雀庵の「ヴェノナ 我らの内なるスパイ網(12」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/274(2021/3/23/火】37年振りにヒゲをすっかり剃った。カミサンは「ギャーッ! どーしたのよ・・・」と叫んだ。鏡の中の小生はまるで他人みたいで、カミサンが驚くのも無理はない。
「髪ももうウンザリだ、邪魔くさい。切ってくれ」「でしょー、ホントに面倒よね」
風呂場で3年伸ばしたポニーテイルを15センチほどざっくり切り落としてもらった。ああ、さっぱり。♪長い黒髪 プッツリ切って 帰るカモメにたくしたや・・・気分上々。この解放感は、髪を伸ばしたからこそ得られるものだが、3年間の隠忍自重を考えるとちっとも割に合わない。ずいぶん無駄なことをしたが、女も「長い黒髪」にウンザリしているようで、今はほとんど見かけない。
長髪族は今でも世界で頑張っているようだ。インドのシーク教徒は有名だが、ターバンで髪をくるんでいる。時々我が町でも見かけるが、洗髪とか手入れはどうしているのだろう。清朝時代(満洲王朝)の支那では辮髪(弁髪、細くて長いマゲ)が強制された。
<魯迅の短編「髪の話」(1920)の一節に次のような記述が見られる。
ねえ、きみも知っているだろ、髪の毛ってのは、われわれ中国人には、宝でもあるし仇でもあるんだよな。昔からどれだけたくさんの人が、そのために理由のない迫害を蒙ったことか!
辮髪が通り相場になったあと、今度は洪楊の乱(洪秀全・楊秀清の乱=長髪賊の乱、太平天国の乱とも)だ。ぼくの祖母が話してくれたことだが、あのときは人民こそ災難だった。髪を(好きに)全部伸ばせば官兵に殺されるし、辮髪のままなら長髪賊に殺されるんだからな。どれだけたくさんの中国人が、この痛くもかゆくもない髪の毛のために苦しみ、いじめられ、命を落としたことか>(世界史の窓)
明治4年の断髪令(マゲを結わなくてもいい、好きにしろ)では「残念派」と「さっぱり派」があり悲喜こもごもだったが、「散切り頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」と、一種の流行みたいに散切り頭になっていったようだ。
付和雷同は世の常か。「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」(漱石)。人は概ね「易きに付く、易きに流れる」。我が道を行く、のは格好いいが、成功すれば称賛され、失敗すればバカにされる。ただ、歴史をたどると、「少数派=新勢力が徐々に勢力を増し、やがて多数派=旧勢力を抑え込む・駆逐する」という図式だろう。
旧勢力が自ら時代の変化、趨勢、潮流に乗り、新体制へ転換していくというのはまず聞いたことがない。旧勢力には既得権益を守りたいという本能があるから、体制変革がどうしても中途半端になってしまい、新勢力の期待に応えられないようだ。
ソ連後のロシアは共産党・国営企業人脈のオリガルヒ=新興財閥が利権を得、国民の不満はつのるばかり。タイでは昨年から若者(共産主義系?)を中心とする反軍政・反王政デモが続いている。ミャンマーは軍の利権保持のため軍政回帰が露骨に進められ、丸腰のデモ隊は300人ほども射殺され、まるで内戦一歩手前だ。
まったく新旧ガチンコのタネは尽きない。レーニンは「帝国主義戦争を内乱に転嫁せよ」と号令をかけたが、今は「内乱を対外戦争に転嫁せよ」という時代かもしれない。外に敵を創ることで国家の求心力を高める・・・これを今もっとも必要としているのは中共と米国ではないか。
国民の分裂、不満のエネルギーを外に向けさせる、そのために戦争、紛争、緊張を高める、その点で米中の為政者、習近平一派と米民主党は利害を共有しているように見える。台湾海峡での米中軍事衝突は切迫しているだろう。
<日米、台湾海峡有事へ懸念共有 防衛相会談で連携確認 共同通信2021/3/21
バイデン米政権下で初めて行われた16日の日米防衛相による対面会談で、米中間の緊張が高まる台湾海峡で不測の事態が起きかねないとの懸念を共有していたことが20日、複数の日本政府関係者の話で分かった。台湾有事に際しては緊密に連携する方針も確認した。
中台双方の対話による平和解決を追求する立場の日本が、台湾有事を議題としたことが明らかになるのは異例。日米の具体的な対処策が今後の課題になる。会談には岸信夫防衛相とオースティン国防長官が出席した。中国の圧倒的な軍備増強により地域の軍事均衡が崩れている現状に対する、日米防衛当局の危機意識が浮き彫りになった形だ>
これに対して台湾外交部の欧江安報道官は22日、「米国と日本の台湾海峡の平和と安定への重視に心から感謝すると述べた」(中央フォーカス)。中共 vs 米・日・台・豪連合軍になるかもしれない。これを機に日本は尖閣に港湾とヘリポート、宿舎を造ることになるか。
「ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動」からの続き。
<ソ連、英、米は1942年初め、ドイツとその同盟国を破るための軍事同盟「大同盟」を結んだ。それによってソ連はすぐに、米国の「武器貸与法」による軍事援助を受けられるようになった。その規模は英国に次ぐ大きさであり、最終的に90億ドル以上の支援を受け取った。
軍事援助の調整のため、米国はソ連に対して、相互の外交要員を大幅に拡大し、特別の役所を創ろうと提案し、それに基づいてソ連の軍人や技術者、技師が数千人も米国に入り、どんな援助が得られるかを調べた。機械、武器、飛行機、自動車、その他の軍需品がソ連の戦いに最も役に立つかを選ぶ調査に従事した。自動車は、40万台近くのトラックがソ連に送られた。
さらにソ連の要員を訓練して装備を維持・管理できるようにしなければならなかったし、マニュアルをロシア語に翻訳しなくてはならなかった。ソ連への運送貨物が注文通り運ばれ、きちんと積み込まれ、正しい船に乗せられたかを検査しなくてはならなかった。そのためにソ連海軍の軍人が集団をなして米国にやってきて、ソ連に引き渡される米国の軍艦、輸送艦を引き継ぐための訓練を受けた。
米国に来たこれらソ連軍人や技術者の中には、ソ連の主要な対外情報・保安機関のKGB、ソ連軍の情報機関であるGRU、海軍GRUに属するソ連情報部員が何十人もいた。彼らは二つの任務を遂行した。
一つ目は「保安任務」であった。KGBの内務保安部門は数十万の正規雇用者と、数百万の情報提供者を抱え、ソ連国民の政治的忠誠を監視していた。ソ連が数千の自国民を米国に送って軍事援助を受ける際には、こうした内務保安要員もいたのである。
米国で解読された「ヴェノナ」通信文のかなりの部分は、この保安任務についてのソ連側の通信を傍受・解読したものである。保安任務は米国の安全保障とは直接関わらないものだったが、軍事援助物資を受け取りに来たソ連の輸送船には、一隻当たり1~3人のKGBなどの密告者が潜入しており、ソ連の商船員を監視、追跡、拉致し、その際に米国法は無視されていた。
◆ソ連はすでに冷戦を始めていた: ソ連情報部員の第二の任務は、米国に対するスパイ活動であった。「ヴェノナ」解読文によると、ソ連は米国の重要な政府組織、研究所の人間をスパイとして徴募し、米国の多くの極秘情報を盗み出すのに成功していた、ということだけではない。米国共産党が実はソ連情報機関の補助組織であったことを明確に暴露しているのである。
米国共産党員のうち、数百人がソ連のスパイであり、共産党自体がソ連の情報機関と連携していた、むしろ積極的に助けていたのである。
米国政府は「ヴェノナ」解読文を情報源に国内の共産主義対策を進めていった。1940年代末から50年代初めにかけて行われた連邦政府による米国共産党員の捜査と起訴は、米国共産党がソ連のスパイ活動を支援しているという確かな事実を前提としていた>(つづく)
・・・・・・・・・・・・
それにもかかわらず今でも米国の共産主義者、FDRルーズベルトの子孫は「リベラル=アカ」として生き残っている、それどころか繁殖して今は保守派=反共を圧倒している。何たる皮肉!
大体、圧倒的多数の健全な人間は「飯が食えて面白おかしく暮らせればいい」のであって、「旗上げゲーム」のように、ひと握りの為政者やリーダーが「♪赤上げて、白上げて、白下げて、赤下げない」と言えば付和雷同するのだろう。
自由民主人権法治という価値観、理念、思想は「それはとても大事だ」と思う人にとって大事だが、生きる目標が「蓄財蓄妾美酒美食」の人にとってはそんなものは屁の河童だ。
「人間は一様に自由を求めているわけではない、たとえ独裁政治であっても、秩序、規範、安定を望んでいる」という識者がいたが、マキャベリは「君主論」で「言論の自由のある不安定な国と、言論の自由はないが安定した国とどちらがいいか。後者の方がマシだ」と言っている。残念ながらそういうものだろう。
物質文明は発展するが、人間のオツムは50年くらいしか働かない。次世代は初期設定されてまた一から始めて50年でお仕舞。寄せては返す波の如し。これからは波乱の時代で、ビッグウェイブが来るだろう。波に流されるか、波に乗るか、日本独立へ向けてイザ! 心臓マヒで倒れたりして・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/274(2021/3/23/火】37年振りにヒゲをすっかり剃った。カミサンは「ギャーッ! どーしたのよ・・・」と叫んだ。鏡の中の小生はまるで他人みたいで、カミサンが驚くのも無理はない。
「髪ももうウンザリだ、邪魔くさい。切ってくれ」「でしょー、ホントに面倒よね」
風呂場で3年伸ばしたポニーテイルを15センチほどざっくり切り落としてもらった。ああ、さっぱり。♪長い黒髪 プッツリ切って 帰るカモメにたくしたや・・・気分上々。この解放感は、髪を伸ばしたからこそ得られるものだが、3年間の隠忍自重を考えるとちっとも割に合わない。ずいぶん無駄なことをしたが、女も「長い黒髪」にウンザリしているようで、今はほとんど見かけない。
長髪族は今でも世界で頑張っているようだ。インドのシーク教徒は有名だが、ターバンで髪をくるんでいる。時々我が町でも見かけるが、洗髪とか手入れはどうしているのだろう。清朝時代(満洲王朝)の支那では辮髪(弁髪、細くて長いマゲ)が強制された。
<魯迅の短編「髪の話」(1920)の一節に次のような記述が見られる。
ねえ、きみも知っているだろ、髪の毛ってのは、われわれ中国人には、宝でもあるし仇でもあるんだよな。昔からどれだけたくさんの人が、そのために理由のない迫害を蒙ったことか!
辮髪が通り相場になったあと、今度は洪楊の乱(洪秀全・楊秀清の乱=長髪賊の乱、太平天国の乱とも)だ。ぼくの祖母が話してくれたことだが、あのときは人民こそ災難だった。髪を(好きに)全部伸ばせば官兵に殺されるし、辮髪のままなら長髪賊に殺されるんだからな。どれだけたくさんの中国人が、この痛くもかゆくもない髪の毛のために苦しみ、いじめられ、命を落としたことか>(世界史の窓)
明治4年の断髪令(マゲを結わなくてもいい、好きにしろ)では「残念派」と「さっぱり派」があり悲喜こもごもだったが、「散切り頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする」と、一種の流行みたいに散切り頭になっていったようだ。
付和雷同は世の常か。「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」(漱石)。人は概ね「易きに付く、易きに流れる」。我が道を行く、のは格好いいが、成功すれば称賛され、失敗すればバカにされる。ただ、歴史をたどると、「少数派=新勢力が徐々に勢力を増し、やがて多数派=旧勢力を抑え込む・駆逐する」という図式だろう。
旧勢力が自ら時代の変化、趨勢、潮流に乗り、新体制へ転換していくというのはまず聞いたことがない。旧勢力には既得権益を守りたいという本能があるから、体制変革がどうしても中途半端になってしまい、新勢力の期待に応えられないようだ。
ソ連後のロシアは共産党・国営企業人脈のオリガルヒ=新興財閥が利権を得、国民の不満はつのるばかり。タイでは昨年から若者(共産主義系?)を中心とする反軍政・反王政デモが続いている。ミャンマーは軍の利権保持のため軍政回帰が露骨に進められ、丸腰のデモ隊は300人ほども射殺され、まるで内戦一歩手前だ。
まったく新旧ガチンコのタネは尽きない。レーニンは「帝国主義戦争を内乱に転嫁せよ」と号令をかけたが、今は「内乱を対外戦争に転嫁せよ」という時代かもしれない。外に敵を創ることで国家の求心力を高める・・・これを今もっとも必要としているのは中共と米国ではないか。
国民の分裂、不満のエネルギーを外に向けさせる、そのために戦争、紛争、緊張を高める、その点で米中の為政者、習近平一派と米民主党は利害を共有しているように見える。台湾海峡での米中軍事衝突は切迫しているだろう。
<日米、台湾海峡有事へ懸念共有 防衛相会談で連携確認 共同通信2021/3/21
バイデン米政権下で初めて行われた16日の日米防衛相による対面会談で、米中間の緊張が高まる台湾海峡で不測の事態が起きかねないとの懸念を共有していたことが20日、複数の日本政府関係者の話で分かった。台湾有事に際しては緊密に連携する方針も確認した。
中台双方の対話による平和解決を追求する立場の日本が、台湾有事を議題としたことが明らかになるのは異例。日米の具体的な対処策が今後の課題になる。会談には岸信夫防衛相とオースティン国防長官が出席した。中国の圧倒的な軍備増強により地域の軍事均衡が崩れている現状に対する、日米防衛当局の危機意識が浮き彫りになった形だ>
これに対して台湾外交部の欧江安報道官は22日、「米国と日本の台湾海峡の平和と安定への重視に心から感謝すると述べた」(中央フォーカス)。中共 vs 米・日・台・豪連合軍になるかもしれない。これを機に日本は尖閣に港湾とヘリポート、宿舎を造ることになるか。
「ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動」からの続き。
<ソ連、英、米は1942年初め、ドイツとその同盟国を破るための軍事同盟「大同盟」を結んだ。それによってソ連はすぐに、米国の「武器貸与法」による軍事援助を受けられるようになった。その規模は英国に次ぐ大きさであり、最終的に90億ドル以上の支援を受け取った。
軍事援助の調整のため、米国はソ連に対して、相互の外交要員を大幅に拡大し、特別の役所を創ろうと提案し、それに基づいてソ連の軍人や技術者、技師が数千人も米国に入り、どんな援助が得られるかを調べた。機械、武器、飛行機、自動車、その他の軍需品がソ連の戦いに最も役に立つかを選ぶ調査に従事した。自動車は、40万台近くのトラックがソ連に送られた。
さらにソ連の要員を訓練して装備を維持・管理できるようにしなければならなかったし、マニュアルをロシア語に翻訳しなくてはならなかった。ソ連への運送貨物が注文通り運ばれ、きちんと積み込まれ、正しい船に乗せられたかを検査しなくてはならなかった。そのためにソ連海軍の軍人が集団をなして米国にやってきて、ソ連に引き渡される米国の軍艦、輸送艦を引き継ぐための訓練を受けた。
米国に来たこれらソ連軍人や技術者の中には、ソ連の主要な対外情報・保安機関のKGB、ソ連軍の情報機関であるGRU、海軍GRUに属するソ連情報部員が何十人もいた。彼らは二つの任務を遂行した。
一つ目は「保安任務」であった。KGBの内務保安部門は数十万の正規雇用者と、数百万の情報提供者を抱え、ソ連国民の政治的忠誠を監視していた。ソ連が数千の自国民を米国に送って軍事援助を受ける際には、こうした内務保安要員もいたのである。
米国で解読された「ヴェノナ」通信文のかなりの部分は、この保安任務についてのソ連側の通信を傍受・解読したものである。保安任務は米国の安全保障とは直接関わらないものだったが、軍事援助物資を受け取りに来たソ連の輸送船には、一隻当たり1~3人のKGBなどの密告者が潜入しており、ソ連の商船員を監視、追跡、拉致し、その際に米国法は無視されていた。
◆ソ連はすでに冷戦を始めていた: ソ連情報部員の第二の任務は、米国に対するスパイ活動であった。「ヴェノナ」解読文によると、ソ連は米国の重要な政府組織、研究所の人間をスパイとして徴募し、米国の多くの極秘情報を盗み出すのに成功していた、ということだけではない。米国共産党が実はソ連情報機関の補助組織であったことを明確に暴露しているのである。
米国共産党員のうち、数百人がソ連のスパイであり、共産党自体がソ連の情報機関と連携していた、むしろ積極的に助けていたのである。
米国政府は「ヴェノナ」解読文を情報源に国内の共産主義対策を進めていった。1940年代末から50年代初めにかけて行われた連邦政府による米国共産党員の捜査と起訴は、米国共産党がソ連のスパイ活動を支援しているという確かな事実を前提としていた>(つづく)
・・・・・・・・・・・・
それにもかかわらず今でも米国の共産主義者、FDRルーズベルトの子孫は「リベラル=アカ」として生き残っている、それどころか繁殖して今は保守派=反共を圧倒している。何たる皮肉!
大体、圧倒的多数の健全な人間は「飯が食えて面白おかしく暮らせればいい」のであって、「旗上げゲーム」のように、ひと握りの為政者やリーダーが「♪赤上げて、白上げて、白下げて、赤下げない」と言えば付和雷同するのだろう。
自由民主人権法治という価値観、理念、思想は「それはとても大事だ」と思う人にとって大事だが、生きる目標が「蓄財蓄妾美酒美食」の人にとってはそんなものは屁の河童だ。
「人間は一様に自由を求めているわけではない、たとえ独裁政治であっても、秩序、規範、安定を望んでいる」という識者がいたが、マキャベリは「君主論」で「言論の自由のある不安定な国と、言論の自由はないが安定した国とどちらがいいか。後者の方がマシだ」と言っている。残念ながらそういうものだろう。
物質文明は発展するが、人間のオツムは50年くらいしか働かない。次世代は初期設定されてまた一から始めて50年でお仕舞。寄せては返す波の如し。これからは波乱の時代で、ビッグウェイブが来るだろう。波に流されるか、波に乗るか、日本独立へ向けてイザ! 心臓マヒで倒れたりして・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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