高校の教員から離れてほかの仕事も経験し、次に学校で仕事をするようになったのは、
「特別教育教育支援員」としてでした。この制度が始まった年、2007年のことです。
高校でひらがなにもつまずく子どもがいる、中学校でなんとかできれば!との思いがありました。
実際に支援員として中学校で仕事をすると、中学校の先生方の忙しいこと!
けして、できない子を放っている訳ではなく、残って勉強させて、それでも手が回らない。
そんな中、私もいろいろな子どもたちと関わるようになりました。
宿題の問題が解けず、宿題の提出ができない子。
「わかりませんでした」が言えずに、積もり積もって数週間分が溜まっていたり。
「わからないところをとばして出してもいいんだよ。」と言っても
「考えたらわかると思います。」と数週間出さず、結局、怒られています。
また、テストの訂正が提出できない子。
先生方が「テストの間違いは、問題文も書いて、プリントの通りに書いて出すのよ!」といえば、
手書きのコピー機並みに完璧に写し、それに時間がかかりすぎて期限までに出せずに怒られています。
また、訂正すべきがわからず、すべて書いていたり…。
さらに、びっくりするぐらいの殴り書きで書いて、「できた!」と自信満々に出して怒られる子がいたり。
個性的な子どもたち、理由を聞くと、本人なりの理由がありました。悪気など、まったくありません。
だけど、どうして、そういう理由になるのかな?と思うこともしばしば。視点が私とはだいぶ違います。
何か理由があるはずだ!
そうして、ネットで調べたり、本を読んだりして、色々なことに辿り着いていくことになったのでした。
「特別教育教育支援員」としてでした。この制度が始まった年、2007年のことです。
高校でひらがなにもつまずく子どもがいる、中学校でなんとかできれば!との思いがありました。
実際に支援員として中学校で仕事をすると、中学校の先生方の忙しいこと!
けして、できない子を放っている訳ではなく、残って勉強させて、それでも手が回らない。
そんな中、私もいろいろな子どもたちと関わるようになりました。
宿題の問題が解けず、宿題の提出ができない子。
「わかりませんでした」が言えずに、積もり積もって数週間分が溜まっていたり。
「わからないところをとばして出してもいいんだよ。」と言っても
「考えたらわかると思います。」と数週間出さず、結局、怒られています。
また、テストの訂正が提出できない子。
先生方が「テストの間違いは、問題文も書いて、プリントの通りに書いて出すのよ!」といえば、
手書きのコピー機並みに完璧に写し、それに時間がかかりすぎて期限までに出せずに怒られています。
また、訂正すべきがわからず、すべて書いていたり…。
さらに、びっくりするぐらいの殴り書きで書いて、「できた!」と自信満々に出して怒られる子がいたり。
個性的な子どもたち、理由を聞くと、本人なりの理由がありました。悪気など、まったくありません。
だけど、どうして、そういう理由になるのかな?と思うこともしばしば。視点が私とはだいぶ違います。
何か理由があるはずだ!
そうして、ネットで調べたり、本を読んだりして、色々なことに辿り着いていくことになったのでした。