デジタル野郎に鉄槌を!
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」345/通算776 2024(令和6)年10/24/木】PCで以前のように記事を書けるか、それが問題だ・・・いじくりまわしているが、とてもシンドイ。outlookという奴が諸悪の根源のよう。復讐するは我にあり、いつかしっぺ返しをしたいものだ。新しいものは嫌い、アナログ大好き、デジタル大嫌い! 神様、どうかデジタル野郎に鉄槌を!
産経10/20の日曜コラム、さだまさし氏の「勧善懲悪の心はいずこ」は小生のようなアナログ人が結構いることを示しているようで、大いに元気になってきた。以下転載する。
<日本人はもう少し優しい人達だったのでは?と近頃思う。いや、お前の勘違いだ、元々こんなものだよ、と仰(おっしゃ)るのも解らないではないけれど、僕はこの国の人々が本来はとても親切な人達であることを信じたいのだ。
だが近頃は日本人の情が薄れたようだ。他人への慮(おもんぱか)りや温かさ、いわゆる本当の意味での「もてなし」の心を感じることが減った。「サービス」という言葉の原点には主従関係があるけれども「もてなし」は相互平等の親切から来るものだから、むしろそこに作為が介入したら「もてなし」の心は死ぬ。
この日本人らしい思いやりが最早(もはや)瀕死に追い込まれつつある理由は、おそらく無意識の卑しい「利益計算」だろう。無意識だけに隠すことができない。心根に「これで幾(いく)ら儲(もう)かるのか」という計算があると人は必ず醜くなる。これが罪悪感の変質に繫(つな)がる。実は前回申し上げたかった教育の『肝』がここだ。
僕はテレビが好きなのでテレビの悪口を言いたくは無(な)いが、放送関係者の矜恃(きょうじ)から『視聴覚教育』という言葉が綺麗(きれい)さっぱり消え失(う)せた頃からなにやら日本人の価値観はおかしくなった。昔のPTAは子育てに必死で、パンチラで話題になったコメディー「ハレンチ学園」に対して一部から失笑を買っても怖(お)じずに放送禁止の声を上げた。暴力や性描写に関して真面目で神経質だったが、今時はほぼ無関心で、もはや教育放棄だ。
心を育てることはとても難しい。大人になっても自分自身の心を育てることが一番難しい。だからメディアはそういうものを育てるきっかけになるようなものを伝えること、受け手はそこから感じて反応することがお互いの成長に繫がる。勿論(もちろん)素晴らしい番組はあるけれども、なかなか出合わなくなった。
面白くないので実は専ら時代劇ばかり観(み)ている。そう言うと「時代劇の何が面白いのですか」と若い友人に聞かれるけれども、まあ、現実逃避だ。だが時代劇には今どきの番組には無いものが常にある。それは『勧善懲悪』の心だ。悪は滅び善は栄える。そうで無くては世の中、味(あじ)無いだろう、というのが時代劇の矜恃(きょうじ)だ。だからどれ程(ほど)つまらない時代劇でも安心して観られるのである。
もしや今の日本人の心に圧倒的に不足しているのは時代劇であり、この『勧善懲悪』の心では無いのかとすら思う。『悪は滅ぶ』『善は栄える』これが当たり前で無くなったのでは世の中がおかしくなる筈(はず)だ。
私は桃太郎侍に斬られる側なのか救われる側なのか。そう思いながら己の行いを顧みると結構怖い。嗚呼(ああ)、今こそ本当の正義の味方よ出(い)でよ>以上
小生は1951/昭和26年生まれだから、さだまさし氏とほぼ同期である。祖父は明治生まれ、両親は大正か昭和初期生まれ、上記の論稿には敗戦前の「武士道的純粋ニッポン人」の匂いがプンプンしている。同志諸君、命懸けで日本を取り戻すべし!
・・・・・・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! https://note.com/gifted_hawk281/
までお願いいたします(従来の ishiifam@minos.ocn.ne.jp はOutlook(new)に消滅されたようで困惑しています)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
必殺クロスカウンター ttps://www.mag2.com/m/0001690154.html
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
ishiifam//1951@outlook.jp
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“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」345/通算776 2024(令和6)年10/24/木】PCで以前のように記事を書けるか、それが問題だ・・・いじくりまわしているが、とてもシンドイ。outlookという奴が諸悪の根源のよう。復讐するは我にあり、いつかしっぺ返しをしたいものだ。新しいものは嫌い、アナログ大好き、デジタル大嫌い! 神様、どうかデジタル野郎に鉄槌を!
産経10/20の日曜コラム、さだまさし氏の「勧善懲悪の心はいずこ」は小生のようなアナログ人が結構いることを示しているようで、大いに元気になってきた。以下転載する。
<日本人はもう少し優しい人達だったのでは?と近頃思う。いや、お前の勘違いだ、元々こんなものだよ、と仰(おっしゃ)るのも解らないではないけれど、僕はこの国の人々が本来はとても親切な人達であることを信じたいのだ。
だが近頃は日本人の情が薄れたようだ。他人への慮(おもんぱか)りや温かさ、いわゆる本当の意味での「もてなし」の心を感じることが減った。「サービス」という言葉の原点には主従関係があるけれども「もてなし」は相互平等の親切から来るものだから、むしろそこに作為が介入したら「もてなし」の心は死ぬ。
この日本人らしい思いやりが最早(もはや)瀕死に追い込まれつつある理由は、おそらく無意識の卑しい「利益計算」だろう。無意識だけに隠すことができない。心根に「これで幾(いく)ら儲(もう)かるのか」という計算があると人は必ず醜くなる。これが罪悪感の変質に繫(つな)がる。実は前回申し上げたかった教育の『肝』がここだ。
僕はテレビが好きなのでテレビの悪口を言いたくは無(な)いが、放送関係者の矜恃(きょうじ)から『視聴覚教育』という言葉が綺麗(きれい)さっぱり消え失(う)せた頃からなにやら日本人の価値観はおかしくなった。昔のPTAは子育てに必死で、パンチラで話題になったコメディー「ハレンチ学園」に対して一部から失笑を買っても怖(お)じずに放送禁止の声を上げた。暴力や性描写に関して真面目で神経質だったが、今時はほぼ無関心で、もはや教育放棄だ。
心を育てることはとても難しい。大人になっても自分自身の心を育てることが一番難しい。だからメディアはそういうものを育てるきっかけになるようなものを伝えること、受け手はそこから感じて反応することがお互いの成長に繫がる。勿論(もちろん)素晴らしい番組はあるけれども、なかなか出合わなくなった。
面白くないので実は専ら時代劇ばかり観(み)ている。そう言うと「時代劇の何が面白いのですか」と若い友人に聞かれるけれども、まあ、現実逃避だ。だが時代劇には今どきの番組には無いものが常にある。それは『勧善懲悪』の心だ。悪は滅び善は栄える。そうで無くては世の中、味(あじ)無いだろう、というのが時代劇の矜恃(きょうじ)だ。だからどれ程(ほど)つまらない時代劇でも安心して観られるのである。
もしや今の日本人の心に圧倒的に不足しているのは時代劇であり、この『勧善懲悪』の心では無いのかとすら思う。『悪は滅ぶ』『善は栄える』これが当たり前で無くなったのでは世の中がおかしくなる筈(はず)だ。
私は桃太郎侍に斬られる側なのか救われる側なのか。そう思いながら己の行いを顧みると結構怖い。嗚呼(ああ)、今こそ本当の正義の味方よ出(い)でよ>以上
小生は1951/昭和26年生まれだから、さだまさし氏とほぼ同期である。祖父は明治生まれ、両親は大正か昭和初期生まれ、上記の論稿には敗戦前の「武士道的純粋ニッポン人」の匂いがプンプンしている。同志諸君、命懸けで日本を取り戻すべし!
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*読者諸兄の皆さま、御意見を! https://note.com/gifted_hawk281/
までお願いいたします(従来の ishiifam@minos.ocn.ne.jp はOutlook(new)に消滅されたようで困惑しています)
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小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
必殺クロスカウンター ttps://www.mag2.com/m/0001690154.html
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