日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

フォイヤーシュタインで言葉。

2016-04-12 18:21:58 | フォイヤーシュタイン
久しぶりに灰が降っています。しかも、その中をてくてくと歩いていたら、目が痛かったりします。曇り空、と思っていたのは、灰空だったのだわねぇ(´・_・`)

今日は、年長さんの子とフォイヤーシュタインでした。線を引いたり、パズルをしたり、頭を使う課題をしたり、盛りだくさんの1時間でした。

段取り良く考えたり、物事の裏に隠れた理屈を子でも考えてみる、というような問題に取り組んでみました。

面白いなぁ、と思ったのは、一見すると「知能テストか⁉︎」というような問題では、問題に隠れた規則性を探し出して、「できた!カンタン!」と意気揚々としている子が、野菜や果物を色別に分けた問題では、「赤、黄色、緑、紫」と色の区別はできるのに「色」という上位概念が出てこずに考え込んでいたことです。

このお子さんは、自分で色を手掛かりにしてパズルを作ったり、パーツ分けするのに、色別に分けたものを見ても、それぞれの具体的な色は出てきても「色」という言葉が出てきませんでした。

それを見ながら、感覚として色分けしても、意識して色を手掛かりにしようとする気持ちあるか?ないか?とそんな事を考えることでした。

しばらく、言葉と具体物を往復しながら、子どもの言葉の扉をノックしてみようかねぇ。そんなことを考えた夕暮れ時でした。
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見えないものを見る。

2016-02-29 18:34:41 | フォイヤーシュタイン
 つばめ1号(勝手に命名)を発見!

 去年も思ったけど、つばめの背の色はとてもきれいな黒っぽい藍色ですね。
光の加減で、すごく輝きます。
輝けるミッドナイトブルーとでもいいましょうか。

 この色、すきだなぁ~。

 フォイヤーシュタインの点群では、見本を頼りにしながら、
点を結んで形を作っていきます。

 最初は、形が1つだけで、それが回転しているだけなので、
見本をきちんと見ることができれば、形をつくることができます。

 ページを重ねていくと、同じ形が2つだったり、違う形と組み合わされています。
自分が探す形の特徴をきちんと把握し、頭の中にその形を思い浮べなければ、
違う形に線を引いてしまったり、まったく手が出なくなってしまう課題だと思います。

 昨日のフォイヤーシュタインでは、直角三角形の点群のページをしました。
見えない形を見る練習として、積み木や折り紙を準備し、
色々な下準備的な遊びをしようと思っていました。

 すると、お子さんが折り紙を手に取って、
「三角!」といって、折り紙を折りはじめました。

 

 折った折り紙を広げていました。

 

 そして、線で折られたことで表れた直角三角形に番号をつけはじめました。
自分で番号をつけながらも、
大きい直角三角形と小さな直角三角形が入り乱れて見えるからでしょう。

 大きい直角三角形を基準に番号をつけたり、
小さい直角三角形を基準に番号を入れたりするので、
本人も混乱気味に番号をつけていました。

 そこで、一緒に折り紙を折って、番号をつける作業をしました。
「まず、私がするのを見てね。」というと、じっと真剣に見ています。

 

 2回折って、直角三角形が4つできて、1、2、3、4と番号を書きました。
次に、さっき折っていたものと一緒の折り方で、8まで番号をつけました。

 最後に16まで番号がつく折り方をしました。

 

 この折り方のものは、直角三角形が大小入り乱れて見えるので、
目で三角形を見るより先に、自分で見えたものを逃さないように、
とにかく、番号をつけようとしている感じでした。

 この折り紙での学習を通じて、
このお子さんが、直角三角形の形をきちんと頭の中に描いていることがわかりました。
そうでなければ、実線のない折り目の線を「直角三角形だ!」と見立てることはできません。

 形はしっかりと把握しているので、次の段階として、
折り紙に表れた直角三角形のすべてを見つけるのか、
大きさを限定して直角三角形を見つけようとしているのか、
その基準を自分の中に作ることができると、
番号をつけるながら混乱、困惑する、ということがなくなるなぁ、と思うことでした。

 今回、私が準備した直角三角形のワークもしましたが、
子どもが自主的に手に取って、折りはじめた折り紙遊びが、
課題をしていく上での大きなヒントになりました。

 こういうときは、多少、折り目が変でも、折り方が雑でも、
その子のやろうとすることを最後まで見届けることが大切だなぁと、
つくづく、教えられることでした。

 教室に通ってくれる子どもさん、ありがとうね



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トップバッター「点群の組織化」

2016-02-23 21:40:00 | フォイヤーシュタイン
 満月は、昨日だったようだけど、
今日の月もとても美しいです。

 

 朝から雨で、昼前に日が射したと思ったら、また小雨降る曇り空。
でも、そのおかげで、雲と月が絶妙な掛け合いをしています。

 

 明日の朝、職場に向かうときには、この月が沈むのを追いかけて行くのかな。
こんな楽しみがある朝は、早朝の真っ暗通勤道もわくわくのツーリングに変わりますね。

 ふっしぎ~。

 今日は、月イチのSkypeでのフォイヤーシュタインの勉強会でした。

 そこで、このところずっと私の頭の中にある、
フォイヤーシュタインの教材で散らばった点の中から、
見本の形を見つけて線でつなぐ「点群の組織化」の意義について、一緒に考えてもらいました。

 色々な意見の中で、興味深かったのは、数学の話です。
数学を専門に学んだ方が、ものすごく端折ってわかりやすく、噛み砕いて教えてくださったのですが、
数学的に線の世界を見ると、
位相幾何学という、線も曲線もない世界があり、
射影幾何学という、直線と曲線が存在する世界があり、
ユークリッド幾何学という、辺の長さや角度を意識する世界があるそうです。

 これは、なんだか、子どもと点群をやっているときのようだな、と思いました。

 最初は、見本があっても見本は意味をなさず、ただ、思ったように点同士をつなぐだけだったのが、
見本を少し意識し、見本のように点を結ぼうとするものの、まだ、見本からはずれていき、
やっと、見本の形を意識して、見本の形に近づけるように線を引く段階まで来る。

 もっと具体的に言えば、いちばん最初は見本の正方形の線は、ただの黒い塊に過ぎず、
それが、正方形として、線で形が近づく、最終的には始点と終点がある、線が4本ある…、
というように、より、正方形に近くなる…、
「点群の組織化」をしている子どもの姿に重なるように思えました。

 そして、この世の中に存在しない「線」は大体の人々が共通の意味を持つ記号で、
その記号を用いて、自分と世の中を橋渡しする道具に「線」は成りうるから、
道具としての線で、世の中を抽象化していく練習に、「点群の組織化」は成りうるのかな、と思いました。

 見えない「線」という道具を使いこなして、
まずは、自分の目で見て、理解している範囲の見本の形を「線」で表す。

 すると、その子の見えているものと、見えていないものを、
「線」を通して、共通認識することができます。

 言葉の発達がゆっくりな子どもさんだと、
言葉を使わなくても、その子の見本への認識を予想し、理解することができます。

 フォイヤーシュタインのトップバッターの位置が、
「点群の組織化」である意味が、自分の中でしっかりと形になってきた、
意義ある勉強会でした。

 

 




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制御された線。

2016-02-06 22:46:43 | フォイヤーシュタイン
 先ほど、ちょっと隣町へ車で連れってもらった帰り道。

 年の頃は、60代くらいのおじさんがヒッチハイク中。
時間は22時15分ほど。
身なりも良い、荷物は手提げひとつ。

 田舎の国道で止まる車もなく、
私たちも反対車線を走りつつ、「ヒッチハイク!?」と言い、スルー。

 そんなこともあるもんだ。

 今日はフォイヤーシュタインの日でした。
今日のIEのベーシックの課題は点をつないで正方形を書くものでした。

 先々週、同じ課題をやったときには、
正方形の4つの点の向かって左上をスタートして、
左下→右下→右上と一筆書きに近い感じで書いていました。

 そうやって書くと、線が膨らんでしまったり、角が丸くなったりしてしまいます。
点から点に線を引くときに、
「はい、そこで止まって!次の点!」と声をかけると止まりますが、
気を抜くと、一筆書きになってしまいます。

 それが、今日は何も言わずとも、
点から点へ、1回ずつ止まって線を引き、それも直線に近い線で描けていました。

 聞くと、近頃、お皿の形を言ってみたりするそうで、
自分の身の回りの形に少し興味が出てきているようでした。

 そういう興味や学校での算数の教材などで、
正方形は一筆書きで描くものではない…、という概念が、
子どもの中にできつつあるのかもしれませんね。

 幼児の正方形などの描き方について調べていたら、
幼児は「一筆書きへの固執」があり、
線を描くときにも「上から下、左から右」というルールは無視されるそうです。

 そして、幼児の描線の発達は「スクリブル」という殴り書きの状態からはじまり、
線の描きはじめ、書き終わりが薄くなっていたり、明確な止めが認められない場合も多いそうです。
また、縦線や横線、円などが描いてあったとしても、
それは手指の運動の結果として残ったもので、意図的に制御をもって引かれた線ではないそうです。

出典:幼児期の線描発達と「ストローク単位」の成立との検討

 今日の正方形は、点から点と制御された線で成立している点でも、
成長が見られたのではないかなぁ、と思います。

 こうやって、ひとつひとつ、
偶然の正解ではなく、自分で意図して正解することが増えてくると良いですね。

 そのためにも、生活、遊び、勉強の中で様々な体験をし、
それらを上手に自分の中で結びつけていくパイプ作りの手伝いを
フォイヤーシュタインでしていきたいものです。
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2016年、フォイヤーシュタイン勉強会。

2016-01-26 21:11:51 | フォイヤーシュタイン
 大騒ぎの雪も溶けて、今朝はざくざくな氷になった道路。

近所の家のブロック塀の上には、雪だるまか雪ウサギが溶けたあとの赤いビーズ。
ちょっと、切ない感じです。

 今日はSkypeでフォイヤーシュタインの仲間との勉強会でした。
今回は、フォイヤーシュタインのワークショップを開いてくださる、
神戸の芦塚先生にも参加していただいての勉強会でした。

 普段は、1対1でやっているフォイヤーシュタインですが、
集団でやる場合は、どういう風にやっていくか、
違う課題をまたいでやってみるなど、
経験豊富な芦塚先生のアドバイスや実践をお聞きして、
とても有意義な時間になりました。

 また、関東で大人の方にフォイヤーシュタインをしている方が、
課題のやり方をグループで話し合うことで、
自分では当たり前と思っているやり方が当たり前でなかったり、
他のやり方を知ることで目から鱗!ということがあり、
人によっては、自分の仕事のやり方やものの見方を振り返るきっかけになるようだ、という話なども
興味深いものでした。

 私自身は、物事の持つ意味を言葉でインプットすることの大切さ、
そのためには、自分の身近な物事、目の前で起こっていることに、
いかに目を持っていかせて、興味を持たせて本人の中に自分の言葉をつくっていくか、ということの
大切さを感じる時間となりました。

 言葉は、自分でない他の人との橋渡しになる大切な道具です。
自分で自在に使えるようになるように、しっかりと土台を作っていきたいものですね。

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