日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

数字の話し。

2015-09-30 15:28:52 | 発達応援
 早朝の仕事でだらだらと流れていた汗が
じんわり、汗かなというくらいになった。

 仕事の量は変わらないのに、
ずいぶん過ごしやすくなったんだなぁ~と思いました。

 そういえば、冷たい麦茶も500mlで足りなかったのに、
常温の水、500mlで余るくらいです。

 ああ、あと2ヶ月で早朝の仕事はじめて1年。
また、真っ暗の中で寒い季節になるんですねぇ~

 数えるという行為の中では当たり前すぎて意識していなかったけれども、
数を数えたときに、最後にいった数が数えたものの集合の数になりますよね。

 わかりやすく、すると…。

     

 このように、りんごが並んでいて数をかぞえようとすると、
「いち に さん し ご」と数えて、
 「りんごはいくつある?」と言われたら、
迷いなく、「ご!」と答えますよね。

 この「ご(5)」というのが、りんごが全部で5個あることを示していますよね。
こんなの当たり前~、と人並みに生活している大人たちは思ってしまいますね。

 このことには「基数性の原理」といって、ちゃんと名前がついています。
集合の要素を数え上げたとき、最後に用いられたラベルがその集合の大きさ(基数値)を表す、
という約束事です。

 このことがわからない子どもは、
目の前のものを数えてあげていても、「いくつあったかな?」と聞かれると、
もう一度数え直そうとしたり、
特定の数だけモノを取って、と言っても(たとえば、アメちゃん6個取って…、とか)
モノの数を数えずにひと掴みとって渡そうとするそうです。

 そのことは、モノを数えることで集合の基数値がわかるんだよ、
簡単にいうと、モノを数えたらそこにある個数がわかるよ、ということを
まだ理解していないということだそうです。

 これをわかっていくために、

  いち

  に
 
  さん

と、「いち」という数詞とモノ、「に」という数詞とモノ…という風に対応付けが大切になっていくのですね。

 1対1対応も数字1個にモノ1個、というラベル付けとして大切ですね。

 年齢的には3歳半くらいで、
最後に言った数詞がその集合の基数値を表す数詞と同じだと理解するそうです。

 ~~~~以上参考文献『算数・理科を学ぶ子どもの発達心理学』~~~~

 日常、私たちが当たり前だと思っていることも、
こういう研究がなされているんですね。

 子どもたちのおかげで、私の世界も広がります。

 
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新しい車。

2015-09-29 20:36:14 | 日記
 今、車がない生活です。
私はバイクなので生活に変わりはありませんが、
数100m先のコンビニにも車で行く旦那どんは、てくてく歩き生活です。

 そういえば、高校生の頃。
もう、どこの家にも車がありました。

 私の家では車の免許を持つものは居らず、
よって、生活の中に「車で!」という思考はありませんでした。

 雨が急に降り出した放課後。
車で迎えに来てもらうのを待っている同級生たち。

 そんな中、てくてく歩いて傘を持って母が来てくれました。
そして、一緒に傘をさして帰ったことが何度かありました。

 高校生なのだから濡れて帰っても良さそうなものに、と今は思います。

 また、今、歩いて傘を届けるなんて風景あるかなぁ~とも思いました。

 今日は車に振り回された一日でした。

 車が壊れた26日。
いきなり、車が止まるなんて、今もあるのですね。

 「エンジンを乗せ変えないといけないかもですよ~」とは
いわれていましたが、新車で買って11年目の仕事にもよく使われるバン。
まぁ、ラジエーターが水漏れかな、くらいに思っていましたが甘かった。

 エンジン乗せ変え、バイク1台買えるじゃ~ん

 ということで、新しい車を買う算段を立てるため、
車屋さんに行って、今日は終わってしまいました。

 もう、残りの人生の中で何度も買うものではない車。
良いな、嬉しいな、楽しいな、と旦那どんが思える1台を選んでくれるといいな、と思います。

 それにしても、海外でも信頼ある日本のバンよ!
11年目20万kmオーバーくらいでぽしゃっては、いかんですよー。


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奇行と犯罪の間(あわい)。

2015-09-28 14:56:53 | 発達応援
 家で掃除をしていると、
どこからか、生協のトラックが音楽を流しながらやって来ました。

 朝の6時前から自分が積込んだ荷物が、私の家の近くでも荷下ろしされる…。
今朝もバタバタ忙しかったけど、ちょっと嬉しい気持ちになりました。

 でも、明日はちょっと、荷物減らないかなぁ~。

 季節の変わり目というのは、体調を崩したり、精神的に不安定になる人がぽこぽこと出てきます。
私自身は、眠くなるくらいですが、その振り幅は人それぞれで、
本人も自覚をするほどの崩れ具合の人もいるでしょうし、そんなのないよ、という人もいると思います。

 その季節の変わり目の頃になると、普段とは行動が変わってしまう子どもたち、何人かと関わったことがあります。

 ただただ、イライラして気持ちのコントロールがうまくいかない子。
どんよりと落ち込んでしまって、自分でもどうしてそうなのかわからない子。
とてもハイテンションになって、奇声を上げてしまう子。
人のものを盗ってしまう子。
異性のトイレをのぞく子。
異性に抱きつく子。

 最初にあげた、2つは本人の中でじゅくじゅくしていて、
八つ当たりされたり、煮え切らない態度に周りも多少は迷惑もしますが、
「八つ当たりしない!」「ぐずぐずしない!」と注意していきながら、
自分でそういう態度だと自覚できれば、少しずつ成長していく感じがしました。

 3つ目のテンションが上がって、ふさわしくない場で奇声を上げる子は、
衝動的になって自分で自分をコントロールできない点では、上の2つと似ています。
その子の奇声が引き金となって、クラス中がキャーキャー、ワーワーなることもあります。
奇声をあげそうになったときに、ちょっと目配せなどすると、
本人も「あ!」っと気がついたりするので、
今、どんな場面か、ということにも気づかせると、
自分でわき上がる衝動をコントロールできるような感じがしました。

 ところが、残りの3つです。

 あってはならないことです。
発覚したのも色々な偶然や勇気を持って訴えて来た子どもがいてくれたからです。

 指導が難しいことのひとつに、大人の目の前では起こらず、
子どもたちだけの休み時間や放課後に事件が起こってしまう点もあります。

 私が関わった子どもの中には、起こった出来事に対してその場で注意しなくては、
何について注意を受けているのかが、わからない子どももいました。
そういう子に周囲から聞いた情報を元に本人に話しをしても、
本人はおとぎ話か何かを聞いているような感じで、自分がやったことを省みることができませんでした。

 また、事件の真相を辿っていくと、
小学生の頃にされたことに対する屈辱感からの長年の嫌がらせだったということもありました。
やった本人は、昨日のことのように涙を流しながら小学生の頃の悔しかった思いを語ります。
しかし、時を隔てて被害に会っている子どもは、そんなこと覚えていないのです。
被害者の保護者の方も小さい頃から見知っている仲、学校で指導してくださいということになりました。

 ここできっちり話しをしていかなくては、年齢が上がるほどに大変なことになります。
担任の先生や学年の先生、部活の顧問の先生、保護者と手を尽くして、
その子と話しをしました。

 しかし、最終的に保護者の方が、
小さい頃から色々なことで同級生より時間がかかった子どものことをかばい、
よくぞ、ここまで成長した!と号泣され、
子どもの中では、自分がしでかしたことがプラスマイナスゼロの出来事のように感じている…、
そんな印象を受ける結果になってしまいました。

 普段は、なんのこともなく静かでおとなしい子ども。
おしゃべりでお調子者だけど気が利く子ども。
自主性は薄いけれど、まじめにコツコツがんばる子ども。
家で色々大変なこともあるけれど、健気にがんばっている子ども。

 どの子も、どの子もとても良い子どもたちでした。

 だからこそ、ただのその日の気分だよ、と軽く見るのではなく、
ちょっとの変化もきめ細やかにしっかりと見て、
気分の変化の山が大きくならないように、本人の成長を促す関わりをしたいと思うのです。

 いつまでも注意を受ける存在ではなく、
自分で気がついてコントロールできるように、
保護者も学校も私のように関わる大人たちは、温かくも眼光は鋭く、
見守っていかなくてはならないよな、と思うのです。

 季節の変わり目になると、何事もなく過ごしているかなぁ~と、
季節の変わり目に飲み込まれ、振り回されがちだった子どもたちのことを思い出すのです。


 


 


 
 
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世話焼きをかわして。

2015-09-27 15:31:16 | 発達応援
 本を読んで過ごすつもりが、
雨降りで暗い天気なのでいつの間にか眠ってしまいます。

 季節の変わり目の冷たい空気。
しっとりとした雨模様。
昼寝に絶好の一日です。

 『自閉っ子のための道徳入門』という本があります。

 

 この中で第三章目を書かれている賢ママさんのブログがあります。

http://blog.goo.ne.jp/ocyapu-/e/1ee5ba1f6cac0d5ded3703b9c17c0dd8#comment-list 多病息災発達障害者こよりの日常

 本の内容も共感することが多かったのですが、ブログの内容も頷くことがとても多いです。
今日のブログの内容も考えさせられること、思い当たることがとても多い内容でした。

 学校で支援員をしていたときに、
小学校でも、中学校でも、支援クラスに在籍する子どもや他の子どもより少し行動が遅れがちな子どもに、
手を貸してくれたり、声をかけてくれる子どもたちはたくさんいます。

 中には、同級生が困っているんだからと、手を貸してくれたり、
「先生、○○さんができないって~」と教えてくれる子どももいました。

 そんな子どもたちを大人たちは、「気が利く」とか「親切」と褒めることがあるので、
周りの子どもたちも「ああ、そうかぁ」と声をかけてくれたり、気にかけてくれたりして、
クラスの雰囲気があたたかい感じで、良い、といえば良い感じです。

 そんなふうなので、支援クラスの子がしていることを手伝おうとした子に私が、
「手伝わなくていいよ、できるから」というと、
なんだか、恥でもかかされたかのように怒る子や「先生、冷たいね!」なんて言われることもありました。

 たしかに、支援が必要な子どもが本当に本人の力で何かする、となると、
ものすごい、時間がかかります。

 例えば、学習面では、各自でB4の壁新聞を作らなくてはいけない時など、
クラスで取組む2週間くらい前から、支援クラスでテーマについてや
どんなことを書くのかやレイアウトやら内容の文章書きやらと取組んだにも関わらず、
出来上がるのもクラスの出来上がりが一番遅い子と一緒くらいで、
まさに、新聞との格闘といった感じでした。

 それでも、自分で仕上げたということが自信になって、
学年があがって、また、違う課題で各自新聞を作る時は、
少しだけスムーズにできることになりました。

 また、体育での柔道の道着の紐が結べなくて、
「結んで」と言ってバンザイで来る支援クラスの中1の子に、
「自分でやらんと!」と言ってつっぱねたところ、
「できない!」「できる!」「できない!」「できる!」の応酬になり、
床に寝転んで駄々までこねはじめたこともありました。

 通りがかった先生が事情を察して、
体育の先生に言ってくださって、「自分で結べたら授業にきなさい」と伝言があって、
私もその子の横でビニール紐を胴に巻いて、手順を一緒にやりながら、
どうにかこうにか、自分で真結びに結んで授業に参加することができました。

 本当に、本人が困っていて、どうにもできないならば、
誰かに助けてもらうことが必要なときは、もちろんあります。

 でも、失敗もできて、何度もやることができる
学校や家の中では、時間の許す限り、世話を焼かれずたくさんチャレンジして欲しいなぁと思うのです。 

 また、私は時々、いやだなぁと感じる空気感がありました。

 それは、
手伝いをした子の「世話しなきゃ、なんにもできないのよね」という手伝った子の優越感漂う空気感、
手伝ってもらっている子の「最終的には誰かがしてくれる、でも、オイシいとこはやる」という人任せで自分本位の空気感、
そして、先生の「これで、計画通り進める」という場当たり的空気感。

 この3者の利害の一致で、その場がスムーズに凌がれて、
「はーい、みんな良く、協力しました!」なんて言われると、
なんじゃそりゃーーーーーーー!!!!!わー、なんか、やだーーーーーー!!!!!
と思わずにはいられないのでした。

 余計なお世話を焼かれないために、
しっかり、自分で自分の気持ち、意志を伝える力はつけたいものですね。



 

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実家の母と。

2015-09-26 16:58:46 | 日記
 久しぶりに出水の実家に帰った帰り道。
山越えの途中、いきなり、車がダウン。

 そんなこともあるんですね。
保険会社に電話をしたり、修理に出す車屋さんに電話したり。

 山の中は暗くて、虫の声も家で聞くより大きく聞こえました。
やっぱり、季節は秋ですね。

 車は、どうなっちゃうやら。
がんばれ、車ちゃん!

 今日は本当に久しぶりに、実家へ帰ったので、
「近頃、血の巡りが良きない気がする」という母に金魚運動をしました。
これは相手の足の踵を自分の太ももの辺りで手のひらに乗せ、
体を揺すってあげる運動です。

 親子の信頼関係からか、手のひらに母の踵をのせて揺すりはじめた途端、
母の踵の重さをずしっと感じて、
母は踵を揺すっているのに、波打つように頭までゆらゆらしていました。

 その跡、少しの筋膜リリース。
それも気持ちが良かったようで、大きく息をすっていました。

 信頼できる間柄の人とのマッサージはとても気持ちのよいものです。

 ぜひ、家で子どもさんにマッサージしてあげて欲しいなぁと思います。

 少し昼寝モードになった母を嬉しく眺めることでした。

 
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