来週の土曜日は講演会と実技の当日です。
現地にいらっしゃろうと思ってる方々もZoomで参加されようと思っている方々もお申込みはお済みでしょうか?
今、なお、お申込み受け付けております。
よろしくお願い致します。
お申込み先
annon.okiraku★gmail.com(★を@に変えて)
さて、先日第一部の打ち合わせで「特別支援教育って成功してるの?」という話が出ました。
何をもって、特別支援教育の成功と考えるかによるでしょうが、できることで自分で稼ぎ、更に納税し、己の人生を楽しく謳歌できていれば成功と言えるでしょうか。
ところで、特別支援教育を受けたことが奏を効し、「あんな風に生きることができれば!」とお手本になるような生き方をしている方が身近に存在しますか?
私の関わった子で、1人だけ仕事をし、車の免許も取得し、職場で、更に家の家業でもあてにされ忙しく日々暮らしている子がいます。その子の近況を聞くと「嗚呼、若いって素敵だねぇ」とそのキラキラした日々を羨ましく思います。
でも、残念ながらそういう子は、今のところたった1人で、何をしているか分からなかったり、仕事も生活も大変そうだ…と思うお子さんが多いように思います。
それでは、一体全体、特別支援教育は何をしてくれるのでしょうか?学校を卒業し、社会に出ていくのにどんな力をつけてくれるのでしょうか。
それとも、力はなくても福祉のお世話になればいいよ、大丈夫だよ、と無理をさせないのでしょうか?
それもあるかもしれないな、と思います。
なぜなら、例えば私が住む県内の福祉事業所を見てびっくり。
その中での鹿児島市内だけでも、100を優に超える数の福祉法人があるのです。
もちろん、老人施設も入っていますが、お子さんたちが関わるのも大した数です。
これらの施設を維持運営していくには、通うお子さんがいることが必須です。
そうすると、乱暴な言い方をさせてもらうならば、福祉法人的には特別支援教育で成功して自立していくお子さんばかりでは立ち行かなくなってしまうのですよね。
上記にリンクしたすごい数の社会福祉法人の一覧を見ながら、「そりゃ、卵を産むめんどりは離さないよねぇ。」と暗澹たる気持ちになりました。
時々、近所の商業施設で、どこかの法人のバスで大人の方々が遠足のようにいらっしゃる光景を見ることがあります。
もういい大人の方々が、自由には店内を見て回ることは出来ず、時には、ご本人よりも随分若い引率者に子どものような声かけをされている姿を見ると、なんだかなぁと思わずにいられません。
私の職場にいらっしゃる言葉と体が少し不自由な方は、やはり近所のホームセンターで外のベンチでコーヒーを飲みながら、煙草を吸ってらっしゃることがあります。
「こんにちは!」と挨拶を交わし、あとはお互い知らんぷりですが、職場で「昨日は偶然会ったね!」「近くに住んでるの?」などと再び挨拶を交わし、お互いの持ち場に散っていきます。
そんな何でもない普通の日常が、バスで遠足のように連れてこられている方々からは感じられないのが残念に感じるのは、ただの私の感性の問題なのでしょうか。
上記のような福祉法人は全国にあり、それらを支え、存続させるためにはお子さんがが必要なのです。
そういうことも踏まえて、特別支援教育は何を育て、どこにゴールを設定しているのか、親御さんやある程度年齢を重ねた利用される本人は考えなくてはいけないよね、と思うことです。
そして、そんなことを考える時間になるのが、来週に迫った10月3日の「発達障害を超える」の講座、講演会です。
学校卒業後の福祉の姿、家を出た後の自立という名の福祉の関わり方を知ってください。
どうぞよろしくお願い致します。