雑草抜き

 不精な性格のために、狭い庭の雑草が伸びるがままに今まで放っておいたのだけれど、雨季の活力を得てもっと伸び放題になってしまうと困るし、蚊の温床にもなりそうだし、だいたい、物干し竿にいたる通路が、私が毎朝通って足跡をつけるよりも青草の成長の方がずっと早く、すでに歩ける限界まで繁っているから、思い切って草を抜くことにした。
 小鳥の仕業だろうが、庭には毎年種類の違った草が生えて、今年は蛇いちごが大豊作である。春頃、黄色い花をつけていたのが、いまはまん丸な赤い実がたくさんなっている。
 なぜ「蛇いちご」などという名前がついたのか、蛇が食べると思われたからとか、蛇いちごを食べに来る小動物を食べに蛇が寄ってくるからだとか、あまりに不味いから蛇くらいしか食べないという意味だとか、地面を這う蔓が蛇みたいだからだとか、いろいろ諸説があるらしいけれど、名前でずいぶん損をしている草だなあと思う。
 小学生の頃、裏山のふもとに続く道ばたにたくさんなっていたのを、友達と二人で一生懸命集めたのだけれど、そこへ迎えにやってきた母に「それは蛇いちごよ」と教えられ、全部捨ててしまった。母は特に蛇が嫌いだから、その嫌悪感が、「蛇いちご」の名前といっしょに私にも植えつけられて、今でも蛇いちごを見るとあんまりいい気がしないのだが、そういう先入観をなくして見れば、蛇いちごはかわいい野草だと思う。
 とはいえ長年持ち続けた先入観はそう簡単になくせないし、通路一面に繁っているので、どんどん引っ張って抜いた。
 私が引っ張る草の根っこのあたりの地面では、ダンゴムシが何匹もあたふたとうろたえていて、次々と名前の由来のとおり、団子のように丸くなった。私に対して団子になっても意味がなくて、むしろ短い足でも頑張って逃げた方がまだ有意義だろうに、次々と丸くなって転がるのが可笑しかったけれど、習性なのだから仕方がない。実際には私を敵と認識しているのではなくて、根っこが揺れたりすることによる刺激のために丸くなるのだろう。
 蛇いちごのほかには、葉っぱが丸っこくて、花も実もついていない草が、銀木犀の切り株から塀にかけて、まるで小山のようにこんもり繁っていて、それもほとんど抜いた。
 翌朝、洗濯物を干しに庭に出たとき、すっきりとしているのがどこかしら違和感があるようでもあったけど、自分もやれば出来るという満足感を得た。


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