たぶん、白木蓮の花でしょう。(こぶしかな?という思いも)
去年、引越してきた4月には青々とした葉っぱが盛りで、
「柿の木?」と思っていましたが、実がならない。
ぎゅっとつぼんだつぼみが、膨らんでむわっと大きくなってきました。
もうすぐ、満開です。
子どもと勉強をしていて、基本的なことを忘れていることがあります。
それは目の前の子どもが、今何をしているか、わかっているのかな、ということです。
やらせることに一生懸命になって、色々工夫して、
あの手この手を使って、さぁ、課題はできた!クリア!
ただそれは、私の工夫に対するクリアで、本人の知恵や知識になっておらず、
そんな場合、似た場面、似た問題で応用が利かず、またイチからやっていく、ということになります。
子どもがつまずいている部分を細かく分解、分析をする。
例えば、算数の計算で引っかかっていたら、
数字は読めているか、書けているか。
物を数えることはできるか、できないか。
集合数と順序数が混乱していないか。
でも、これは子どもにここができてなーい!と指摘するためではなくて、
教える側が、子どもが足を取られているところを見つけて、
からまった糸をほぐす手段や方法を考えるための分解、分析です。
今日は、私もフォイヤーシュタインの日でしたが、
子どもの「わかんない」の分析が足りず、すまなかったなぁ~と反省の宵でした。
去年、引越してきた4月には青々とした葉っぱが盛りで、
「柿の木?」と思っていましたが、実がならない。
ぎゅっとつぼんだつぼみが、膨らんでむわっと大きくなってきました。
もうすぐ、満開です。
子どもと勉強をしていて、基本的なことを忘れていることがあります。
それは目の前の子どもが、今何をしているか、わかっているのかな、ということです。
やらせることに一生懸命になって、色々工夫して、
あの手この手を使って、さぁ、課題はできた!クリア!
ただそれは、私の工夫に対するクリアで、本人の知恵や知識になっておらず、
そんな場合、似た場面、似た問題で応用が利かず、またイチからやっていく、ということになります。
子どもがつまずいている部分を細かく分解、分析をする。
例えば、算数の計算で引っかかっていたら、
数字は読めているか、書けているか。
物を数えることはできるか、できないか。
集合数と順序数が混乱していないか。
でも、これは子どもにここができてなーい!と指摘するためではなくて、
教える側が、子どもが足を取られているところを見つけて、
からまった糸をほぐす手段や方法を考えるための分解、分析です。
今日は、私もフォイヤーシュタインの日でしたが、
子どもの「わかんない」の分析が足りず、すまなかったなぁ~と反省の宵でした。