日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

筋膜リリースベーシック終了!

2016-01-31 17:38:03 | アロマテラピー
 天気が良かろうと悪かろうと、ビニール袋に入って配られる新聞が、
今朝はビニール袋にはいっていませんでした。

 湿度もない良い日になるのかなぁ~と気持ちの良い1日を想像する始まりでした。

 今日で、筋膜リリースのベーシックの学びが終了しました。
肩、腕、上肢と盛りだくさんの内容で17:00過ぎのバスぎりぎりの時間まで実技がありました。

 肩が痛かったり、ちょっとした動きで腕に違和感を覚える方もいらっしゃると思うのですが、
小さな筋肉だけど、バランス良がとれていなくては、違和感が出やすい部分です。

 ひとつひとつ確認しながら筋肉にアイロンをかけるように伸ばしていきます。
アロマトリートメントをするよりも、緊張がふわぁっととれて、
とても良い気持ちで実技の練習といっても眠くなります。

 そんな筋膜リリースの時間に、よく出てくる姿勢があります。
それは、首が前に出て、猫背で腰がくいっと出ている姿勢です。
今の若者にこういう姿勢が多い!ということで話が出てきます。
そして、どういう風にリリースすれば良いか、という感じの話になります。

 それを聞きながら私は、
私が今まで関わった子どもたちの多くがそういう姿勢であったことを思わずにはいられません。

 私が今まで関わったそういう姿勢の子どもたちは、
発達に凸凹があり体の使い方のバランスが悪くそういう姿勢であったのだと思っていました。

 しかし、もし、外から筋膜を緩めることでそういう姿勢が改善されたら、
自分で動くときに動きやすいのかなぁ、と思ったりします。

 そして、動きやすくなって積極的に動くことで、
より体が動きやすいようにと、姿勢が改善されることはないのかな、と考えたりします。

 筋膜リリースが子どもの発達の手助けをどれくらいしてくれるのか?
まったく、そんなことは絵空事なのか?私にもわかりません。

 でも、大人の思わぬ筋肉の緊張を道具ではなく、手を介して緩めてくれる筋膜リリースは、
何かの役に立てるのではないのかなぁ、とやはり思わずにはいられない、
ベーシック最終日でした。

 さて、3月からはさらに、筋膜リリースのアドバンスコースも始まり、
最終的には手技の試験などもあります。

 手技は手を動かすこと!なので試験までしばらく、
モニター価格で筋膜リリースを承るつもりです。
詳細は、また、アップしますので興味を持ってくださった方はお待ちくださいませ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『家族幻想』

2016-01-30 22:49:16 | 本の紹介
 今日はとても暖かくて、過ごしやすい一日でした。
先週の夜中に雪が舞っていたなんて、思えないほどの暖かさです。

 こんなに気温が上がり、下がりすると、体調を崩しがちになってしまいますね。
「ああ、体調が振り回されないように気をつけよう~」と自覚できると良いのですが、
自覚できないと、何だかわけがわからないままハイテンションになったり、
やる気がなく落ち込んでみたり、日々をただ振り回されてしまいます。

 気温や季節の変化と自分の体調。
ちょっと気を配ってみると過ごしやすいかもしれません。

 Facebookで読んでいた方が、「いい本でした」とあったので、読んでみました。

 

 私が生まれ育った家にも「規範」があり、それに従って生きてきたのか…?
たぶん、そうなんだと思います。

 そして、大学に行くために18歳で家を出て、
知らない人ばかりの見知らぬ土地に行き、寮に入り、下宿をし、
自分の家で当たり前だった「規範」、違う文化ともいうべきものに出会い、
驚いたり、受け入れたり、ぶつかったり、妥協したり、楽しんだりしながら過ごした4年間。

 その後、約一年ほど両親と暮らしたこともありましたが、
仕事に就いたり、結婚したり、数えると、もう「イエ」を出て約30年になります。

 一体、「イエ」で暮らした19年が、
今の私の生き方の中にどれほどの影響があるのか、なんて考えたことも意識したこともありません。

 それは私が、不登校にもならず、引きこもりにもならずに過ごしてきたからかもしれません。

 では、そんな私は不登校や引きこもりなるような出来事もなく、
順風満帆な人生だったかといえば、そんなことはなく、
いじめられたこともあるし、嫌な思いもしたことはあります。

 でも、それらは「そんなこともあった」ことで、
私の人生を形作る、重要な要因ではないのだと思います。

 そういう考え方をしたのは、まさに、私が育った「イエ」の規範によるものだったのでしょう。
そう考えると、「イエでの規範」ということも考えずにはいられなくもなりますね。

 この本では、
「自分の側から価値観を立ち上げて生きることができない」
人の存在が語られています。

 そういう人たちは、
「親の願い、そして社会の願いを内在化し、その価値観に合わせられない自分を責め続けていた」
のではないかと語られています。

 この本に書かれている人たちは、
30代、40代と私に近い年齢の人たちですが、読みながら、
学校で顔を緊張させている子どもたちの顔が浮かび、
ああ、これは今、現在進行形で起きていることだ、と感じずにはいられませんでした。

 子どもが立ち止まるとき、その子どもの持つ性質、資質的なものもあるのでしょうが、
その子を育てる親世代、さらに親の親の世代のことが、
もしかして遠く、糸を引いている?

 そうだとすれば、目の前に起こっている子どもの起こしている現象だけでなく、
各々の「イエ」という、そこで作り上げられた脈々と流れる規範をも見つめる、
冷静な目が必要かもしれません。

 そんな冷静な目になれる外の機関とつながることも大切かもしれないし、
外の機関は、突き放したり、様子をみるだけでない、
血の通った専門機関としてはたらいて欲しいものだと思うことでした。

 たくさんの原因があるであろう「しんどい」気持ち。
私には想像できない、そのしんどさの一因を教えてくれた、とても良い本でした。

 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数の世界に遊ぶ。

2016-01-29 22:30:02 | 発達応援
 今朝も5時半出勤でした。

 理由は荷物遅れ。
夕方着くはずのものが、着かなかったから。
雪も溶けたのに、なぜ?

 そういう約束通り、夕方までに届けなさいよー!という考え方が、
トラックの事故を招くのかな?
うーむ。

 今日は年中さんの子どもと算数の勉強でした。

 まだ年中さんなので、計算力をつけることよりも、
量としての数を遊びの中で体験してもらったり、
違うもの同士でも同じ数であることを感じてもらう遊びをたくさんするようにしています。

 今日は種類の違う積み木や消しゴムブロック、消しゴムおにぎり、マーブルチョコレートで
1~9までの階段作りをしました。

 「交代に、先に置いた人より1個多く置いて、一段ずつ増える階段をつくるよ」というと、
すぐに要領を得て、階段作りをはじめました。

 大人にとっては、難しくない1個ずつ増える階段作りですが、
年中さんの子どもにとっては、1の次は2個だ!と口ではいうものの、
並べてみるまでは、「いいのかな?」という顔をしています。

 そして、5個以上になると何度も数え直したり、
前の個数を確認したり、ぱっと増やせる量ではなくなるようでした。

 できあがった階段を指で「とんとんとんとん」と登って、ジャンプしてみたり、
種類の違う階段同士を比べて、「123456789!全部同じだね!」といい、
違う大きさ、違う素材であっても作っているものは同じだなぁ~ということもわかっているようでした。

 しかし、1から2、2から3…と1個ずつ増えているというのは理解できないようで、
1から2は2個増えて、2から3は3個増えてる!と自信満々。
階段の増えた部分だけ、階段から離してみせても、
「1個ずつ増えてる!」と気がつくことはありませんでした。

 1から2、2から3、3から4…と数が1個ずつ増えるなんて、
当たり前!と大人の私たちは思いますが、
子どもにとっては、気がつかない、目も行かないことなのですね。

 ゆっくり、たっぷり遊んで、
数の仕組みの世界に浸って欲しいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつでも新人!

2016-01-28 14:50:47 | 日記
 いつも朝が早い私ですが、今朝は3時過ぎに起きました。
なぜか…。

 それは、風呂に入るためです。

 私の住む町は、先日の雪のため水道の水漏れが相次いでいて、
各家庭の使用が増える時間帯になると、水はちょろちょろしか出なくなります。
昨日は夕方7時半頃にはぴたりと一滴の水も出ませんでした。

 ですが、普段も4時起きなので、その時間は普通に水は出ていました。
それなら、仕事も行くし、湯冷めを避けるべくもっと早くに風呂に入ろうと思い3時起き。

 予想は当たり、家々が寝静まった時間帯は水の出もよく、
普通にだばだばと風呂に入ることができました。

 そして、ポットに湯を沸かし、さらに、薬缶に水を溜め、
鍋には出汁取り用の水も入れて、夕飯用の米もとぎ、野菜もゆでて夕飯の準備もok。
有意義な朝でした。

 何度か書いていますが、
私がやっている早朝の仕事は、覚えてしまえば日々繰り返しのルーティン作業です。

 それでも、時々、ほんのちょっと、いつもと違う出来事があります。
今日は片付けの最中に、ほんのちょっと違うことがあり、
明日の作業で戸惑わないように、と片付けた人からの説明がありました。

 それは、いつも大きめのカゴ車に4箱だけ乗っている蓄冷材の箱に、
+αで各トラックに積込む蓄冷材の箱が乗っているので、注意してくださいね、というものでした。

 どう注意するかというと、
各トラックに積込む蓄冷材の箱にはトラックの番号が打った紙が貼ってあります。
その紙に従って、各トラックに蓄冷材の箱を配ると、ポツンと4箱何の紙も貼っていない蓄冷材が残ります。
そのポツンと残った4箱の蓄冷材は、いつもその4箱が置いてあるパン箱の横に置くのを忘れない!
ということでした。

 その説明を聞いたとき、ほとんどの人が、
ああ、トラックに配ってから、その4箱を迷子にしないようにってことね、と合点したのですが、
ひとりだけ、入って4ヶ月が経つ同僚が、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしています。

 もう一度、説明してくれますが、
目は点のままです。

 「どこがわからない?」と聞くと、
「パン箱の横に4箱の蓄冷材って、置いたことないからわからない」と言います。
「蓄冷材の準備のとき、4箱に16枚いれてるでしょ、あれよ!」
というと、「ああ、あ~あ~!」と言いつつも、
「置いたことはないから…」と言い続ける同僚に、
「明日、自分で置いたらわかるが」と先輩同僚は言い、その話は終わりました。

 私は、「置いたことないからわからない」と言う言葉にめまいがしました。

 この4ヶ月、一度もそのカゴ車を引っぱって来る仕事に当たらなかったのは、
ラッキーか、アンラッキーかわからないけれど、
いつも自分たちがやっている仕事の流れが、
4ヶ月が過ぎようとする今も、まだつかめていないのか…と絶句しました。

 どうりで、いつもマンボウのように浮遊しているはずだわな、と、
ため息が出ると同時に、そこまで流れがつかめないというのは、
仕事をしているときに、何を考え、何を見ているのかなぁと不思議な気持ちになりました。

 少しでも覚えたほうが自分がラクだし、周りの人とも助け合えると思うし、
いつも誰かに指示されないと動けないのは、窮屈ではないのかなぁ~と思ったのですが、
そういう考え方も私自身が、誰かに「これやれ、あれやれ」と言われてやることが好きではない、という
嗜好性の問題かもな、と思った今日の早朝の仕事場での出来事でした。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

切ない一日。

2016-01-27 21:23:02 | 発達応援
 いつも楽しみにしていた、「うにの秘密基地」という猫ブログ。
主役猫のうにちゃんが入院していたのですが、今日は悲しいお知らせになっていて胸が痛みました。

 ほんの数日前まで、普通の日常を送っていたのに…。

 我が家の旅立った猫たちは、具合が悪くなってから半年とかそれ以上色々ありました。
数時間置きに起きねばならないことや毎日ふとんにお漏らししたり、
水を定期的に飲ませたり、手はかかりましたが少しずつ弱っていく猫に、
私たちも少しずつ覚悟し、いつかくるその日に少しでも悔いのないように…、と思うこともできました。

 今、元気に駆け回るうちの3猫たちにも、いつかは来る日なんだなぁ。
そんなことを思い出した夕方になりました。

 ある、きょうだいの話です。

 下の子は、上の子の宿題が自分より少ないことを知っています。
でも、上の子のクラスの他の子たちが、もっといっぱいの宿題をしていることも知っています。

 「あのね、○ちゃん、特別クラスなの。」
と話しながら、上の子のことを見つめています。

 「何回やっても、覚えないの。もう、きもいよね。」
 「もっと上の学年なるのに、やっていけるのかな、あんな宿題でもっとしたらいいのに。」

 「心配」と「なにやってるの!」の気持ちが混ぜこぜになった、
身近な人の心からの気持ちが伝わってきます。

 上の子は、同じくらいの年の子が、下の子が話しかけると楽しげに応じるのに、
自分が同じように話しかけると無視することに気がついています。

 その態度に、心の中に小さなさざ波がたち、
少し、いらいらしているのがわかります。

 だから、その子のことは名前で呼ばず、
「そこの人」と呼び、自分から距離をとっています。

 きっと、そういうことははじめてではなく、日頃、学校でもあることなのでしょう。
そのたびに、自分から人と距離を置き、
自分の気持ちを守る術を学んできたのでしょう。

 下の子もそのことには気がついていて、
それは仕方がないことのように、何事もなかったことのように、
上の子のいら立ちには、気がつかないフリをしています。

 何事もないように、子どもたちはその場で振舞っています。

 その場にそれぞれの子どもたちの保護者はいますが、
仕事終わり、そのままに急いできているからでしょう。
眠ったり、携帯での連絡に忙しく、
いつも見慣れた、子どもたちの世界に特別目を配ることはありません。

 ちょっと、せつないことの多い一日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする