな感じで、自分の手で耳をふさいでしまった私。でも産んだあと聞こえた第一声も、たしか「あー痛かった~」だったような。
 まあ、2人目のときでよかったです。初産だったら刺激が強すぎたかも。


 印象的だった第2位、破水。
 1人目のときは全然気配がなかったので、担当の先生が破水させてくれました。
 ベテランだけど、どこかノホホンとしたK先生が様子を見に来て。
 「じゃあやりますね」みたいな雰囲気で、次の瞬間バシャッ(と感じた)。そして先生は、何事もなかったかのように去っていったのでした(と感じた)。

 それにひきかえ、2人目は。
 陣痛の最中に、赤ちゃんみずから、お腹を蹴飛ばしたんです。ドカドカッと2発。
 次の瞬間、ドドッと破水。あのときはびっくりしました・・・。

 2人目って、もちろん夏坊のことです。
 自分で羊膜を蹴破って、この世に出てきた夏坊。
 大事なことだからずっと覚えていようと思ったのに、これを書くまで忘れていました。
 あぶないあぶない。いつか本人にも、このことを話してあげられるといいなあ。


 陣痛については、案外時間が短かったせいなのか、あまり覚えていないんですよね。
 陣痛室にボールとか置いてありましたが、私はオーソドックスに横になっているのが一番楽でした。
 一応ダンナさんもついててくれましたが、早々に部屋から追い出し・・・気分は「さわんないで。あっち行ってて!」。
 あれ、おかしいな。マッサージがいいとか書いてある本の切り抜きも、ちゃんと持ってきていたのに。
 夫の立ち会い出産を希望する人もいますが、私には無理だったみたいです。


 陣痛で心に残っているのは、産んだあと助産師さんに言われたことば。
 「これ以上長かったら、我慢できませんでした」と言った私に、ほほえみ返していわく、
 「みなさん、そう言いますね」

 そっか・・・我慢できるようになってるんだ。
 神さまはちゃんと、そういう長さにしてくれてるんだ・・・。
 なんだかとても、納得してしまいました。


 肝心の出産本番についても、実はそれほど覚えていなかったりします。
 やっぱり、本当に大変なときの記憶は、どこかに飛んでしまうってことでしょうか。
 産声も残念なことに覚えてなくて・・・産んだ瞬間の感覚とかも、ほとんど記憶にありません。
 「スポーンと抜けて楽になった」みたいな感想もきいたことありますが、そんなふうでもなかったような。
 それどころか、赤ちゃんと対面できた感動さえ、あまりなかったかも・・・(人の出産では感涙だったのに)。

 もちろんすごくうれしかったけど、いちばん大きな感想は「無事におわったのかな? ほんと?」みたいな、あいまいな感じ。
 それと「会陰切開のあとを縫うのが陣痛より痛い」。覚悟できてなかったので、予想外に痛かったですね(笑)。

  
 それにしても。産婦人科の先生や助産師さん、看護師さん、本当にすばらしいお仕事ですね。
 とくに先生には、もう隠しごとは何もないくらいの気持ちに・・・。
 子宮筋腫持ちの高齢出産だったのに、経過もよく5日間で退院できたのは、ほんとに皆さまのおかげです。
 おかげですが。

 退院したくなかったです! もっと入院していたかった・・・。

 ということで、乳児相手の苦難の日々については、またの機会に。
 とりあえず、産院の皆さま、その節は本当にありがとうございました。

 

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       付記 この数年後、子宮筋腫でまたしても同じ先生のお世話に。
      もはや本当に隠しごとはございません・・・(笑)。
      手術体験記はコチラです。
      

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