日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

一点集中を崩してみる。

2016-05-31 20:19:01 | 発達応援
 昨日の猫さん。
今日は夕方、元気な姿を見ました。

 薬を振りかけようと近づいたら、ごろごろ、にゃんにゃん、言いつつも、
絶妙な距離を保つべく、ごろんごろんと回転しながら離れていきます。

 ま、元気そうだから、いいか。

 今日はフォイヤーシュタイン教授の『「このままでいい」なんていわないで!』を読み返していました。

 

 本の中にこんな箇所がありました。

 媒介による学習が行われなければ、優秀な子どもたちはあまりに早期に、
あまりに狭い世界で自己投入を行い、自分の全注意力とエネルギーを専門の分野に未熟な形で投じて、
自分の今後の能力の発達に限界を作ってしまうのである。

 価値ある努力に対する、子どもの「ひたむきな」熱意を傷つけないように、
これらはすべて細心の注意を以て扱わなければならない。


 よく、子どもたちは豊かな才能にあふれているのだから、
回りの大人や支援者は、それらを育むように、
こっちへ、こっちへと、大人が良いほうに導くと見せかけて、
子どもの無限の力を歪めることがないように、というような言を目にすることがあります。

 子どもたちは、案外、大人、特に身近な親の喜ぶ姿を原動力にすることがあるように思います。
そんな、親や大人の期待に応えようとしている子どもの姿を見ると、
まぁ、そういうことも言えなくはないかもしれない、と思ったりもします。

 でも、一方で、自分が好きなことを極めんとばかりに、
そこに一点集中する子どもについては、それも大事だけれど、こっちもやってみようよ、
という声掛けとやってみようとする仕掛け作りは必要じゃないかな、と思っています。


 何かに熱中して、大人顔負けの子どもに対して、
周囲の大人はその子の理解力の早さや情報処理の早さに、
「この子はこの分野においては、もう、私なんかのかなわない所に到達している!」
そう思うと、思う存分そのことについてさせてやろう、と思いがちです。

 単に、自分の上をいく子どもに対して、
言うべき言葉も、媒介も思いつかないだけかもしれません。

 別に、子どもが言うことを聞かなくたって、
回りの大人は、その子が熱中している他の世界にも目を向けさせることをしてもいいんじゃないかな、
と、私は思います。

 そんなことでは、本当にそれが専門分野なら貫き通すだろし、
それができなくて、別の道に進んだって構わないのだから…。

 なんだか、眠い頭でそんなことをうだうだ考えた半日でした。

 

 

友好の外猫。

2016-05-30 17:50:47 | 日記
 さわやかな、よい天気菜1日でした。
週間天気予報は、一週間晴れ!
それだけで、今週は、もう、良い一週間だな、と思えますね。

 そんなよい天気の中、上機嫌で早朝の仕事から帰ると、
顔なじみの猫が、ポストの所で寝そべっていました。

 いつも、外階段の踊り場や近所のトタン屋根、私のバイクのカバーの下などで寛いでいる猫です。
「よぉ!」というと、「にゃあ」と返事はしますが、
ある一定以上の距離を詰めようとすると、ととと、と距離をあける猫です。

 それが不思議と今日は距離も詰めずに、
こちらが挨拶をするより前から、「にゃっ、にゃっ!」と声を出しています。

 不思議に思って近付くと、左の前足から出血しています。
鮮血なので、今日、近い時間に出血したんだろうな、という感じでした。

 毛艶が良い猫ではありませんが、ふっくらとしているし、
人馴れしているので、完全な野良猫ではない猫だろうな、と日頃から思っていた猫です。

 季節的に傷が化膿したり、それが悪化して左前足を切断なんてことになると、
半野良生活の猫は外での生活が難しくなるな、と思いました。

 一瞬、迷いましたが、傷の状態が思ったより悪かったり、
メス猫のようだったので、避妊手術もしていなければ、
最終的に、うちの猫にする覚悟で病院に連れて行く覚悟を決めました。

 そうと決めたら!
とりあえず、洗濯ネットを持って再び外に出ました。
階段の踊り場にごろん、としています。

 そぉっと手を伸ばすと触らせてくれました。
そこで洗濯ネットの口を大きくあけて、なでなでなでなで。
なでながら、洗濯ネットの中に入れて捕獲し、リュックに入れるべく一旦、家に入ると、
まぁ、大きい声で鳴くこと、鳴くこと!

 うちの猫も桃とちぃは「何!何!何!」とでてきます。
外猫との接触で病気がうつるといけないので、外猫は隔離して、
リュック、お金などの準備をして、猫をリュックに詰め込んで動物病院に急ぎました。

 診察の結果は、けんかか鉄線、鉄柵のような所でぐさりとしたんだろう、ということでした。
そして、それが化膿して、ぱんぱんに腫れたのがはじけて、
ぼこっと大きな穴になっているというような説明を受けました。

 そして、2週間効くという抗生物質や痛み止めや化膿止めの注射を打ってもらい、
外猫なので絆創膏は貼らず、見かけたら粉の薬を振ってやるという治療になりました。

 取っ捕まえて、にゃあにゃあ鳴く猫を病院に連れて行ったので、
家に戻って、外に出したら途端に逃げて、その後近寄らんかもなぁ~と思いました。
でも、病院の先生が
「いや、この子は賢い顔してるから、意地悪したんじゃない、ってわかってると思う!
できるだけでいいから、がんばってみて!」と言うので、それにかけることにしました。

 家に着いて、寝ていた所に離すと…。
まぁ、なんということでしょう~~~~~~

 

 いつものように寛いで、しかもなで放題させてくれて、お腹まで触らせてくれました。
傷の痛みがなくなったのかもしれないですね。

 猫おばさんは、ちょっと嬉しく思いました。

 その後も「おばさん、大丈夫だにょ」という姿をみせてくれたり。

 

 うちの猫にしたいくらいの子ですが、避妊手術もしている猫ということがわかりました。
外の気の合う猫として、今後も交流を温めたいと思います。

 でも、ご飯は一切やりませんよ。
うちで飼うと腹をくくった子以外には、やらない、というのが私の中のルールです。

 だだ漏れ的に猫が好きなので、
そのちっちゃいルールだけは死守しているところです

 

自在な視点。

2016-05-29 20:39:02 | 発達応援
 一週間、雨が降りっぱなしとなっていた先週の週間天気予報は見事にはずれて、
あちこち、出て行くことが多かった先週は助かりました。

 今週もなんだか雨模様な感じの天気です。
日々、バイク通勤の身としては、毎日カッパを着なくてはならない季節は、
ああ、めんどーっ!と思わずにはいられません。

 でも、梅を漬けたりする良い季節。
梅雨も大事よね。

 時々、幼稚園~小学校の低学年の子どもさんに、
「まゆたん、おとうさんいるの?」と聞かれることがあります。

 そりゃ、居るに決まってるだろう、と心の中で思いつつ、
その子がその質問を発した状況によって、

 1 私の父親のことを聞いている場合
 2 私に夫がいるかを聞いている場合

どっちを聞いているのかな、と思うことがあります。

 そこで、
「いるけど7年前に死んじゃったよ、生きてたら84歳だよ。」というと大慌てで、
「おかあさん、まゆたんのお父さん死んじゃったんだって!」と報告しに行ったりします。

 そして、母親に、
「だって、あなたのおじいちゃんも70歳でしょ…、」と聞くと、
「え、じいちゃん?違うよ、まゆたんのおとうさんだよ!」と、子どもは混乱気味になったりします。

 こんな場合、おそらく子どもが聞きたかったのは、
私に夫がいるかどうかだったんだな、と思う訳です。

 こういう場面と出会うたびに、
小さい子どもの視線は自分から見た所から一定方向に向かっていて、
他者の場所に移って考えることには、色々なステップが必要なんだなぁ、と思うことです。

 自分から見た視線を他人になりきった視線に移す、
自分の上に見える風景は、自分と違う所に立つ人からはどう見えるのか、
自分の見ている物と同じものを他者に見てもらうには、どうしたらいいのか。

 くるくると自分の視点を自在に変えるためには、
垂直水平、前後左右、様々な認知機能が必要なのですね。

 フォイヤーシュタインの復習をしながら、そんなことを思い出した日でした。

進歩。

2016-05-28 21:31:35 | 発達応援
 朝、ヨーグルトを食べるのですが、
そこにちょこっと甘みが欲しくて、今日は練乳をたらしてみました。
私的には、ヨーグルトと練乳、合う~~~

 そして、今回、生協のカタログ販売で買った練乳。
袋から出すと見事なまでにマヨネーズと似ています。
まるで、双子のようです。

 

 サラダにかける悲劇は避けたいものです。

 今日は安曇野プランの算数の日でした。

 今日は自分の頭の中に数を記憶して置く課題をやりました。
それは、今日はするりとできたので、
少し難しいことに挑戦してもらうことにしました。

 とてもごちゃごちゃした課題で、
2匹のパンダがラーメンを注文し、3匹の馬がチャーハンを注文し、4匹のヒヨコが餃子を注文、
とそんな課題でした。

 その課題を目の前にして、やりたいけれど難しいので、
ごにょごにょ子どもはしていました。

 そこで、「どうやったら、できそう?」と聞いてみると、
「お手本があったらな」と言っていました。

 これを聞いて、「すごいなぁ~」感心してしまいました。

 それは、この子が新しい問題にパニックを起こさずに取組んで、
その上、できない問題に関しては、
こうやったら、できるかも!ということを提案してきたからです。

 ちょっと前まで、この子は自分で考えて、答えを見つけることについては、
割と、早い段階で「わかんない!」と言っていました。
それが、自分でわからない問題については、
「見本があればできるかも…」という提案をしてきたのです。

 自分で、思いついて言ったのか、
学校かどこかで、そういうやり方で新しいことを学んでいるのかもしれないし、
その辺りのことはわかりません。

 どちらにせよ、自分でそういうやり方でやったらどうかな、と提案できたことに、
この子が自分で考える力をつけきて、提案したとしたらすごいし、
違う場所でやった経験を算数に活かそうと、自分の頭のどこからか、
記憶を引っぱり出して使えたのなら、それも、すごい進歩だな、と感心することでした。

 子どもはそういう、小さな進歩をちょっとずつ重ねて、
前に向かっていくのですね。

 そういう進歩を見逃さないようにしよう!
そんなことを考えた算数の日でした。


 

 


 
 

呼び水。

2016-05-27 22:15:16 | 養生・薬膳
 我が家の猫は、猫じゃらしのような猫つりで遊ぶのが好きで、
まだ若い、桃梅姉妹はよく「あそんでーーーー」と主張してきます。

 もう11歳になろうとする、ちぃも桃梅姉妹と遊んでいるとやって来て、
自分の番を待っています。

 この、ちぃ。
子猫の頃から、右回りにくるくるくるくる猫じゃらしを追いかけるのが大好きだったのですが、
今でも、同じで右回りで猫じゃらしを追いかけ回します。

 また、布団とシーツの間にバサーーッと入って遊ぶのも、
子猫の頃と変わらずに、今も大好きなようです。

 猫も幼い頃の面影を残すもんだなぁ~、と
ちぃを見ながらつくづく思います。

 昨日の都城でのお話会ではからだを動かすことをしました。

 来てくださった方々は、みなさん、口を揃えて、
「いや~、からだ動かしてないよねぇ~。」とおっしゃってました。

 ところが、実際に、ちょっと、からだを動かすことをすると、
おもしろいように、それぞれ、ストレッチのような、体操のような、
なんともいえない動きをそれぞれが開発して、やりはじめていました。

 「こんな動き、ひとりじゃないとできんね!」というような動きや
「なんかね~、わぁ、右側がこんなにかたいんだぁ~。知らんかった~。」とか、
ぶつぶつぶつぶつ言いながら、
参加者の方がそれぞれ、自分のからだの色々な感覚を味わっているような感じでした。

 それを見ながら、
人は、少し、動かすきっかけを与えられると、あとは、自分で勝手に、動きたい動きをやって、
「ああ、気持ちいいなぁ~」を味わうことができるんだなぁ、と
思いました。

 でも、仕事の忙しさ、ストレス、やらなきゃいけないことなどに追われる日常では、
その、ほんの少しのきっかけも見過ごしたり、気がつかなかったりするのでしょうね。

 からだを動かすには、気持ちよくからだを動かすことが呼び水になるのかな!?
そんなことを昨日は感じたことでした。