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続・イスラエル=ユダヤ教はなぜ強い

2024-12-10 17:11:06 | 戦争
続・イスラエル=ユダヤ教はなぜ強い
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」353/通算784 2024年(令和6)12/10 火曜】世の中はロシアのウクライナ侵略や中東危機、さらには韓国での非常戒厳令などごたごたが続いている。第2次世界大戦に勝利した連合国機構(国際連合)による1945年からの゛それなりの世界秩序”が日を追うごとに崩れていくようである。経年劣化・・・世の中も人間も避けられないものだ。多動爺の小生も晩年を迎えてあれもこれもやらなければと右往左往、焦りまくっている日々である。

50年も看護婦を勤めたカミサンの手厚い看護により体調は随分良くなってきた。小生は2016年にアル中で脳みそが壊れて入院して以来「一度アル中、一生アル中」を恐れて禁酒していたが、今年の8月4日から「もう老い先短いから」と勝手に解禁、こっそり飲んでいたワインは11月21日についにばれて取り上げられてしまった。「天網恢々、疎にして洩らさず」・・・ナース、恐るべし!その代わりにノンアルコール飲料を買ってくれた。
それを飲むだけではただの「敗者」でクソ面白くないので、大量に各種ノンアルを取り寄せ11/26から優良可(ABC順)の「ノンアル番付」を始めた。

例えば初日は「Bavaria(オランダ)、意外に酔った感じがする。A」、11/27は「キリン零ICHI(ゼロイチ)、なかなか良い。A」という具合。50種類ほどを取り寄せ、毎晩1本(350ml)試飲。2本飲むとトイレが近くなるので1本で十分。11/29には「冷却カップ」を創って「SUNTORY のんある気分 ホワイトサワー」を楽しみ、あまりにも冷却が上手くいったのでカミサンに試飲してもらったが、「甘すぎる!」の一言。味ではなく「冷却」の創意工夫を知って欲しかったのだが・・・ま、「冷却カップ」のお披露目にはなったから良しとしよう。そうでもしないと「あんた、また飲んでるの?!」と説教されかねない。子曰く「女子と小人は養い難し」、まあ゛負け犬の遠吠え”で憂さ晴らし、とういうことで・・・

それにしても12人を産み育てた与謝野晶子以外、女性で「多産かつ優秀な論客」は非常に少ないのではないか。戦前生まれの塩野七生先生も息子一人のみ(旦那とは離縁)。とても残念に思うが「女性作家と多産&育児は両立しない」のが普通のようだ。その塩野先生の「逆襲される文明 日本人へ(Ⅳ)」からポイントを分かりやすく以下紹介する。( )内は修一の補足。

<日本人の多くが抱いている「宗教=平和的」という思い込みは捨てた方が良い。宗教とは、一神教であればなおのこと、戦闘的、攻撃的であるのが本質だ。平和的に変わるのは「天下を取った後」からで、それでも他の宗教勢力に迫られていると感ずるや、たちまち攻撃的に戻る。

代表的な一神教は(信者が多い順に)キリスト教、イスラム教、ユダヤ教。一神教はただ一人の神しか認めていないので、他の神を信仰する人は真の教えに目覚めない哀れな人とされ、布教の対象になる。それでも目覚めない者は救いようのない「異教徒」、つまり敵と見なされ、殺されようが奴隷に売られようが当然と思われていた(政・宗一致の国では今でもそうではないか)。

一神教には異教徒意外にも異端がいる。「異端」とは、真の教えには目覚めていたのだが、その後、誤った方向にずれてしまった信徒を指す。異教徒が「家の外の異分子」ならば、異端は「家の中の異分子」。イスラム教の側から見れば、キリスト教徒の欧米人もキリスト教徒ではない日本人も、異教徒であることは同じなのだ。
イスラム世界の内でも、シーア派にとってスンニ派は異端で、スンニ派から見ればシーア派は異端である。
この一神教の対極にあるのが多神教である。古代のギリシアやローマの人々も多神教徒だったが、現代の多神教国は日本だと思う。

一神教と多神教の違いは、神の数にはない。古代のローマ人も、合計30万人という神々の全員を信仰していたわけではなかった。一人一人は守護神を持っていたが、それを他者に強制していない。それどころか、敗者になったカルタゴの神にも、勝者であるローマの神々の住まうカンピドリオの丘に神殿を建ててやったのだ。ローマ人の「寛容」の精神とは、他者が最も大切にしている存在を認めることにあったからである。
日本人は、お稲荷さんを信じていない人でも、境内に立つ狐の像を足蹴にしたりはしない。真の意味の「寛容」とは多神教のものであって、一神教のものではないのである。

一神教であるキリスト教世界は、異教や異端への弾圧で荒れ狂い、十字軍まで起こして大騒ぎした中世の一千年を経験し、ルネサンスや啓蒙主義を経て大人になったのである。
一方、イスラム世界でも過激派になると『大人』になることを頑強に拒否し続ける。「イスラム国」占領下のイラクの都市モスールで、テレビでサッカー試合を見ていた十三人の少年たちが、コーランの教えに純粋でないとされ、広場に引き出されて殺されたというニュースもあった。

確かにコーランやハーディス(神が預言者マホメッド(ムハンマド)に伝えた言葉などを記したイスラム教の聖典)は、異教や異端への憎悪に満ちている。彼ら(異教や異端の人々)は敵なのだから、殺害も奴隷化も正当だと断言している。だが、あれは現代からは一千四百年も昔の七世紀の、それも二十年足らずの間の、苦闘していた時期のマホメッドの「教え」である。
その後数年を経ずにイスラム勢力はシリアのダマスカスを征服して首都にするが、自分の説いた「教え」がアラビア半島から北アフリカにまで及んでいく大拡張時代を見ずにマホメッドは死んだのだ。敵に囲まれて戦闘的で攻撃的にならざるを得なかった時期のマホメッドの「教え」を、二十一世紀のイスラム過激派は一千百年も過ぎても踏襲すべきと主張しているのである・・・「頑迷な保守主義」>以上抜粋
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小生は「心の道しるべ」教団の創始者で、信者はスズメ40羽ほど。早朝と昼に餌を提供しているが、スズメは楽しそうに、嬉しそうに食べているものの、小生に感謝するとか恩返しをするなんぞこれっぱかりも思っていない。「私たちは食事を頂く、あなたはそれを見て楽しんでいる、それだけでいいじゃないか」という感じ。
また、小生は朝夕仏壇を前に「両親と愛犬、さらに神様、仏様、お稲荷様、八百万の神様」に日々の感謝を伝え、一族と日本の安泰を祈っているが、日本人は紀元前の大昔から「自然の恵みに感謝し、安泰を万(よろず)の神に祈る」が原点であり、それは今で言う「多神教」である。神様も穏やかで、一神教のような「我こそ正統、他教は邪教、殲滅すべし」といった排外主義的な暴力性はない。特定宗教に淫して政教一致の過激派のような国が結構多い中で、日本、日本人は世界でもまれな穏やかな国、穏やかな民ではないか。GDPやGNPでは測れない「穏やか指数」という基準があれば、日本は間違いなく上位だろうと小生は思う。
しかし、油断していると日本でも清貧思想から物欲重視へ急速に進みそうで心配である。買っては捨て、捨てては買うという非道徳が蔓延しないことを祈るばかりだ。
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*読者諸兄の皆さま、御意見を! https://note.com/gifted_hawk281/
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渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
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