あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

循環を想え。

2018-04-22 07:24:51 | 随筆(小説)
仄かに、下水の匂いが涼しげな風と共に、部屋の中へ漂ってくる。
子供の頃、キャンプ場のぼっとん便所で嗅いだ強烈な匂いを想いだす。
誰か、腐っているのだろうかと想うが、腐っている場合、なんで周りの人間はほったらかしなんですかと想うから、多分、下水の匂いなのかもしれぬ。
下水が何処かから、溢れているのかもしれぬ。
公衆の、ぼっとん便所とは、なんであんな臭いのかというと、それは人々の各々の排泄物が、深い穴の底に、積もり積もって、回収業者が遣ってくるまでそれがそのまま放置され、堪え難い悪臭を放ち続け、不衛生極まりない状態と成っているからと考えて良いだろう。
考えたら、本当に、この上なく穢い場所である。
誰もがそこへ入ると、一刻も此処を、早く出たい。という心情を、心の底から叫びながら、用を足すという解放感に包まれる。
涙ぐましい人間の苦痛と救済の連続の劇が、その小さな空間の中に、起こり続けるわけである。
此処で、排出するまでは、各々のはらわたの内に在ったものが、一つの筒のなかを落下し、底でまるで魂の同志たちが、感動の再会を歓喜し合い、何れ程臭くとも、小さな文句、一つ想いもつかないほどに、恍惚として、一つの大きな排泄物という存在へと、還るのである。
此は、正に、究極のカオスの、具現化と言えよう。
目には見えぬカオスが、目の前に顕現することが、この、没董便処という空間内部に今も、起きていると考え、余は、震える想いで、今、此を、蓐の上にて書いている。
っていうことはあ、此処があ、実は没董便処の底であったという現実に気づいた余の鼻に、最早悪臭、感ぜず。
夜明は、近し。
そう叫びながら、余は速やかに、回収されたのであった。
そして現在、余が何処に居るかというと、余は、まず下水路に流され、物凄い量の水とまた一つと成った。
そして浄水場にて、薬品の馨る水とも一つと成り、川に流れて行き、川となり、海に流れて行き、海となったのであるけれども、当然、余は川に流れて行き、浄水場へと流され、蛇口から、余は迸る。
余は、またも、人間の体内に入り、人間の身体に吸収される。
そして、余は今此を、蓐の上にて、書いている。
余は、此から何処へ行くかというと、勿論、余が辿ってきた道を流れて、カオスへと還るわけだが、余は、そう成るには、余は、誰かの体内に入り、消化され、排泄物と成る必要がどうしてもあるのであり、だから余は、誰の体内にこれから入るのか、と考えると、苦痛と救済の連続の解放を感じながら、一体、誰を、余は排泄するのか。
排泄した余の排泄物は、余を無垢な目で見上げ、こう言った。
「それはね、おまえちゃん、だ、よ。」