日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

問題分析。

2015-02-28 21:49:05 | 発達応援
 たぶん、白木蓮の花でしょう。(こぶしかな?という思いも)
去年、引越してきた4月には青々とした葉っぱが盛りで、
「柿の木?」と思っていましたが、実がならない。
ぎゅっとつぼんだつぼみが、膨らんでむわっと大きくなってきました。
もうすぐ、満開です。

 子どもと勉強をしていて、基本的なことを忘れていることがあります。
それは目の前の子どもが、今何をしているか、わかっているのかな、ということです。

 やらせることに一生懸命になって、色々工夫して、
あの手この手を使って、さぁ、課題はできた!クリア!

 ただそれは、私の工夫に対するクリアで、本人の知恵や知識になっておらず、
そんな場合、似た場面、似た問題で応用が利かず、またイチからやっていく、ということになります。

 子どもがつまずいている部分を細かく分解、分析をする。

 例えば、算数の計算で引っかかっていたら、
数字は読めているか、書けているか。
物を数えることはできるか、できないか。
集合数と順序数が混乱していないか。

 でも、これは子どもにここができてなーい!と指摘するためではなくて、
教える側が、子どもが足を取られているところを見つけて、
からまった糸をほぐす手段や方法を考えるための分解、分析です。

 今日は、私もフォイヤーシュタインの日でしたが、
子どもの「わかんない」の分析が足りず、すまなかったなぁ~と反省の宵でした。





成り行き任せ。

2015-02-27 21:29:36 | 日記
 毎朝、午前5時過ぎには仕事場へと向かうのですが、
そんな時間、すれ違うトラック、灯りのついた家、ウォーキングをしている人、と
けっこう、活動をはじめている人々がいます。

 みんな、動いとるなぁ~と思うと、この時間に動いている人々に
勝手に親近感がわいてきます。

 アロマトリートメントを受けにこられた若いお客様に、
「好きなことがあって良いですね。私、そういうのがなくて…」と言われて、
そうかぁ、そういう風にみえるのかぁ~と、新鮮な感じがしました。

 元々は、大学なんかでの文学研究職を目指していたことを考えると、
なんだか、人生わからないものだと思います。

 もっとさかのぼれば、イラストレータになりたくて、
田舎ではありますが、デッサンに通ったりもして美大一直線の時期があり、
美術の先生と馬が合わず、美大一直線脱線。

 時期を同じくして、三国志演義に出会い、中国文学一直線。
しかし、日本文学の大学にしか通らず、中国文学から脱線。

 大学では正岡子規の俳句ではなく、
現実的な乾いた感じの『病牀六尺』という随筆にハマり、正岡子規一直線!

 その後、大学院受けるも合格せず、期限付きとして高校教員へ。
それでも、研究職を諦めきれず、働いた資金を元手に大学の研究生となり、
中に入って、己の研究職に就くには、発想と緻密さのなさを自覚し、
再び、期限付き高校教員へ~と舞戻り。

 住むところが変わり、市役所や農水省の地方局でパートし、
支援員の仕事を見つけて、これだ!と思い。

 支援員と同時並行で、アロマについて学び、
インストラクター、セラピストと資格を取りながらも、
支援員として仕事をして、アロマは活かさず。

 そして、アロマの縁で療術という民間療法と出会い、学び。
漢方アロマにまで派生して、今も現在進行形で続いています。

 やりたいことをやっていれば、なんとかなるのかな。
やりたくないことでも、お金が必要でやっていくことも必要かな。
とにかく、なんでもやっとけば、長く生きて行くうちにはつながるのかな。

 緻密に考えることが苦手な私は、若い人の話を聞きながら、
そんなことを考えることでありました。

 

図工考察。

2015-02-26 15:11:59 | 発達応援
 代々の我が家の猫の一部が、
爪を研ぎ、寝床にし、ときに嘔吐し、ときに失禁している、
ここ7,8年使っている私のリュック。

 近頃、桃ちゃんがこのリュックの良さに目覚めて、
寝床にしたり、爪を研いだり、蹴り回したりしています。
リュック好きなねこ、興味ないねこ。
私に付いて回るねこが、リュックも好きなことに気がつきました。
長年、背中にしょっているので、匂いがするのでしょうか。
嬉しいような、リュック洗おうかなと思うような、複雑な気持ちです。

 小学校で1年生の図工の時間に、支援員として授業に入ったことがありました。
色々なものを作るのですが、
例えば、箱の外側の飾り付けで悩んでいる子が、
「なにか貼ろうかなぁ」と相談してきたとき。

 A より、かわいらしくするためにどんな模様を貼ったらいいか、との相談。
 B 何か貼りたいが、色紙でいいのか、塗ってもいいのか、との相談。
 C 貼ったほうがいいか、貼らなくてもいいかの判断を相談。
というように様々なパターンがありました。

 Aのようなことを相談する子は、
「かわいいってどんなの?」と具体的に考えさせると、「ハートマーク!星!」と自分で考えつきます。
あとは、本人が思うハートや星を作るにはどうするか、色々な切り方を本人にさせて、
横で私は私の作り方をしていると、盗み見て真似したり、
どうやったら大人が切るもののようにきれいにできるか工夫したり
自分であれこれ色々なことを思いつき、考えてやっていきます。

 Bのような相談をする子は、
周りの子を見て、何かしたほうがいいのはわかっているのだけど、自分なりの完成図が想像できず、
「色紙を貼るなら、切ったほうがいいですか?」とか「ペンで塗ってもいいですか?」と、
やたらと許可を求めてきます。
「切りたければ、切ったらいいよ。」「ペンで塗りたければそうすればいいよ。」と言い捨てて、
他のところに行って、再び近くに行ったとき、ふと目をやるとまだ悩んでいたりします。
図工での工夫に辿り着けず、ちょっとズレた部分で右往左往している感じです。

 Cのような相談をする子は、
省エネタイプで、できれば糊もハサミもゴミも出したくなくて、
なんなら、図工もあまりしたくなくて、最低限の手間で終了したくて、
色々、切ったり貼ったりしなくていいなら、しない方向で…と、
面倒くさがりさんなのでしょうか、図工に求められる最低限ラインを聞いてくる感じです。

 この世に生を受けて、6年間ほど。
色々な思考、嗜好の子どもがいるもんだわい、と面白く思うことです。



近くの他人。

2015-02-25 18:09:55 | アロマテラピー
 早朝の職場で、
トラックが並ぶ駐車場を猫が忙しそうに横切って行きました。
人の家があるといえばある、ないといえばない場所。
どこから来て、どこへ行く~と気になりましたが、
手を休める暇もないので、目で追うばかり。
ああ、ああ、気になる。

 毎週1回、アロマトリートメントに来てくださるお客様がいらっしゃいます。
友人の母上様で、私の母と同じくらいの年齢の方です。

 ご自分のからだが、なんとなく重い、鈍いという感じで、
たとえば、背中のアロマトリートメントをしていると、
「背中全体が重いと思っていたら、そこが、ねぇ!」などと
ご自身で、とてもきめ細やかに、自分の体の状態をリサーチしていかれます。

 自分のからだを細かくリサーチしながら、
自身の行動に対する反省もよく口にされるのですが、
本当によく、ご自身の状況を把握され、気にもされています。

 姿勢や歩き方には、人それぞれ癖があると思います。
体重も両足に平等にかけて立ち、
正しい歩き方ができれば、言うことなし!かもしれませんが、なかなかそうもいきません。
良い姿勢、良い歩き方にばかり、気をとられて生活するのも窮屈な感じがします。

 からだを労ったり、大事にすることは大切ですが、
あまりにも正しいからだの有り様にこだわってしまうと、
自分の正しくない!と思い込んだからだの一部に焦点が絞られすぎて、
そこへの不調が増幅する、そんな気がします。

 それよりも、こんな風だと気持ちがいいなぁ~と、
自分のからだの快適さに目を向けられると、
日々が少し過ごしやすくなるかな、と思うことです。

 それにしても、私は母と離れて暮らしていますが、
近所の方々が気にかけてくださっていて、孤独な感じが母から感じられません。
私が電話したり、帰省すると、近所の方の近況を母から聞かないことがありません。
それだけ親しくさせていただいて、ありがたいことだなぁと思います。
おかげで、私はなんの心配もなく、仕事をしたりセミナーに赴いたりすることができています。

 はからずも友人の母上様との縁を頂いて、
アロマトリートメントをして、お茶を飲んで、
少しの時間ではありますが、色々なお話をうかがいます。

 私が母と離れて暮らしていても、まわりの方が支えてくださっているという安心感。
そこまでは、私にはできていないのですが、
週に一度、友人の母上様とアロマトリートメントしておしゃべりして…という状況を
友人が「今週もかあちゃんは元気やね」と安心してくれると良いなぁと思います。

 離れた親を気にする他人が近くにいて、お互いにラッキー!
なにごとも、世の中ぐるぐるまわっているなぁと思うことです。

 


 

 

知的欲求。

2015-02-24 15:46:54 | 発達応援
 昼寝をしていたら、夢を見ました。

 鏡に映る自分の姿。
あれ?頭が桃色っぽく見える…、しまった!地肌だ!
ひとに悟られないように、ちらちら鏡を見るも、頭皮が桃色。
ああ、早朝の仕事で毛糸の帽子を熱くて蒸れてもかぶっていたからだ~と後悔の嵐。
いや、まて、毛糸の帽子桃色っぽくなかったか?
眼鏡をかけてもう一度…。

 なんのお告げの夢でしょう。
とりあえず、髪大事にしようと思います。

 特別支援学校の高等部に行った子どもで、漢字が不得意な子がいました。
その子は知的な遅れは見られないものの弱視で、人と関わるのが苦手な子でした。
そして、眼鏡はかけているものの細かい物が見えづらく、
漢字の画数が多いものを見るのが、とても面倒なようでした。

 当時の私は、弱視=視力が悪い=拡大コピーくらいの知恵しかなかったので、
漢字のプリントを4分割くらいにして、
それを150~200%くらいに拡大してその子どもに渡していました。

 小学3年生くらいのレベルの漢字でも、
「面倒だ~!」とひらがなで書いてしまうその子に少しでも漢字に興味を持って欲しくて、
漢字検定の問題をすることにしました。

 その子は漢字以外は、クラスでは一番できる子で、負けず嫌い。
他の子どもたちは、漢字だけはその子に負けないぞ!と日々がんばっていました。

 結局、中学卒業までに漢字が得意な子どもたちが4級、
漢字が苦手な子も5級か6級くらいまでがんばったと記憶しています。

 漢字嫌いな子でしたが、高校になったらもっと上の級をとる!と
友だちと級を競うゲームのような感じではありましたが、
少し漢字への取組み方が変わっていたことを覚えています。

 3年ほどして、その子の行った支援学校の体験入学に、
私が支援員として勤めていた中学校の子どもたちと行くことになりました。

 そして、木工の授業実習中のその子に
偶然、会うことができました。

 驚いたことに、その子は開口一番、
「高等部では漢検とかなかったよ。」と言って、
何とも言えない、表情で私に話しかけてきました。

 高等学校でも色々と学び、楽しく過ごしたであろう3年間。
でも、中学校卒業して、私の顔を見て言ったその言葉を聞いて、
その子の知的欲求は満たされた3年間だったんかなぁ~と、
思ったことでした。

 できないことをできるようにするための進路選択。
自立のための進路選択。

 でも、自立と引き換えに生きていくためのことを知っていればいいと
知的欲求が後回しにされた…?

 それぞれに応じた、知的欲求を満たしていく場としても、
annonを機能させたいなぁ~と思っています。