日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

ぐだぐだ講座から私が先に進むための言葉以後の作業。

2017-09-07 16:53:48 | annonへの道のり
 不思議なもので、お漏らしして、トイレがうまくいかない桜は、
私と昼寝をするときには、潜り込んだタオルケットの中で粗相をすることがありません。



 お腹に力を入れるとお漏らしすることも多いのに、
私の腕の上にお腹を乗せて、お腹の下が圧迫されるような感じでもお漏らしすることもありません。

 それ以前に、あちこちでお漏らししているからなのか?
温かいと漏れないのか?

 一筋縄ではいかない、桜の尿漏れ問題です。

 自分が違和感を感じたときに、「それ、なんで?」「それって、何?」と、
誰しも思うことだと思います。

 そこから、更に、「それって、変じゃない?」「納得いかないぞ!」と思い、
相手にそれを投げかけることもあると思います。

 少なくとも私は、そういうことがあります。

 それで、「これって、何?」と投げかけたのが、去年の12月のこのブログでした。

 もりしー&はいちゃんコラボ講座感想

 以前、私は、支援員という仕事をする中で、
なぜだかわからないけれど、石のように固まってしまい、どうにもこうにも動けなくなる子や
どう見ても、悪気はなさそうなのだけど、学習に集中できず、なにか、わからないボタンを押されたように、
自分の中で切換えができず、授業についていけない感じの子どもたち等々と接することがありました。

 そんなときは、言葉を尽くしてみたり、切り替えられるように他のことをしてみたりすることで、
どうにか、こうにか、子どもたちが学習する気持ちになるように持っていっていました。
でも、切り替えるまでの時間がかかりすぎて、学習する時間がわずかになったり、
その子が「やるぞ!」と気持ちが向いたのに、下校の時間になったりで、とても効率が悪い感じでした。

 機嫌よく帰宅できれば明日に繋がる!と思いながらも、
支援クラスの先生や保健の先生と「もっと、なんか、いい手はないかねぇ」と話す放課後の日々でした。

 そんなときに、ネットであれこれ検索し、
「ん?なんか、これは子どもたちに効果的なのではないか?」と思ったのがブレインジム。
そして、その講師として全国をまわっていらしゃった灰谷さんに辿り着きました。

 その後、灰谷さんの開催していたブレインジム講座やそれに関連する他の講座にも参加しました。

 そして、学校でうろうろ、ぐにゃぐにゃ、なかなか勉強をはじめることができない子どもに、
そのとき学んだことやそれらを応用したりしながら、子どもと身体を動かすと、その後、集中して学習ができる。

 形の上では、授業に参加しているけれど、心、ここにあらずの子と身体を動かすと、
表面上ではなく、学習に参加できる。

 気持ちが不安定で、落ち込んでいた子と身体を少し動かしてみると、ちょっとだけ、気持ちが上を向く。

 灰谷さんに教えていただいたことは、
教員経験しかなく、言葉を尽くすことしか手法を持たなかった私にとって、今までと全く違う視点でした。

 ほんとうに、すごい人だなぁ、と尊敬もし、
発達障害について本でしか学ぶことをして来なかったので、
色々な角度から学ぶってことは大切だな、ということも教えてもらうことでした。

 だから、発達支援コーチについても今までの学んだことがより、シンプルになり、
学ぶたびに、新しい視点が加わり、深化していき、
自分の新たな視点を加えていける素晴らしいものだと感じ受講を重ねていました。

 そうするうちに、『人間脳を育てる』として、これまでの灰谷さんの取組みが書籍になりました。

 人間脳を育てる

 ああ、これで、たくさんの子どもたちが、できないことをただただ責められたり、
根性論的な、ルーティンワーク的なことで克服させられることが減るかなぁ、と、
本が出たことを心から嬉しく思いました。

 その約半年後、私にとっては違和感だらけのぐだぐだ講座を見ることになったわけで、
その違和感について、私は、自分なりに言葉にし、ブログにしたためました。

 私としては、そのブログは灰谷さんの目にも触れる覚悟でしたし、
私の見た講座の解釈の誤りがあれば、何らかの反論なり、何なりがあるだろう、と思って書いたものでしたが、
まったく、反論はありませんでした。

 その二ヶ月後、直接お会いする機会もありましたが、
まったく、このことに触れられることはなく、黙殺されていました。

 そうか、我が意図のわからぬ下々のものたちは、好きにするがよい、ということなのね。
私は、灰谷さんの沈黙をそう解釈し、そう解釈したものの、なんだか、納得できず、
ことあるごとに、あの無反応は何なのだろう、と考えてきました。

 それが、今日、浅見さんとのFBでのやり取りで、私が蒸し返した灰谷さん問題に、

 「答えない」のがコミュニケーションよ。言葉以前の。


 との返しをいただいて、目からうろこ!

 そうか、答えないのが答え!
相手は言葉以前で足踏み状態なの!?
とはたと膝をうち、私の中でつまっていたものがポトンと落ちていきました。

 じゃあ、黙殺も仕方ないよねぇ。
言葉を自在に操るための身体や心を獲得してこその黙殺だから、黙殺以前の問題かな。

 灰谷さんには、本当に子どもたちをラクにする方法を教えていただきました。
その方法は、もちろん、私自身にも有効で、遅々としてではありますが、私も発達していると思います。
教えていただいたことは、私なりに枝葉がついて、広がって、他にも養分をいただいて、今も育っていっています。
本当にありがとうございました。

 さて、私のこの件についての言語以後の作業は終了。
ああ、スッキリした!

 


 
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自分の力に気がつく教室。

2017-01-28 22:30:51 | annonへの道のり
 知り合いの方が庭で採れたばかりのサワーポメロをくださいました。
渋みがなく、はずれのないサワーポメロ。
20年以上前に、初めて食べたときの剥きやすさ、おいしさは忘れられません。

 そして、サワーポメロを見ると種子島で暮らした家を思い出します。
たわわに稔るサワーポメロ、夏みかん、はっさく。
何も手入れもしないのに、住んでいる間、毎年毎年、食べきれないほどの実が稔り、
もったいないので、電動式の柑橘類用の絞り機を買い、
毎年、今頃の時期から絞りたての柑橘系のジュースを飲んでいました。

 贅沢な日々だったなぁ〜と、懐かしく思い出します。

 子どもさんと勉強をしながら、
子どもの持つ考える力を引き出すには、どうしたら良いか、ということを
色々なことをしながら考えます。

 子どもの中には、考えることを途中で放棄したり、
自分が考えなくても「わからない!」と言い続ければ、
効率よく答えやヒントを得られることを体験として知っている子もいます。

 また、自力で考えることは難しい子として、
自分では考えなくても良いような課題ばかりを繰り返し、
それが、それこそが学習だと思っている子もいると思います。

 子どもと一緒に学習をする側も、
子どもにどんな目的をもって、どんな力をつけていくかが曖昧なままに、
その場、その場の場当たり的な自習プリントのような課題を学習としている場合もあります。

 私は教室に来る子どもたちに、
自分の持っている情報から何かを推測する力をつける、
自分の体験したこと、経験が、自分が何かを考えるヒントになる、かも、しれない情報になること、
そんな知識や力を自分が持っていることに、気がついて欲しいと思っています。

 私の教室で学ぶことが、自分の力を試して自信をつける時間になるように。
そして、違うところでも自分の力を発揮できるように、なるといいですね。

 引き出しの整理整頓、増量に、私も努めよう!

 

 
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annonの学習について。

2016-10-12 20:24:49 | annonへの道のり
 土曜日に陰陽の料理教室に行って、
重ね煮の汁もののおいしさにはまり、毎日重ね煮の汁ものを作っています。

 何がおいしいかって、ごぼうです。
アク抜きしないのだけど、ちょっとした手間でごぼうがおいしいことおいしいこと。

 なんでも、ちょっとしたコツ習うと良いですねぇ。

 時々、annonの学習の教室について、お問い合せをいただくので、
涼しくなって、秋を感じる今日は徒然なるままに書き連ねておきます。


 annonでする学習は、
フォイヤーシュタインのIEという教材と安曇野プランという算数が柱になっています。

 イメージしやすくするために、ざっくりとわかりやすく説明すると、
IEは、幼児教育の知育教材に近いもので、点つなぎや空間の把握やお話作りなど、
様々な教材があります。

 一般の知育教材と異なるところは、教材をすること、進めていくことが目的ではなく、
教材という素材を通して、子どもの中に考えるためのよりどころになる種や
実際に考えて、思考するための言語力を鍛えるところではないかと思います。

 でも、お子さんによっては、言語化する以前の部分の経験が必要なこともあります。
そんな場合は、一見、無関係そうですが、色々な道具を使って遊びます。
同じ道具を使っても、お子さんの興味関心や得意分野が違うので、
全く違う遊びになるのが、見ていておもしろいなぁ、と毎回思います。

 自分で楽しんで遊び、遊ぶうちに工夫していくことが、
ものごとに興味をもったり、深くやってみようという気持ちにつながっていくと考えています。
遊ぶこともannonでは、学習への大切な入り口と考えていますので、
「遊んでるだけ!」と思われず、お子さんがどんなことを言うか、どう発展させていくか、
見ていただけると嬉しいな、と思います。

 もうひとつの柱、安曇野プランの算数は、
水道式の算数を基盤に、具体物を使って「数の概念」からじっくりと取組む算数です。

 安曇野プランの算数は、算数が苦手だな、というレベルのお子さんから、
数に関する学習を全く受け付けない、算数への学習障害や知的障害のあるお子さんにも、
数の仕組みを具体物を通して、体験することができる算数です。
数の前に佇むどころか、去ってしまって見向きもしないお子さんにも、
ぜひ、体験していただきたい楽しい算数です。

 これらを学習の柱として、annonnを開いています。
annnonで伸ばしたいのは、学校のペーパーテストではありません。
漢字やノートとりが上手になることでもありません。

 学ぶことは楽しいな、と思う知的な好奇心を養うこと。
自分でやってみたいな、こうしたらどうかな、という力を育むこと。
もっとやってみたいな、自分でかんがえてみるよ、という力を育てること。

 そんな力をつけていくことで、学校での学習とお子さんの学習したいという気持ちの
橋渡しができれば、と思っています。

 発達検査の結果から何をどう伸ばしたら良いか、お子さんのできないことが気になる方、
その他、お気軽にお声かけくださいませ。

 小中学校の支援員、高等学校での教員経験もありますので、
現実的なアドバイスも少しはできるかと思います。

 でも、わからないこともたくさんありますので、(そっちが多いです
その場合はいっしょに考えましょう。

 体験してみたいなどのご要望は、お気軽にどうぞ。

 
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正しいけどね。

2014-12-22 22:04:42 | annonへの道のり
 今日は冬至ですね。
南瓜を甘く煮て、食べました。ゆず湯もはいります。
クリスマスやバレンタインデーよりも、
日本のこういうちょこまかした行事を楽しく思えるお年頃です。

 本屋さんで、どこかの子どもさんがお母さんに、
「お母さん、レット、イット、ゴーが載ってるよ!」と
喜々とした顔で駆けよっていました。
まだ、幼稚園生かな、というくらいの女の子でした。

 お母さんは、
「楽譜読めるのぉ?読めればね!」と強い調子で言い放ち、
子どもを置いて、別のコーナーに行ってしまわれました。

 残された女の子は、
「えーっと、ミでしょう~」と楽譜に釘付けで音符を読んでいるようでしたが、
お母さんはもう、だいぶ遠くに行っています。

 やはり、本屋さんで、
「この本、図書室にあったけど、○○ちゃんは持ってるんだよ、いいなぁ。」
と女の子。

 「この前の、もう読んだの!?読むのね?」
と詰問し、去って行くお母さん。

 嘆息する女の子。

 どちらのお母さんも、おそらく、日常の我が子の状態がわかっているから、
適切に対処されているのだと思います。

 正しいことをされているのに、
私には、なんだか、お母さんの正しい意見に賛成だなぁ、小さい人たち!
という気持ちになれませんんでした。

 大人が言い離して、去る感じが買ってあげないにしても、
子どもの気持ちのやり場がない、
ちょっと、ざらっとした感じで嫌だったのだと思います。

 正しいけど、ねぇ。
そんな気持ちを抱いた出来事でした。

 
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勉強好き。(そして、業務連絡)

2014-12-03 15:28:35 | annonへの道のり
 冷たい冬らしい一日です。
でも、息は白くない。
寒さは、まだまだこれからですね。

 去年、一年間は小学校で支援員として仕事をしていました。
これまで、高校生→中学生と年齢の高い子どもたちとは接していましたが、
初の年齢一桁キッズ!

 小学生は、小さいのに元気で、まぁ、よく動くこと動くこと!
特に一年生は、予想もしないことするので、油断できません。
口喧嘩して、負けそうになってぽかーんと相手をぶん殴っていたり、
楽しくて、走りすぎて気がつけば机に頭ぶつけて流血していたり。
こんなに予想もできない生き物たちが、中学生になり、高校生になり、
落ち着いたり、諦め顔をしたりしているのですから、
保護者の方や幼稚園、保育園、小学校の先生方には頭が下がる思いです。

 小学校に行って思ったのは、勉強がわからないなぁ~と思っても、
みんな勉強わかりたい!と思っていること。

 算数が、国語が、苦手だなぁ~と思っていても、
できたい、発表したい!とキラキラしていること。

 こういう気持ちを持っている子どもたちの何を、どこで、どうむしり取って、
「勉強してもなにになるの~?」と言う子どもたちにしてしまっているのでしょうか。

 今、仕事をしているところでは、
定年前の年齢の方もいますが、そんな年になっても、
「勉強できなかったからさぁ~。九九が苦手で、算数がねぇ~。」という話をしたりします。
新人にわかりやすく仕事を教えてくださって、仕事の段取りも良く、
仕事の失敗もフォローしてくださって、きめ細やかな目配りもあるすばらしい先輩方です。

 「お勉強」ということの根深さを感じずにはいられません。

 私は勉強はできる方ではなかったのですが、勉強が大好きな子どもでした。
算数ができなくて、ぽかんと頭をはたかれることもあったにも関わらずです。
このことは、親や出会った先生方に感謝、感謝です。

 私も、「勉強って楽しいな、やりたいな」と思う気持ちを摘み取らない、
私が出会った人たちのようになりたいものです。

 最後に、お問い合せをいただいた鹿屋にお住まいのK様。
メールのお返事を書いたのですが、戻ってきます。
docomoのメールの設定の関係でしょうか?設定を見直してみてくださいませ~。

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