まだまだ半袖の我が家。
二人とも長袖を着損なっている、というか
半袖でちょうどいい今年の秋。
衣替え躊躇してしまう…。
「夢見る小学校」
鹿児島で上映会はあるというので行ってきました。
これを観た人が知り合いに多く、
みんな良い感想。
でも、見る気が起きず、観ていなかった。
たぶん、子どもたちは生き生き学ぶのだろう。
そして、子どもと変な壁のない大人がサポートしているのだろう。
紹介されるのは、本当にいい学校だろう。
これは観る以前に抱いていた感想だが、
観た感想は、この感想を1ミリも裏切らなかった。
今の学校の制度が転換期にあるのは、
もう、きっと、だいぶ前からそうで、
危機感を持った人たちが、
「個性を大事に!」とか「自立」とか
いってきたように思う。
でも、そういう掛け声は
教育のお供物でしかなかったように思う。
そして、私は子どもの頃に、
ぎゅうぎゅうの詰め込み教育世代だが、
勉強が嫌いではなかったので、
苦にもならなかった。
但し、テストは驚くほどできない、
勉強好きという稀な存在だったと思う。
更に、学校の昼休みに、
学校の裏山に友達たちと登ったり、隠れたり、知り合いのおじいさんの山羊小屋の上に秘密基地を作ったり、子猫を飼ったりもしていた。
バレて、怒られることもあったが、
バレなけば怒られないので、
証拠隠滅技術は上がった。
そういうことは、私だけでなく、
同級生や従兄弟たちも同様で、
それぞれの縄張りの山や公園、川で遊んでいた。
今は時代が違い、
子どもだけで勝手気ままに
遊ぶことが難しいのだと思う。
そして、今の学校の制度では
色々なことが収まりきれなくなっていて、
学校の在り方を真剣に変えていくことが
必要なのかもしれない。
でも、まだ、
ほとんどの子が、好き嫌いはともかく、
今の学校の制度で
自分の感覚をやりくりして、
うまくだったり、不器用にだったりしながらもそこに生息している。
「夢見る小学校」が
我が地にできるのを待っている間にも、
子どもたちは成長していく。
ならば、家族や仲間を募り、
市営町営の畑借りるのもよし、
台所ぐちゃぐちゃにしながら、
何か作るのもよし、
庭先で日曜大工するのもいいし、
庭に寝転んで空を眺めてもいいのではないのかなぁ、と映画を観終わって思いました。
公立義務教育で成績表をなくすのは、
子どもの在学関係なく、
そのメリットを大人が訴え続けなくては
ならないことなのかもしれないなぁと
思うことでした。
いいなぁ〜、すてき〜、と
大人が夢を見る学校なんだなぁ。
そう思った映画でした。
私は映画を見ていませんが、いいな~と思っていてもなにも前に進まない。
夢にしてちゃだめなのでは?
今ある現状のなかでも豊かにできることは沢山あるから、むしろ、制約いっぱいの中でも視点を変えて豊かに生きている人の映画が観たいな~って思います。
古いし状況は違うけど、映画「ライフイズビューティフル」みたいな。
私もどちらかというと、自分に都合の悪い制約制限あるなら、それをどうかいくぐったり、取っ払ったりするかにもわくわくする方かもです。
夢見る〜は選択肢として良いと思います。それはそれつくりたい人たちにお任せ!で自分が積極的に作り手に回りたいとは、今は思わないかなー。