不思議なもので、お漏らしして、トイレがうまくいかない桜は、
私と昼寝をするときには、潜り込んだタオルケットの中で粗相をすることがありません。
お腹に力を入れるとお漏らしすることも多いのに、
私の腕の上にお腹を乗せて、お腹の下が圧迫されるような感じでもお漏らしすることもありません。
それ以前に、あちこちでお漏らししているからなのか?
温かいと漏れないのか?
一筋縄ではいかない、桜の尿漏れ問題です。
自分が違和感を感じたときに、「それ、なんで?」「それって、何?」と、
誰しも思うことだと思います。
そこから、更に、「それって、変じゃない?」「納得いかないぞ!」と思い、
相手にそれを投げかけることもあると思います。
少なくとも私は、そういうことがあります。
それで、「これって、何?」と投げかけたのが、去年の12月のこのブログでした。
もりしー&はいちゃんコラボ講座感想
以前、私は、支援員という仕事をする中で、
なぜだかわからないけれど、石のように固まってしまい、どうにもこうにも動けなくなる子や
どう見ても、悪気はなさそうなのだけど、学習に集中できず、なにか、わからないボタンを押されたように、
自分の中で切換えができず、授業についていけない感じの子どもたち等々と接することがありました。
そんなときは、言葉を尽くしてみたり、切り替えられるように他のことをしてみたりすることで、
どうにか、こうにか、子どもたちが学習する気持ちになるように持っていっていました。
でも、切り替えるまでの時間がかかりすぎて、学習する時間がわずかになったり、
その子が「やるぞ!」と気持ちが向いたのに、下校の時間になったりで、とても効率が悪い感じでした。
機嫌よく帰宅できれば明日に繋がる!と思いながらも、
支援クラスの先生や保健の先生と「もっと、なんか、いい手はないかねぇ」と話す放課後の日々でした。
そんなときに、ネットであれこれ検索し、
「ん?なんか、これは子どもたちに効果的なのではないか?」と思ったのがブレインジム。
そして、その講師として全国をまわっていらしゃった灰谷さんに辿り着きました。
その後、灰谷さんの開催していたブレインジム講座やそれに関連する他の講座にも参加しました。
そして、学校でうろうろ、ぐにゃぐにゃ、なかなか勉強をはじめることができない子どもに、
そのとき学んだことやそれらを応用したりしながら、子どもと身体を動かすと、その後、集中して学習ができる。
形の上では、授業に参加しているけれど、心、ここにあらずの子と身体を動かすと、
表面上ではなく、学習に参加できる。
気持ちが不安定で、落ち込んでいた子と身体を少し動かしてみると、ちょっとだけ、気持ちが上を向く。
灰谷さんに教えていただいたことは、
教員経験しかなく、言葉を尽くすことしか手法を持たなかった私にとって、今までと全く違う視点でした。
ほんとうに、すごい人だなぁ、と尊敬もし、
発達障害について本でしか学ぶことをして来なかったので、
色々な角度から学ぶってことは大切だな、ということも教えてもらうことでした。
だから、発達支援コーチについても今までの学んだことがより、シンプルになり、
学ぶたびに、新しい視点が加わり、深化していき、
自分の新たな視点を加えていける素晴らしいものだと感じ受講を重ねていました。
そうするうちに、『人間脳を育てる』として、これまでの灰谷さんの取組みが書籍になりました。
人間脳を育てる
ああ、これで、たくさんの子どもたちが、できないことをただただ責められたり、
根性論的な、ルーティンワーク的なことで克服させられることが減るかなぁ、と、
本が出たことを心から嬉しく思いました。
その約半年後、私にとっては違和感だらけのぐだぐだ講座を見ることになったわけで、
その違和感について、私は、自分なりに言葉にし、ブログにしたためました。
私としては、そのブログは灰谷さんの目にも触れる覚悟でしたし、
私の見た講座の解釈の誤りがあれば、何らかの反論なり、何なりがあるだろう、と思って書いたものでしたが、
まったく、反論はありませんでした。
その二ヶ月後、直接お会いする機会もありましたが、
まったく、このことに触れられることはなく、黙殺されていました。
そうか、我が意図のわからぬ下々のものたちは、好きにするがよい、ということなのね。
私は、灰谷さんの沈黙をそう解釈し、そう解釈したものの、なんだか、納得できず、
ことあるごとに、あの無反応は何なのだろう、と考えてきました。
それが、今日、浅見さんとのFBでのやり取りで、私が蒸し返した灰谷さん問題に、
「答えない」のがコミュニケーションよ。言葉以前の。
との返しをいただいて、目からうろこ!
そうか、答えないのが答え!
相手は言葉以前で足踏み状態なの!?
とはたと膝をうち、私の中でつまっていたものがポトンと落ちていきました。
じゃあ、黙殺も仕方ないよねぇ。
言葉を自在に操るための身体や心を獲得してこその黙殺だから、黙殺以前の問題かな。
灰谷さんには、本当に子どもたちをラクにする方法を教えていただきました。
その方法は、もちろん、私自身にも有効で、遅々としてではありますが、私も発達していると思います。
教えていただいたことは、私なりに枝葉がついて、広がって、他にも養分をいただいて、今も育っていっています。
本当にありがとうございました。
さて、私のこの件についての言語以後の作業は終了。
ああ、スッキリした!
私と昼寝をするときには、潜り込んだタオルケットの中で粗相をすることがありません。
お腹に力を入れるとお漏らしすることも多いのに、
私の腕の上にお腹を乗せて、お腹の下が圧迫されるような感じでもお漏らしすることもありません。
それ以前に、あちこちでお漏らししているからなのか?
温かいと漏れないのか?
一筋縄ではいかない、桜の尿漏れ問題です。
自分が違和感を感じたときに、「それ、なんで?」「それって、何?」と、
誰しも思うことだと思います。
そこから、更に、「それって、変じゃない?」「納得いかないぞ!」と思い、
相手にそれを投げかけることもあると思います。
少なくとも私は、そういうことがあります。
それで、「これって、何?」と投げかけたのが、去年の12月のこのブログでした。
もりしー&はいちゃんコラボ講座感想
以前、私は、支援員という仕事をする中で、
なぜだかわからないけれど、石のように固まってしまい、どうにもこうにも動けなくなる子や
どう見ても、悪気はなさそうなのだけど、学習に集中できず、なにか、わからないボタンを押されたように、
自分の中で切換えができず、授業についていけない感じの子どもたち等々と接することがありました。
そんなときは、言葉を尽くしてみたり、切り替えられるように他のことをしてみたりすることで、
どうにか、こうにか、子どもたちが学習する気持ちになるように持っていっていました。
でも、切り替えるまでの時間がかかりすぎて、学習する時間がわずかになったり、
その子が「やるぞ!」と気持ちが向いたのに、下校の時間になったりで、とても効率が悪い感じでした。
機嫌よく帰宅できれば明日に繋がる!と思いながらも、
支援クラスの先生や保健の先生と「もっと、なんか、いい手はないかねぇ」と話す放課後の日々でした。
そんなときに、ネットであれこれ検索し、
「ん?なんか、これは子どもたちに効果的なのではないか?」と思ったのがブレインジム。
そして、その講師として全国をまわっていらしゃった灰谷さんに辿り着きました。
その後、灰谷さんの開催していたブレインジム講座やそれに関連する他の講座にも参加しました。
そして、学校でうろうろ、ぐにゃぐにゃ、なかなか勉強をはじめることができない子どもに、
そのとき学んだことやそれらを応用したりしながら、子どもと身体を動かすと、その後、集中して学習ができる。
形の上では、授業に参加しているけれど、心、ここにあらずの子と身体を動かすと、
表面上ではなく、学習に参加できる。
気持ちが不安定で、落ち込んでいた子と身体を少し動かしてみると、ちょっとだけ、気持ちが上を向く。
灰谷さんに教えていただいたことは、
教員経験しかなく、言葉を尽くすことしか手法を持たなかった私にとって、今までと全く違う視点でした。
ほんとうに、すごい人だなぁ、と尊敬もし、
発達障害について本でしか学ぶことをして来なかったので、
色々な角度から学ぶってことは大切だな、ということも教えてもらうことでした。
だから、発達支援コーチについても今までの学んだことがより、シンプルになり、
学ぶたびに、新しい視点が加わり、深化していき、
自分の新たな視点を加えていける素晴らしいものだと感じ受講を重ねていました。
そうするうちに、『人間脳を育てる』として、これまでの灰谷さんの取組みが書籍になりました。
人間脳を育てる
ああ、これで、たくさんの子どもたちが、できないことをただただ責められたり、
根性論的な、ルーティンワーク的なことで克服させられることが減るかなぁ、と、
本が出たことを心から嬉しく思いました。
その約半年後、私にとっては違和感だらけのぐだぐだ講座を見ることになったわけで、
その違和感について、私は、自分なりに言葉にし、ブログにしたためました。
私としては、そのブログは灰谷さんの目にも触れる覚悟でしたし、
私の見た講座の解釈の誤りがあれば、何らかの反論なり、何なりがあるだろう、と思って書いたものでしたが、
まったく、反論はありませんでした。
その二ヶ月後、直接お会いする機会もありましたが、
まったく、このことに触れられることはなく、黙殺されていました。
そうか、我が意図のわからぬ下々のものたちは、好きにするがよい、ということなのね。
私は、灰谷さんの沈黙をそう解釈し、そう解釈したものの、なんだか、納得できず、
ことあるごとに、あの無反応は何なのだろう、と考えてきました。
それが、今日、浅見さんとのFBでのやり取りで、私が蒸し返した灰谷さん問題に、
「答えない」のがコミュニケーションよ。言葉以前の。
との返しをいただいて、目からうろこ!
そうか、答えないのが答え!
相手は言葉以前で足踏み状態なの!?
とはたと膝をうち、私の中でつまっていたものがポトンと落ちていきました。
じゃあ、黙殺も仕方ないよねぇ。
言葉を自在に操るための身体や心を獲得してこその黙殺だから、黙殺以前の問題かな。
灰谷さんには、本当に子どもたちをラクにする方法を教えていただきました。
その方法は、もちろん、私自身にも有効で、遅々としてではありますが、私も発達していると思います。
教えていただいたことは、私なりに枝葉がついて、広がって、他にも養分をいただいて、今も育っていっています。
本当にありがとうございました。
さて、私のこの件についての言語以後の作業は終了。
ああ、スッキリした!