日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

教える試行錯誤中。

2015-01-31 23:20:18 | 発達応援
 今日はエスニック料理を食べに行きました。
香辛料や野菜や米がたくさんのエスニック料理は食べると元気になります。
次回、また食べに行けるように、またしばらくがんばろう~っと。

 学校で仕事をしている時、漢字や計算を繰り返しさせても、
自分のできる限りではありますが、わかりやすく説明しても、
「学習の定着」という状態にはほど遠い子どもたち。

 そんな子どもたちが、自分のからだでありながら、
自分のからだを思うように使えていなかったり、
視力は良いのに、文字を見る力が弱かったり、
聴力はあっても、聞くことが苦手だったりすることを、
学校や教育とは関係ない、と思っていたセミナーやワークショップで知りました。

 学校の中で、ワークショップで学んだことを活かしたくても活かせないもどかしさに、
よっしゃ、じゃあ、学校を離れたところで、どうにかしようと思い、今があります。

 しかし、実際、学校を離れると、
どうやったら目の前の子は学べるか、
学ぶためには、何が必要か、ということに目が行きます。

 学ぶために必要な目の動き、耳の使い方、話の切取り方。

 学習に必要なからだの力、力の抜き方。

 生きて行くために必要な認知の仕方。

 自分の教える芯が揺らがないように。
正解はないのでしょうから、はじめたばかりのことなので、
腹をくくって、こつこつ模索するしかありません。
試行錯誤、多少ご乱心しながらも前に進みます。



 

 




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瞬時に耳を傾ける。

2015-01-30 16:38:35 | 発達応援
 久しぶりにひんやりします。
やはり、寒の内、寒さに対しても油断はできませんね。

 「4番から蓄冷材出すからね。」
今日、次の仕事の準備をしている時に一緒に準備をしていた方が言われました。
 「そしたら、11番から出して行くね。」
別の方が場所がかぶらないように、反対側から出すということを言われました。
そのとき、5人で仕事をしていましたが、
発言された方以外の3人は、それぞれ自分の作業の手を一瞬止めて、
視線を4番、11番の冷凍庫に向けました。

 さて、残る1名の方は、自分の作業の手を止めることもなく、
冷凍庫を見ることもなく、作業に没頭されていました。

 それぞれで蓄冷材を来週運びやすくするために、
専用の大きな保冷バックのような物につめていたのですが、
少し時間が経った頃、作業に没頭されていた方が、
3番の冷凍庫までの蓄冷材を詰め終わり、4番、5番と冷凍庫を開けながら
「冷凍庫空だ!もう終わり?」とバタバタされています。

 なんとなく、「話し聞いとけよ~~~」という空気が流れます。

 ちょっとしたことなのですが、聞くべき時に聞いていなかったり、
見るべき時に見ていないと、作業が遅れたり、
相手に同じことを何度も言わせたりすることになります。

 本人は本人なりに一生懸命なのだから、それでもいいじゃないか!という考え方もあるのですが、
それは一緒に仕事をしている人や学んでいる人が評価して言ってくれることで、
本人が言うと「開き直ってんじゃねーよ。」ということになりかねません。

 職場の方はもしかしたら、耳から情報を取入れることが苦手なのかもしれません。

 これが子どもの場合は、先生が教科書の開けるページを言っていても自分だけノートを取っていたり、
次の授業についての準備の話をしているのに筆箱の整理整頓をしていたりして、
「なんて言った?どうするの?」とまわりの友だちに聞きまくり、
友だちの作業も遅らせる…という悪循環を作ったりします。

 しかし、耳から情報を取入れることが苦手でも放置しておくことは、
本人が将来学んだり、仕事をする上でしんどい思いをします。
たとえ、耳から情報を取入れることが苦手な特性があり、
聞くことに集中することがしんどい作業であったとしても
コツコツと聞くトレーニングをしていかなくては、本人が困ります。

 一緒にトレーニングをする側も「絶対聞ける」という思いを持って、
根気づよく、時には心を鬼にして取組まなくてはいけないなぁと、
今日の仕事でのできごとを思い返すことでした。

 

 

 

 

 
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失せもの大将。

2015-01-29 14:54:38 | 発達応援
 早朝の仕事の時に、いつも目が止まる、
「エア•キーパー 大間迅」の文字。
おそらく、「だいまじん」と読むのでしょう

 寝ぼけた頭でも、こういう心くすぐるものが見つかると、
ひとり心でにまにましている、幸せ者です。

 で、「大間迅」の正体は、ググればわかります。

 私が中学校で支援員をしていたとき、
成績は良いとはいえないけれども、まぁ、普通。
ただ、忘れ物が多く、提出物の期限が守れず、プリント類の紛失も多い子どもがいました。

 その子は、とにかく、整理整頓が苦手で、
朝は買ったばかりのシャーペンを友だちに見せびらかしていたのに、
放課後には「あれ、どこだっけ?」と言い、
新品の消しゴムも放課後には消しゴムを包んでいる紙はなくなり、
2日もすれば、半分に割れ、週の終わりにはなくなっているという強者でした。

 教科書、ノートの忘れ物が多く、本人がとった行動は、
全教科毎日持ってくるというもので、いつも通学鞄はぱんぱん。
プリント類もとにかく、捨てずに鞄や机の中に押込んでいました。

 その子とプリント整理をしたのですが、
鞄の中からも机の中から地層のように圧縮されたプリントが出てくる、出てくる。
中2の3学期だったにも関わらず、なぜか、1学期のお知らせのプリントや
紛失して怒られながら再度もらったプリントが実はあったり、
宝の山というか、なんというかの状態でした。

 プリントの要る、要らないの判断は私にはできないので、
その子と同じクラスの子にも判断を手伝ってもらいながら、
放課後2時間ほどかけて、整理整頓しました。

 そして、見ていると、整理整頓できない子はプリントの要る、要らないの判断ができません。
1学期の終わった行事の案内のプリントにさえ、「捨てて大丈夫かな。」と言っています。

 そんな風なので、教科のプリントなどはどうすれば良いかわからず、
手伝ってもらっている子に、
「これは、テスト終わったから取っておいても仕方ないよ。」とか、
「これは、先生に出すやつだから、見つかったって言って出せば?」とか、
いちいちアドバイスをもらいながら、どうにかこうにか整理しました。

 残ったプリントは、教科別にファイルにいれると、
膨らんでパンパンだった鞄が、すっきりして体操服くらいは入るスペースができました。

 そういう作業を一緒にしながら、
整理のできなかった子は、授業中に話が聞けていないのだなぁと思いました。
もらったプリントは、どうするべきなのかがわかっていないので、
家で保護者に渡す物も渡さず、とりあえず、鞄に入れる。

 さらに、プリントを配られていても、
自分が別のことに興味を惹かれていたら、プリントに気が行きません。
別の子どもでしたがノートに何か一生懸命書いていたり、友だちとしゃべっていると
自分のプリントを取らずに後ろに回しているといことを目撃したことがあります。

 自分の持ち物を紛失する、忘れ物が多い、
もらったプリントの整理整頓ができない子どもの多くが、
自分の今やっていることを止められない、良くいえば集中力がある、
しかし、別の言い方をすると自分のペースを崩せない融通の利かなさを持っていると思います。

 そして、自分がやろうと思ったことが終わると、
事切れたように、シャーペンを無造作に机の中に入れたり、
次の自分の興味に移ったり、ぼーっとしてしまい、
まわりが何をしているかに目が向かず、向いた時には2,3テンポ遅れている…という状態だったりします。

 オマケの行動で、不思議なことに自分が机に入れたシャーペンのことは忘れて、
ノートの下や床などきょろきょろシャーペンを探していたりすることも多々あります。

 注意欠陥の特性、と言ってしまえばそれまでです。
自分の意と合致しなくても、聞く、見るという訓練に近い練習や
周辺視野を広げるからだからのアプローチもそういう子どもには有効ではないかと
一緒に整理整頓の手伝いをし、その特性を容認するする以外に、
私にも少し知恵がついたかなぁ、と近頃思います。

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使えない、使える。

2015-01-28 16:15:24 | 発達応援
 とても暖かく、身も心も春模様で油断しています。
こんなときに、急に寒くなると、一発でからだの調子が狂いますね。
気をつけなくてはいけません。

 学校で仕事をしているとき、
書かせるだけ、計算させるだけの繰り返しだけでは、
漢字を書けるようにはならないし、計算もできるようにはならないな、ということは、
子どもの漢字の捉え方や
数字の捉え方を観察しながら思っていました。

 例えば、漢字はある子どもにとっては、
ひらがなの音声を複雑な形にしたもので、万葉がなのような日記や作文を書いていましたし、
別の子どもは、直線の重なりや交わりのある記号のようなもので、
手本を見ては書き順などは無視の個性的、芸術的な手法で手本の漢字の模写をしていました。

 また、数字についても、
数えるための記号としてしか頭の中に入っておらず、
例えば100まで見ても、空でも数えられるのに、
「72」と書かせると「7102」と音声通りに、
「なな」と「じゅう」と「に」を書いてできた!とお澄まし顔で座っていたりします。

 こういうことが小学生の頃に発見されれば良いのですが、
中学生になって発見されると、こちらもびっくりしてしまいます。

 こういう子どもたちは、少人数の学校でみんなと一緒に学んでいたり、
まわりのやさしい友だちに助けられて、勉強はどうにか乗り越えてきた子、
または、おとなしくて目立たずに、授業中も騒がないので見過ごされてきた子、
独特の学習嗜好から抜け出せず、それを注意されずにきたなど、
背景は様々です。

 でも、漢字であれば、
意味を持ち適材適所に使うことができなければ、漢字がわかっているとはいえないし、
数字も数えることだけが役割ではありません。

 漢字が書けることに意味を見いだす。
数字が読める、空でいえることで安心する。

 そうではなくて、使える漢字、使える数字として、
子どもの頭に定着させることが大切だと思います。

 その方法は、たくさん問題をこなしたり、
学校で教え方を工夫してもらうだけではなくて、
身近な生活の中で、階段を歩きながら数えたり、買い物の時にお金を使わせたり、
でてきた漢字と日常のものを結びつけたり、
そういう生活の中での経験がとても大切だと思います。

 


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猫騒動。

2015-01-27 21:59:06 | 日記
 今日は職場の新規採用の研修でした。
早朝の仕事が休みな訳ではなく、仕事が終わってそのまま研修。
午後は、夢とうつつの境を彷徨っていました。

 これでいいのか、研修…。

 いとこの飼っている猫が、まだ2歳くらいなのですが癌らしく、
具合が悪いとメールで知り、ここ何日か励ましたり、アドバイスしています。

 猫というのは、痛くても黙って、じぃっとしています。

 野良猫などは、死期がくると隠れるというし、
飼い猫でも野性味が残っていると、外に出ようとしたり、
家の中でも隠れようとしたりします。

 私が看取った猫は、私の布団で旅立ったり、人の行かない部屋で旅立ったりでした。

 18歳まで生きた猫は、よたよたしながらも起き上がり、
猫のトイレまで行き、用を足し、そこで力尽きて、ぺたりとへたり込んでいました。
その猫を布団に連れてくるのが、夜中の私の仕事でした。

 やせ細り、体力がなくなっても、枕元にあるトイレでは決してせず、
いつものトイレに行く猫を見ながら、
自分が年老いた時にこんな風でありたいものだと思うことでした。

 さて、いとこの猫は往診に来てくれた動物病院の先生と猫を心配するいとこに対して、大暴れ。
それでも、押さえつけて、注射をしたり大変だったようです。
そして、飼い主の心知らず、怒って家から脱走してしまったと、
落胆のメールがいとから届きました。

 自分のからだのことは、自分が知っているよ、という猫の気持ちもわかりつつ、
やはり、飼い主としては、少しでも長生きしてほしい。

 心配な一晩を送るいとこの心情を思い、
自分の猫の生きる様や自分自身の生死について、ふと考える夜です。
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