明日から6月ですね。
2015年も半年が過ぎたのか~と思うと、驚きです。
きっと、後5ヶ月したら、
「もう12月だなんて!」と書いてるな、私。
『「このままでいい」なんていわないで!』という、フォイヤーシュタインについて書かれた本があります。
フォイヤーシュタインを実践した子どもについてや教材の意図について書かれた本です。
今、この本を読み直しています。
しかし、頭の中にきちんと具体化されて入ってこないので四苦八苦しています。
でも、大事なことが書かれていると思うので、努力しながら読み直し中です。
例えば、こんな記述があります。
認知機能不全の調整は、個人のすべての学習能力の変容において
最も重要なことであるため、すべての教材に含まれている。
機能不全は個人の欠陥や、またその人の行動の不変的な性質として見なされるべきではない。
むしろ、それらは何らかの理由で、
学習課題との間の相互作用の方法が不十分であるとして考えられるべきである。
教える立場から、認知機能不全は、心的行為の三つの段階に分類することができる。
(イ)入力
(ロ)精緻化、そして
(ハ)出力である。
「入力」は問題の解明に必要な情報を収集する、個人的行動の段階である。
情報は、外部および内部の情報源から収集される。
「等間隔にある四つの点を見るとき、正方形の概念をそれらの点に投影するために、
自分の記憶の中にある必要な情報を付け加える。」
その他の活動についても、認識し、識別し、関連付けをするために、
二つの情報源(内部と外部)は結合されなければならない。
入力における不全は、しばしば注意力についての不適切な投入に起因し、
知覚が不鮮明でまばらなものになってしまうことである。
入力段階での不全は試行錯誤、知覚するや否や衝動のままに反応する行動、
かつ非体系的なアプローチに反映されるのである。
目の前の課題の、ある特定の要素にほとんど注意を払わなかったり、
ある要素に必要以上な鋭敏さで焦点を集めるのである。
不全の原因は、さらに、正確さに対する欲求が極めて低いか、
あるいは必要な概念(例えば上、下、右、左、以前、同じ、異なるといった空間と時間に関する概念)が
欠如しているか、それともその概念を応用しないことにある。
教師にとって、入力における不全を克服するための教育上の最大の難点の一つは、
生徒が同時に二つの情報源を統合しない場合に起こる。
それらを統合し、全体の構成部分として知覚する代わりに、
その情報源を一つずつ分けて扱うのである。
入力時のもう一つの問題は、
物体の要素の一部に変化が起きても、物体そのものは不変であることを理解できないことにある。
正方形の位置を回転させても、それを一定不変のものとして知覚することは、
正方形が他の図形と混ざりあっているときにその正方形を識別する上で必要なことである。
同様に正方形の一部に対角線を引いた場合でも、見慣れた向きに正方形を認識する傾向にあるため
正方形を見極めることが困難になる。
それゆえ、正方形固有の要素を教える必要がある。
この部分を読んで、フォイヤーシュタインの課題(FIE)の中の「点群の組織化」をするときに、
自分の頭の中で起こっていることと照らし合わせると、
点の中からどんな形を見つけるかをモデル図形によって情報を得る。
得た情報を分析し、形をしっかり把握するために、モデル図形に名前をつける。
点が重なりあったり、モデル図形の向きが変わっても惑わされずに点をつなぐ。
似た図形ができそうでも、頭の中で仮想の線を引きながら大きさを比較する。
などと、色々なことを頭の中では行っているのですね。
そして、この課題が難しい場合、
上記で記した、入力段階でのつまずきが見られることを意識する。
具体的に、どんな入力のつまずきかも推察する、ということも必要なのですね。
更には、そのつまずきを取り払うための手だてを考える。
もつれた何本ものネックレスの細いtチェーン。
所々かたく結ばれているチェーンを丁寧にほぐしていく、
そういうことが必要なのだな、と再認識しながら、
では、どんな、どうやって…と頭の中をぐるぐる駆け巡る、休日でした。
2015年も半年が過ぎたのか~と思うと、驚きです。
きっと、後5ヶ月したら、
「もう12月だなんて!」と書いてるな、私。
『「このままでいい」なんていわないで!』という、フォイヤーシュタインについて書かれた本があります。
フォイヤーシュタインを実践した子どもについてや教材の意図について書かれた本です。
今、この本を読み直しています。
しかし、頭の中にきちんと具体化されて入ってこないので四苦八苦しています。
でも、大事なことが書かれていると思うので、努力しながら読み直し中です。
例えば、こんな記述があります。
認知機能不全の調整は、個人のすべての学習能力の変容において
最も重要なことであるため、すべての教材に含まれている。
機能不全は個人の欠陥や、またその人の行動の不変的な性質として見なされるべきではない。
むしろ、それらは何らかの理由で、
学習課題との間の相互作用の方法が不十分であるとして考えられるべきである。
教える立場から、認知機能不全は、心的行為の三つの段階に分類することができる。
(イ)入力
(ロ)精緻化、そして
(ハ)出力である。
「入力」は問題の解明に必要な情報を収集する、個人的行動の段階である。
情報は、外部および内部の情報源から収集される。
「等間隔にある四つの点を見るとき、正方形の概念をそれらの点に投影するために、
自分の記憶の中にある必要な情報を付け加える。」
その他の活動についても、認識し、識別し、関連付けをするために、
二つの情報源(内部と外部)は結合されなければならない。
入力における不全は、しばしば注意力についての不適切な投入に起因し、
知覚が不鮮明でまばらなものになってしまうことである。
入力段階での不全は試行錯誤、知覚するや否や衝動のままに反応する行動、
かつ非体系的なアプローチに反映されるのである。
目の前の課題の、ある特定の要素にほとんど注意を払わなかったり、
ある要素に必要以上な鋭敏さで焦点を集めるのである。
不全の原因は、さらに、正確さに対する欲求が極めて低いか、
あるいは必要な概念(例えば上、下、右、左、以前、同じ、異なるといった空間と時間に関する概念)が
欠如しているか、それともその概念を応用しないことにある。
教師にとって、入力における不全を克服するための教育上の最大の難点の一つは、
生徒が同時に二つの情報源を統合しない場合に起こる。
それらを統合し、全体の構成部分として知覚する代わりに、
その情報源を一つずつ分けて扱うのである。
入力時のもう一つの問題は、
物体の要素の一部に変化が起きても、物体そのものは不変であることを理解できないことにある。
正方形の位置を回転させても、それを一定不変のものとして知覚することは、
正方形が他の図形と混ざりあっているときにその正方形を識別する上で必要なことである。
同様に正方形の一部に対角線を引いた場合でも、見慣れた向きに正方形を認識する傾向にあるため
正方形を見極めることが困難になる。
それゆえ、正方形固有の要素を教える必要がある。
この部分を読んで、フォイヤーシュタインの課題(FIE)の中の「点群の組織化」をするときに、
自分の頭の中で起こっていることと照らし合わせると、
点の中からどんな形を見つけるかをモデル図形によって情報を得る。
得た情報を分析し、形をしっかり把握するために、モデル図形に名前をつける。
点が重なりあったり、モデル図形の向きが変わっても惑わされずに点をつなぐ。
似た図形ができそうでも、頭の中で仮想の線を引きながら大きさを比較する。
などと、色々なことを頭の中では行っているのですね。
そして、この課題が難しい場合、
上記で記した、入力段階でのつまずきが見られることを意識する。
具体的に、どんな入力のつまずきかも推察する、ということも必要なのですね。
更には、そのつまずきを取り払うための手だてを考える。
もつれた何本ものネックレスの細いtチェーン。
所々かたく結ばれているチェーンを丁寧にほぐしていく、
そういうことが必要なのだな、と再認識しながら、
では、どんな、どうやって…と頭の中をぐるぐる駆け巡る、休日でした。