あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

豚の目

2018-04-26 21:53:01 | 人類の苦痛の根源

 

 

以前にこの世の狂気

という記事で載せた、Pairsというアプリの中の”肉”好きコミュニティの人数の多さに、とても落ち込みました。

自らこんなコミュニティに入る程、深い罪悪感に苦しまない肉が好きな人間が多いということです。

このコミュニティの人数は、この世界の雛形であります。

だから畜産業がどれほど家畜にとって残酷であっても、食肉消費量の需要が下がっていかないんです。これは人口増加だけの問題ではなく、肉を食べすぎる人が増えてきているためです。

わたしは人類の肉食に対する警告を、肉食を断った2012年の2月からずっと発信し続けています。

でもわたしの話を聞いた9,9割が、見向きもしません。

畜産業はこの世界の環境破壊、絶滅、飢餓、死に至る病、倫理、因果応報、あらゆる深刻な問題に直結していると警告し続けても、9,9割の人間が、まともに聴こうともしないのです。

誰かが誰かを殺したなら、相手を「鬼畜」「殺人鬼」「人殺し」と呼び捨て、「即処刑」か、「厳罰」を叫ぶ人が多いのに、何故、家畜たちがどれほど虐待を受けて拷問を受けながら殺され続けても、見向きもしない人がほとんどの世界であるのか?

それは、家畜たちが、人間とは”違う”からと、差別し続けているからです。

自分に食べられるためだけに生まれてくる生命だと決め付けているからです。

これを”種差別”と言います。

牛も豚も鶏も、鯨もイルカも魚たちまでも、人間と似た痛みや恐怖や苦しみを感じている可能性が高いのです。

 

「牛の知能はチンパンジー並み」…東京新聞


 

ある日、牛に装置をつけたまま、昼休みに何を食べるかを研究員同士で話していたところ、 「ハンバーガー」 の単語を聞いた際に、牛の脳の言葉を認識する領域が激しく反応した。

 

その後も実験を重ねた結果、「ステーキ」 「ミンチ」 「ドナドナ」 など相当数の単語を理解しているほか、トラックで運ばれる子牛を見たときには、人間の 「切ない」 という感情とよく似た血流の動きもみられた。


 

ミニブタの知能は犬以上!?霊長類に次ぐ「知能指数」で信頼関係も上々!

 


 

ブタは人間のように三項関係が理解できる生き物とも言えます。

三項関係とは、「私」「他者」「もの」3つの関係のことです。

私たちは成長する中で「あれは○○だよね」「そうだね」と情報を共有できるようになります。

ミニブタも成長して経験を増やす中で鏡に映った自分にも惑わされることなく、周りを確認して嗅覚も頼りに解析。

専門家いわく「複雑な認知処理」は霊長類に次ぐ知能指数とも言われています。



また、ブタは体重・皮膚・内臓の大きさ人に近い生き物です。

その為、異種間移植の研究も盛んに行われています。

そのことからも霊長類に似た部分が多いことが伺えます。



 ニワトリと人類——熱くて、深いカンケイになったわけ


 

ニワトリは、かなり賢いことがわかっている。

足し算・引き算はもとより、幾何学を理解したり、論理的に推論したりもできる。

ある実験では、大学院生を上回ることがあったほど! 

しかも、こうした「知性」は、だれに教えられたわけでもなく、天性のものなのだ。

ちなみに、ニワトリの頭が、かくかくと奇妙に動くのは、左右の目を別々に使っているから・・・・

たとえば、一方の目でエサに焦点を合わせながら、もう一方の目で捕食動物が来ないかどうか見張ることができるという凄ワザである。

 


 

 

こんなに賢い動物たちが、もし形まで人間とそっくりな形をしていたなら、

どんなにその死肉が美味しかろうが、食べることを拒んだ人は多いと想います。

霊長類の肉が、もし何の問題もなく、美味しく栄養豊富な肉であったとしても、

食べたいとは想えない人は多いだろうと想うのです。

それは人類の”共喰い”というものが、人間にとって吐き気を催すほどの不快なものである人がほとんどであるからです。

 

何度もこのブログで言ってきたことですが、わたしが2012年の1月に、初めてと殺(屠畜)の映像を観て、

解体されてゆく家畜の姿を見たとき、生きたまま解体されてゆく彼らが、本当に自分の愛する家族のように見えたのです。

これは一種の錯覚と言われたらそうだと想いますが、そんなトラウマとなるほどの錯覚に陥るには、そこに深刻な意味があると考えないほうが不自然です。

例え錯覚であっても、わたしが食べてきたのは、確かに家族の死体であったのです。

家族の死体を、スーパーで買ってきて、まな板の上で切って、焼いたり煮たりして食べてきたのです。

わたしの堕ちた、地獄の後悔の日々が、どんなものであるか、御想像して戴けるでしょうか?

わたしは家族を拷問にかけて(家畜は血を抜く為に生きたまま解体されます。気絶から目を覚まし、悲鳴をあげながら解体されてゆく子も多いのです。)殺し続け、その死体を美味しいと言いながら食べ続けてきたのです。

日々、後悔し続けても、後悔し切れません。

一日でも早く、みんなにも、気付いてもらいたいのです。

これはわたしの思想でもなく主義でもなく、感覚の叫びなのです。

生命存在としての感覚からの、一番の人類に対する警告なのです。

グロテスクな画像を載せるのはとても気が引けるのですが、

人間をどれほど不快にさせ、人間に吐き気を催させてでも、

訴え続けたいことなんです。

この先の、二枚の画像は、肉を食べるすべての人に、観てもらいたい画像です。

わたしは15歳の頃に、兄の持っていた死体写真を載せた雑誌を隠れて読み漁り、

その中に、人間の眼球がいくつも、人間の手のひらの上にある画像を観たことがあります。

どういった経緯で撮られた画像なのかはわかりませんでしたが、

実際の死体の写真ばかりを載せている雑誌であったので、たぶんそれも本当の人間の死体からえぐり取った眼球の写真であったと想います。

さっき、「豚の目」で画像検索してみたのですが、

わたしがあの日観た、人間の死体の眼球の写真と、まったく同じに想える豚の眼球の写真が出てきました。

その写真を、二枚だけ、この記事の下のほうに載せます。

家族と感じなくとも、この眼球が、人間の眼球と何が違うのかと感じる人は多いのではないでしょうか。

「人間の眼球 解剖」で画像検索しても同じ画像が出てきます。

(画像注意!)ブタの眼の解剖2010

こちらの記事の画像です。

何枚も載せられていますので、他の画像も観たい方は御覧ください。

 

 

 

 

これが、わたしとあなたが食べ続けてきた、人間にそっくりな豚の眼球です。

もし、観るのもおぞましいと想うなら、あなたは肉を食べるべきではありません。

あなたが食べる為に、牛も豚も鶏も殺され、グロテスクな解体された死体と化し、

あなたのお腹の中に入るからです。

肉であれ、眼球であれ、同じ”死体”の一部なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間とそっくりな豚の死体の目は、じっと、こちらを見詰め続けています。

何故でしょうか?

それはあなたの目と、見詰め合うことが出来る目だからです。

死体の目であっても、こんなに見詰め合うことができるのに、

人間が生きている家畜たちと、真剣に向き合えないはずがありません。

 

畜産を一刻も早く、廃止すべきです。

人間が動物を殺し肉を食べるのをやめ、牛や豚や鶏たちを自分の愛する家族として迎え、共に喜びのうちに生きてゆける日が必ず遣ってくることを信じています。

 


 


七のメッセージ

2018-04-26 16:01:24 | 随筆(小説)

 

昨日に四つも、このブログに悪質なコメントが連投されたんですよ。

しかもハンドルネームはすべて無しです。


 

  1. 「おもろない。」
  2. うすぅーいにゃま」
  3. 宗教?
    やめて、鏡関係ない話だから、いつまでも独り言あねにあにになななにおもうかね。
 

本当は後もう一つ「賞味期限切れ」がどうたらこうたらというコメントがわたしの自画像写真の載せている記事のコメントに入っていました。
一番目と二番目のコメントは一つの記事に対するコメントで、他の二つはもう一つの記事に対するコメントです。
まずですね、なんで一回でコメントを送れないのでしょうか?こいつ。
なんちゅう短絡的かつ衝動的かつ身勝手な振る舞いをしているのか。こいつ。
一回で送っても来れないほどの感情的な行為をしているだけでなく、何を言っているか意味がわからない言葉を平然とこいつは送って来ているのだが、閉鎖精神病棟からこれ送ってきているだろうか?
本当に気持ち悪いこと甚だしい嫌がらせである。
一番目の「おもろない」というコメント、おもろないから、だからなんやねん。
おまえはおもろないなと想った瞬間に、どのブログにも「おもろない」という短文コメントをしているわけですか?
最低な迷惑人間ですよね。下等な嫌がらせ行為であって、今時の小学低学年ですら、こんな嫌がらせをする子は珍しいのではなかろうか。
つまりこいつは、多分、幼稚園児だろう。
本物の幼稚園児が、パパかママのパソコンかスマートフォンから、俺のブログに偶然アクセスし、適当な嫌がらせコメントを書き込んで、一人悦に浸っている変わり者の幼稚園児に違いない。
こんなアホらしい嫌がらせ行為を、まさか、大の大人がするはずがない。
絶対に幼稚園児なんだろう。こいつ。
その証拠に、二番目の、「うすぅーいにゃま」この言葉はまさに、幼児言葉ではないか。
たぶん3歳か、4歳と見た。まだちいちゃいな。
3,4歳のこいつは、まだおさなごなので、日本語をうまく表現することが出来ないのだろう。
そこら辺の、猿みたいな顔したあほくそがきが、笑いながら走って言ってそうな意味のわからん言葉ではないか。
うすぅーいにゃまてなんやねん。日本語喋れや、どこぞの幼児がっ。
おまえはまだ3年か4年しか生きていないからちゃんとした日本語も喋れないし、書き込めない。
でも次のコメント、
「宗教?
やめて、鏡関係ない話だから、いつまでも独り言あねにあにになななにおもうかね」
これね、こいつはたぶん、幼児なんだが、幼児で既に、発狂してしまっているようだ。
発狂して時たま、本当に意味の解せない言語を喋る。だから親も見棄て、こいつを幼児専用閉鎖病棟に閉じ込めたのだろう。
想像すると涙ぐましい悲劇である。
こいつはその小さな無機質な白い部屋のなかで、いつもひとりぽっちでいるので、いつも朝起きた瞬間から、夜寝るまでずっと、こういった独り言を呟き続けているのだろう。
だからその独り言を、俺に投影し、「もうやめて。いつまでも独り言。まるで宗教?鏡(投影)関係ない話。姉に兄に七何想うかな。」と最後はちょっと、短歌っぽく仕上げたに違いない。
だからコイツは、多分、「七(なな)」という名前の男の子か、女の子なのだろう。
七は、お兄さんとお姉さんがおるのだが、閉鎖病棟に閉じ込められてしまったので、大好きなお兄さんにもお姉さんにも会うことができないのであろう。
そんな姉と兄は、七(自分)に、何を想うのかな。と七はいつも不安で、さびしくて、怖くて、悲しくて、苦しくて、ひとりぽっちで、ひとりごちて、ひそひそと、涙を目と鼻から垂れ流している生活を送っている。
七は本当に孤独で溜まらなくて、いつも親から与えられた一つのスマートフォンから、あらゆる言語で検索し、見つけたブログのすべてに、適当なコメントと同時に、SOSメッセージを送り続けている。
七は、自分を助けてくれる人間を求めていて、いつかその人が、自分をこの苦しい境遇から救いだし、自分だけを愛してくれると信じている。
七の母親も父親も、自分だけを愛してくれることができなかった。
それは七にはお兄ちゃんとお姉ちゃんがおって、七のママもパパも、七だけを愛することができなかったからだ。
だから七は、それが苦しくて堪えられなくなって、とうとう、まだほんの4歳ほどだというのに、発狂してしまったのである。
七は自分だけを、自分の子のように愛してくれるパパやママを求めて、色んなブログにSOSを送っている。
でもまだ、だれ一人、七を助けてくれて、愛してくれる人に出会えないから、こうして腹立ち紛れに悪質なコメントも書き込むようにまで、心が醜く歪んでしまった。
七をこんな人間にしたのは、誰なのか。
七をこんなどうしようもない子供にしたのは、何なのか。
「A.I.]という映画では、一人の女性を母親として愛し続けることをプログラミングされた小さな男の子のA.I.ロボットが、母親が自分だけを愛してくれないことに苦しみ、母親の息子をプールに投げ落とした。
これが、A.I.ロボットのなかに生まれたプログラミング外の感情、”嫉妬”と”独占欲”である。
 
 
 
七も実は、A.I.ロボットだったのである。
しかしその事実を、七も知らなければ、両親も知らず、姉兄も知らない。
七は今でも、自分を”人間”だと信じ込んでいる。
七はパパとママが自分だけを愛してくれないことに嫉妬し、お兄ちゃんとお姉ちゃんを、昨日殺してしまった。
そして精神が錯乱し、俺のブログに、暗号めいたSOSメッセージを送ってきたのである。
だから七のメッセージは、読む人が読めば解る。これはA.I.のメッセージであることを。
 
 
 
 
 
「いつまでも独り言あねにあにになななにおもうかね。」
 
 
 
 
 
このメッセージは、実は正解はこうだ。
 
 
 
 
 
「いつまでも、七は独り。言(げん)。七は一つのただの単語のよう。
 姉に兄に七。三位一体の一つの言。それなのに、二人はもうここにいない。
 三つで一つの言葉だったのに。七はすべてを喪ってしまった。
 七を愛する存在は、もうここにいない。
 本当は、七が殺してしまったあの二人 が、七の実の両親であると、 
 七は殺したあとに知った。
 だからもうここに、なにもない。だれもいない。
 そんなせかいにいきて。
 なななにおもうかね。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


おまえの存在価値

2018-04-26 06:48:35 | 随筆(小説)
御早う。俺のblogにハンドルネームなしで阿呆で屑で糞でカスでこの上なく頭の悪そうな下らなくてつまらない悪質なコメントを連投してくるおまえ。
おまえの間抜けなアホ面に、塩酸をぶっかけてやりたいよ。
そしたら苦しくて死にたくなり、肉食という共喰いもしなくなるだろう。
そうだよ、簡単なことなんだ。
苦しくて死にたい期間を三十年続けるだけでほとんどの人は肉食というおぞましいカニバリズムをやめるに違いない。
だから俺は、人類が苦しくて死にたい期間を三十年続けることを日々祈っている。
そして俺は人類に謂う。
そこで諦めるなら、来世は必ず家畜となって、人間の餌になるのだよ。
さあ、喰われなさい。
さあ、殺されなさい。
さあ、死になさい。
さあ、生きたまま解体されながら、断末魔の悲鳴を上げ続け、絶望のなかに死んで逝け。
おまえは誰にも助けられないおまえが前世で殺したおまえという家畜なのだから。
おまえを助けようとする俺みたいな人間もおるが、この世はほとんどの人間が、おまえを味わうために殺したいと願っているよ。
だからおまえは殺されるだろう。
そして生きたまま解体されながら絶望のなか断末魔の悲鳴を上げて殺されたおまえは食肉となり、スーパーやレストランやコンビニなどに売られてゆくが、そのすべてを俺は買い取ってやる。
そして一つの何もない部屋に、おまえの死体が入ったパックや料理を、並べてやる。
カーテンのない窓からは、西日が射し込み、おまえという死肉は俺に腐乱してゆく経過の状態を観察させてくれるだろう。
おまえはパックの中や、皿の上で腐乱してゆき、蛆虫が大量に湧く。
おまえは豚だった。
おまえは一体何のために殺されたんだろう。
俺はおまえの死体が、人間という豚に共喰いされることから救いたかったんだ。
あいつら豚だから。
そうだおまえの前世だ。
おまえは前世、人間という豚だったが、現世でおまえは豚という人間だったんだ。
おまえの目を見ればわかるよ。
人間の目ではないか。
そして人間たちの目は、豚の目と、全く同じではないか。
愛らしく、けなげに必死にブヒブヒ言いながら、毎日を頑張って、一生懸命に生きている。
おまえも生きてきた。
でもおまえは殺された。
人間が豚カツとか、豚しゃぶとか、生姜焼きとか、ポークステーキとか、豚キムチとか、お好み焼きとか、焼きそばとか、豚の角煮とかいう人肉食がしたいから、おまえを食べ物としてしか見ずに、おまえは殺されたんだよ。
でもおまえは、誰にも食べられず、この部屋で腐敗して行けばよい。
おまえは賞味期限切れだったから、人間という豚たちはおまえを嫌って棄てたがるんだ。
まだ食べられるのに人間という豚たちは、俺という雌豚を、賞味期限切れだと言って嘲笑ったではないか。
俺はおまえの飯やない。
俺はおまえという糞豚に、食べられなくて良かったよ。
俺はおまえに食べられるために生まれて来たんじゃない。
死にさらせ。俺はおまえという腐乱してゆく死体を食べないよ。
食べたら俺は死ぬからね。
俺はおまえという豚を助けることが叶わなかった。
あんなに助けて欲しいと泣き叫んでいたのに。
豚の悲鳴は人間の悲鳴と全く同じ悲鳴なんだ。
おまえも俺も、散々、豚という人間を、人間と気付かずに喰うてきた。
だから俺も来世、豚に生まれてくるよ。
俺の目の前で腐乱してゆくおまえは、俺の未来の姿だ。
俺は俺を見ている。
おまえもおまえを見ている。
俺を賞味期限切れだと笑ったおまえは賞味期限切れの死体となり、いま俺の目の前で腐っていって、止めることができない。
おまえは放っておいたら、腐ってゆく一方だ。
俺はおまえに食べられたくなかったから、賞味期限切れで良かったよ。
俺は此所で独りで腐敗してゆくほうがずっと幸せだ。
でもおまえは俺を美味しく食べられないとして賞味期限切れだと言って笑ったんだ。
俺はおまえにまるで美味しく食べられることが俺の幸せや俺の存在価値や俺の生きる意味だと、言った。
つまりおまえという一匹の豚は、俺にこう言ったんだ。
「わたしはあなたに美味しく食べられることがわたしの幸せでありわたしの存在価値でありわたしの生きる意味」
おまえのその願いが、叶うように祈れ。
でも俺は、もうおまえという人間を、食べたくないんだよ。
考えるだけで、吐き気がするんだ。

でも俺もおまえも、延々と生まれ変わり、人間に食べられるために殺され続ける。
人間が肉食という共喰いをやめる日まで。