日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

家電色々。

2020-06-29 17:38:00 | 日記
思えば、3年前、冷蔵庫が壊れたのも梅雨の時期でした。

今回は32年共に過ごしたオーブンレンジが、徐々に壊れて、いよいよ異音がするようになり、それでもここ数ヶ月は、夫の朝食置き場として役目を果たしてくれていました。

オーブンレンジの壊れ方は、本当に徐々にで、最初、オーブン機能がダメになり、次にレンジの終了の「チン」の音がしなくなり、更に3分温めたいのに1分ちょいで温めるのやめていたりと、家電が年老いていくようなそんな感じでした。

最後は、温めようとスイッチを押すと「ズガガガガガーーーーッ」とものすごい音がして、「あれっ?入れ方悪かった?」と再チャレンジするも同じで、使わなくなりました。

壊れてからは、ガスコンロの魚焼きのところを駆使していたのですが、あるとき、バリュミューダのオーブンレンジの広告がFBで流れてきて一目惚れ。


ギターの音で色々お知らせしてくれるなんて、忙しい家事の中でもちょっといいじゃーん、と一人盛り上がっていました。

でも、そんなおしゃれな家電は、この田舎の電器屋さんにはなかろうと忘れていました。

そんなとき、携帯の充電コードを猫がかじり、充電できなくなったので買いに行く道すがら、夫が「レンジ買わなくていいの?」というので「バリュミューダのが欲しいけど、取り寄せとかでないと買えない思うんだよねぇ。」と話していました。

電器屋さんについて、充電コードを見ていると
「あったよ」
「何が?」
「レンジ」
「ふーん」
「バリュミューダの」
「ええええええっー!」

と、充電コード選びもそこそこに、レンジコーナーへ。一応、他のものも見ましたが、これまでも「焼く」こと「温める」ことメインで使ってたので、蒸気で云々、ローカロリーで揚げ物もできる云々、は多分、私は使いこなさない!と宣言してバリュミューダのオーブンレンジが我が家に来ました。




温めるときに回るお皿もなく、W数も選べて、30数年のオーブンレンジの進化に目を見張りました。

このことを職場の同僚に話すと「皿回るって…いつの時代!」と目が点になり、おい笑いされました…。

今回は、その他、我が家で愛用していた普通紙FAX兼印刷機兼電話も印刷ができず、FAX見れず、電話は時々途切れる、と問題ありだったので、同じく普通紙が使えるものに買い替え。

更に、首かけ扇風機なるグッズ購入!



今日から朝の積込で使い始めましたが、効果絶大!顔まわりが涼しいと、首から下の汗の量が減って快適でした。

そんなこんなで、家電投入の楽しい週末でした。




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児童精神科を受診しようか迷ったら読む本

2020-06-28 22:56:00 | 本の紹介
『君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜』を読み、読んでの気持ちを綴っている間に、とてもタイムリーな本がKindleで発売されました。




この本の著者のなおちゅん先生はブログもあります。


お人柄も垣間見える楽しいブログでありながら、幅広い知見を惜しげもなく紹介してくださるさっているので楽しみにしています。

私も後追いで、ブログで紹介された本を買って勉強したり、まだ読みきれず積んだままになったりしています(笑)本当にお世話になっています。

そんななおちゅん先生が書かれた、このご本です。

児童精神科に行く理由は、とてもシンプルだということがこの本を読めばわかります。

それは、「受診が子どものためになるか、どうか」の一択です。

児童精神科を訪ねようとするときに、訪ねるに至る理由も、考えられる限りあげてあります。

また、薬物療法についても書いてあります。

どれも、基準になるのは「それは、お子さんのためになるか、どうか」でなおちゅん先生は考えて発言されています。

大人の事情や都合もあることは承知しながらも、「お子さん本人を支える大人たちのコーディネーターになる」という覚悟で診察にあたってくださっています。

子どもに関わる精神科の先生が、こんな先生であったならお子さんはもちろん、親御さんも子どもを支えるのに心強いだろうなぁと思いました。

この本を読んで、児童精神科でできることはとてもシンプルなことがわかります。

児童精神科に過剰に期待するのも違うことがわかりますし、お医者さんに高圧的に何事かを断言されるのも違うことがわかります。

読んでおけば、お子さんのことでどこかに相談したくなったら、相談先の選択肢、どのようにかかれば良いか、やめ時って?と行く前に頭によぎる様々なことが整理できます。

そして、ある程度、行ったらどんなことがなされるか、心構えができて頭が真っ白!ということにはならずに済むと思います。

何より、「子ども第一主義」で診察してくださるなおちゅん先生のご本を読んでおけば、お子さんを連れて行った先の児童精神科の先生が凡医かそうじゃないか、瞬時にわかると思います。

たくさんの方々が医者にできることを知り、良い先生の見極めも身につくようにぜひぜひ読まれることをお勧めします!








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君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜⑤

2020-06-26 15:21:00 | はじめまして
続きです。


慈しみ、愛されて育った明生さん。本文を読む限り、賢く、少し引っ込み思案で、自分の世界を持っていたお子さんだったのだろうなぁ、と想像します。

それは、きっと特別ではない、どこかにもいたであろうお子さんの姿。

でも、弟さんよりも何倍も、なんとなく心を配らずにはいられない、賢さの中にも不安定さを卯月さんは読み取っていたのでしょう。

親というのは、そういう勘が働くのでしょう。だからこそ、より大事に大事に育んでいらっしゃったことでしょう。

それが養護教諭の一言から崩れていきます。

校医の診断、薬は必要不可欠なものだったでしょうか?

それらが役にたった形跡は見えません。

また、小川クリニックの先生や学校のカウンセラーと語り合うことは、必要不可欠なことだったでしょうか?

それも、役に立った形跡はありません。

でも、今でも発達障害のお子さんたちは、適切な支援を受けるべきだ、と言われて、「生涯に渡る支援を」と支援に携わる側の人たちが、声高に言うのは珍しいことではありません。

この本で書かれた、明生さん、卯月さんに関わった人たちは、「適切な支援」を行うことができなかった、特別な人たちでしょうか?

残念なことだけれど、たぶん、こういう風に学校がきっかけで支援と繋がる子どもたちが今もいて、良くもならず、現状維持にもならず、という子どもたちもたくさんいることでしょう。

「早期で分かっていれば」という意見もあるかもしれません。でも、今も早期に療育に繋がり、治ってないお子さんも多いし、まさかの「誤診では?」ということさえも起きています。

子どもと関わる大人が診断をゴールとすると、そこで流れが止まってしまいます。

特に医療や支援などの立場にあたる人が、診断名をその子の人生の伴奏者にしてしまうと、本人の苦しさはそのままにされ、親御さんには子どもの中で何が起きているか、世の中とのどの部分に、どんな風に齟齬が生じているか見えないまま、ただ、不安定で苦しそうな我が子になす術なく、寄り添うだけになってしまうかもしれません。

診断や薬の選択をゴールにせず、その子の身体の状態に目を凝らし、思考を想像して、生きていくためや人生が豊かになるための色々な方法や手段を一緒に考えたり、ときには提案して、先々には独り立ちして、必要なときに自分で助けを求められる、そんな風になるお手伝いをしていけたら良いのかなぁと思うのですが、どうなのでしょう。

私自身、そんな支援ができている訳ではありません。

関わっていた子が「私は、20歳までの美しい私を残したい」ということを頻繁に言っていました。

そうするための保存方法にどんなやり方があるかも詳しく調べていました。

そして、一風変わり者と認識されていたその子の言を聞いた担任の先生や学年の先生は「また、馬鹿なことを言っている」と面白おかしく吹聴したり、頭ごなしに叱ったりしていました。

その度に、その子は悲しそうな表情やびくついて肩を丸めていました。

あるとき、私にもそのことを言うので、「どうしてそうしたいの?」と聞くと「シワやシミがあると嫌だからです」と言います。そんな理由なのか?と内心驚きましたが、「でも、それを実行するには、あなたは死ななくてはならないよね?そうすると、お母さんお父さんは悲しむし、かわいがってくれているおじいさんおばあさんも、ショックだと思うよね。」というと、とても驚いた表情をしていました。

私の予想ですが、その子は「美しい自分を保存する」行為と「死」が結びついていなかったのでは、と思うし、自分が亡くなったあと残された家族が嘆き悲しむ、ということも想像していなかったのでしょう。

何かの診断があった子ではありませんが、短略的な思考と行為実行の裏に伴うことへの想像力が弱い子だという認識があったので、そういう話をしました。

その数年後、進学のため上京するというその子が会いに来てくれました。そのとき、その話を思い出して「方法を変えて、一番きれいだったときの銅像を建てることにします」と言っていたので、ああ、若くして亡くなることは回避されたかなぁ、と少しホッとしたのでした。

今だったら、頭で考えることだけで忙しいのだろうから、もう少し、体を意識できるようにしたのになぁ、と思います。

その子が話したのが、診断がゴールのお医者さんだったら、何か診断して終わりだったかもしれません。

診断では、役に立たなかっただろうなと思います。ラベリングするだけのお医者さんには、もう退場してもらいたいですね。

さて、卯月さんが描かれた息子の明生さんは、本を読み終えて、明生さんがもういらっしゃらないとわかっていながらも、今もこの世界で暮らしているのでは?と思わせるほど、活き活きしていました。

こんなにその体温、息遣いを感じられるほどにお子さんのことを書くことは、卯月さんにとって明生さんを感じる作業であると同時に、喪失感も増す、どんなに大変な作業だっただろうと思うと胸が苦しくなりました。

本にしてくださったことに、読ませていただけたことに心から感謝致します。

どうか卯月さん、ご家族もお元気でお過ごしください。

これからも、何度も読み直します。

本当にありがとうございました。

              おわり
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君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜④

2020-06-25 16:53:00 | 本の紹介
続きです。


卯月さんのお子さんが週一回話をしていた学校でのカウンセリング。

このカウンセリングは、養護教諭に勧められて、お子さんが親御さんにも「どうしようか?」と相談し、「好きにしたらいいよ」という流れで始まったものでした。

私はここに、卯月さんの推察の通り担任の先生から養護教諭に言ってもらったのでは、というルートと別に、カウンセリングに行く人がおらず、暇を持て余しているカウンセラーの「仕事してます」のアリバイ工作にお子さんが使われたのでは、ということも考えました。

そんなことを思ったのは、学校勤めをしていたときに「心の相談員」だ「スクールカウンセラー」だと派遣されて来ると、上から「相談する生徒、保護者でもいいので名前をあげてください」と言われることがあったからです。

例えば、ある心の相談員の方は、学校を定年退職されたかなりの年配の方で、月に1回だか2回だか来られていました。

来られると、職員室の席で読書。相談が来たら出動だったのでしょうか。

しかし、月に数度、職員室にこもっている年配の方に、どうして子どもたちが「話を聞いて!」と思うでしょうか。

子どもたちが相談がてら話に来たとき「今度、そのこと『心の相談』の先生に話してみたら?」と聞いても「誰、それ?」で終わりでしたが、当然でしょう。

その方は、いらっしゃっては読書し、席を温め、時間になると校長か教頭に挨拶をして帰られていました。

県から派遣されて来る「スクールカウンセラー」の場合は、ほとんど「ローラー作戦」的に生徒指導や保健室に行くことが多い子の名簿が作られ、親御さんに「カウンセリング受諾書」のようなもので許可を取り、ほぼ「動員」のようなヘンテコな感じでした。

それでも、良いカウンセラーの方で、親御さんや生徒が「また話したい」となることもありました。

ところが県の規定だったのか、一年ごとに変わるカウンセラーの方とまた一から話したり、相性が合わなかったりで、うまくいった!ということはあったのかどうか、私の記憶ではありません。

こんな制度、学校や市町村、県の「子どもの心に寄り添ってます」の既成事実作りの事業なのだろうな、と私は斜な見方をしていました。そして、卯月さんのお子さんの学校もやってます」的にカウンセラーを置いていたのかな、と思ったのです。

さて、もしも、そういうアリバイ作りきっかけで始まったカウンセリングだったとしたら、一度始めると、自ら「もうこの人とは話さなくてもいい」とは言い出さないお子さんは、カウンセラーにとっては「仕事してます」という存在意義を示せる、とてもありがたい存在だったのではないか思いました。(これは私の捻くれた見方かもしれません)

ところで、このカウンセラーの「私は彼と会うのをいつも楽しみにしていました。とてもステキな子なんです。内面が豊かで非常に頭がよく、繊細で傷つき易いんです。」という言に、心理系、精神科医などにいる「自閉っ子大好き」とただ萌えているだけの残念なカウンセラーだったのではないかと思いました。

そうでなければ、なぜもっと「大学に行ったら大変かも」という思いをもっと親御さんに伝えなかったのでしょう。

週一でカウンセリングをしながら、何一つ親御さんに報告なしで、卒業のとき卯月さんが会いに行って初めて印象を語るカウンセラー。

仮にお子さんにとって、週一のほっとする居場所だったとしても、カウンセラーはその話の中から、彼の危うさをキャッチして、親御さんに繋ぎ、対処する方策を考えるのが仕事だったのではないか、と仕事放棄のカウンセラーに呆れてしまいました。

更に、病院で治療をしていると勘違いをして、余計な口出しをしなかった、というくだりは、嘘かどうかはわかりませんが、たぶん、よくあることなのではないかと思いました。

それは、大学病院などに行っているお子さんが、別にカウンセリングも受けている場合などに出くわした、私の経験からで、心理系のカウンセラーの方は、驚くほど「お医者さん」に気を遣われるのだなぁという印象があるからです。

例えば、私は自分の教室に来たお子さんについては、自分が触れ合っての印象やできなくて困っていることをできるようになるための提案を親御さんにお伝えします。大学病院行って指導されてることや療育、カウンセラーの方がどう言われているかはわかりませんが、自分が見たことを元にお伝えしています。

それで、親御さんが大学病院の先生に薬のことや先々のことも相談したいけれど、と話されることがありました。

私よりも頻繁に会い、子どもの発達、発育などの専門で、そういうことを標榜して仕事をしているカウンセラーさんに意見聞かれたら?と言うと、「その先生は、そう言うことについてはお医者さんにかかっていることだから、とあまりお話されない」というようなことを言わたことがありました。

数ヶ月に一度医者より、ずっと身近に見ているだろうに、なんだろう、変なの、と思い、あくまで私が会った日からでの印象ですよ、と意見をお伝えしたことがありました。

そんなことから、病院、医者周辺の近接する仕事では、自分の専門に誇りを持たず、かと言って勉強もせずヒエラルキーに勝手に平伏すような、卑屈な専門家も数多いるのだろうなぁと思うのです。

そして、運悪く、卯月さんのお子さんが関わったカウンセラーは、己も発達障害系だと自負し、アスペルガーの活動に力を入れる、やはり自分を癒すことが精一杯の人だったのだと思います。

その上、「私、全然悲しくないんですよ、彼は私の中に生きています」だの「彼は私と会えて良かったと思いますよ」だの言う、人でなしでした。

自分ではない人の気持ちを完璧に、間違いなく理解することはできないでしょう。

でも、お子さんを亡くした親御さんに、しかも、その子が死なない道を選ぶ手伝いができたかもしれない、そんな分岐点で道案内ができたであろう人の口から出た言葉とは、とても思えませんでした。

こうやって、学校編の先生や凡医や凡カウンセラーについて感想を書きながら、思ったのは、結局、そういう仕事をしている人たちにとって、関わるお子さんはそれぞれの日常で邂逅する登場人物の一人でしかなかったのかもしれないということです。

それは、私にしろ、誰だって自分の人生を進み、そこで出会う人の人生までも背負っていくことはできません。

だけど、少なくとも、人と出会い、関わりが多くなったり、深くなれば、どうにかならないか、何か自分で役に立てることはないかと、思うものではないでしょうか。

卯月さんが出会った人たちが、もっと人としての温度を持ち、自分の仕事を通して誰かの人生の役に立つことに誇りを持ち、せめて、学校にいる間だけでも子どもたちに赤心を持って関わる人たちだったら良かったのに、と思わずにはいられませんでした。



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君はずっと一緒だった〜自閉症だった息子〜③

2020-06-24 17:24:00 | 本の紹介
続きです。



私が学校で仕事をしていた頃、知る限りは、「心療内科」や「発達外来」、カウンセラーの所に行っている子どもたちはいました。

病院のみならず、その土地で有名な霊媒師的な方のもとを訪ねる人たちもいました。

本と異なるのは、教師や養護教諭が受診を勧めるよりも「どこか知りませんか?」と親御さんに聞かれて、他校からも情報を聞き、複数箇所の心療内科や発達外来のある所をネットでプリントアウトして、資料として提供する形だったように記憶しています。

今、私が学校で仕事をしていたら、神田橋先生を書籍と共にお勧めに入れてもらったと思います。


卯月さんは、お子さんが中学校時代に養護教諭からの突然の電話で、ほぼ強制的に精神科の病院に行くように勧められます。

そして、親御さんの話を聞く間もなく、「今はいい薬もありますから」「探せないようでしたら校医の先生がいる大学病院に」「とりあえず行って、後から病院を変わる人もいる」と読む限り矢継ぎ早に病院に行くよう促されます。

お子さんも親御さんの普段が精神的にジェットコースターのような安定しない感じであれば、もしかしたら、心の安定を図るための病院のいくつかをピックアップしているかもしれません。

卯月さんのお家は、そういうことと無縁に暮してきた方々で、行きつけの精神科も行きたい精神科の病院もありませんでした。

それは、たぶん、ほとんどのお家がそうだと思います。

それでも、忙しい中、愛しい我が子のためにパソコンで検索し、児童精神科にヒットします。

しかし、予約待ちが三ヶ月で養護教諭を通し、校医の大学病院に行くことになり、最悪の医者と繋がってしまいます。

これも、特別なことではなく、焦る気持ちがあれば学校の校医は、取り得る選択肢です。

さて、最悪の医者の「明日から学校は休んでください」も本当に全国津々浦々にいる凡医、害医、毒医が、今日もどこかで発しているのでしょう。

私は、学校に勤めていたときに、これと似た言葉を親御さんからお聞きしたことがありました。

そこ子は、入学式以来、学校に中々来ることができない子でした。でも、色々な先生が関わりながら、1時間を2時間に、午前中だけ、午後だけと少しずつ学校に足が向くようになっていました。

それでも、行くとストレスにもなり、体調を崩したりしていました。それで、親御さんが発達外来のある病院を受診されたところ、「保育園、小学校とこの子はずっと疲れてきて、今、疲れ切ってるんです。学校なんかにやるのは親のエゴだ、虐待だ!」とお子さんの前で親御さんは罵倒され、そこから、プツリと学校に来なくなりました。

プリント類を持っていっても会えず、電話をしても声は聞けず、親御さんたちは働いていて、普段の様子もあまり聞けませんでした。

ただ、そのお子さんが尋常ではない、世の中の怖がり方をしたり、家族を大変な目に合わせたりすることがあったようでした。

そのままずるずる受験を迎える年まで行ってしまい、親御さんから「発達外来の先生に、こんな長く休んでるなんて異常だ。とっくにお子さんは学校に行けてたはずだ、と怒られたんです」と相談があったときには、目がテンになり、発達外来の医者の無責任さと無能さに「田舎医者はロクでもない」思っていました。

後に、花風社と出会い、こういうのが、発達系医者のスタンダードと知ることになるのですが、その時は、腹が立ち、その病院に行こうとする親御さんに出会うと、養護教諭や関わっていた先生方と「あそこはやめたほうがいい、あそこに行くくらいなら家で寝てたほうが来週につながる」とネガティブキャンペーンをしていました。

本に出てくる精神科医者も「ちがーう!」と感情的に言って親御さんの言葉を遮ったり、「私もアスペルガーなんです」と宣言したり、心に落ち着きがありません。

こういう人たちは、自分を治せもせず、自分と似た症状の人と会って己の精神の安定をはかり、癒すために精神科医になったのだろうな、迷惑だし有害な人たちだなと思うことでした。

そして、学校内で生徒に問題があったときに、学校が不利な立場にならないように、「生徒の精神面にも配慮できます」というアリバイ作りにそんな人を校医として置いている学校のセンスに読みながら、うんざりしました。

卯月さんは、その後、家の近くのクリニックに病院を変えますが、またしても凡医に巡り合います。

「アスペルガーなんていいじゃない。私の周辺では人気があるのよ」という患者をゲームのレアなカードか何かくらいにしか思っていな凡医です。

2006年の私が支援員として学校で仕事を始めた頃、学校に「特別支援教育支援員」が配置された頃、年に何度も地域や県内の発達センターや大学の発達障害について知識のある先生からの研修がありました。

そのときに、「アスペルガー」や「自閉症」と共に「アインシュタイン」や「エジソン」「トムクルーズ」や映画レインマンの紹介がありました。

私はそのとき、アスペルガーにも自閉症にも詳しくありませんでした。だから船漕ぐ人も多い中、真面目にメモを取りながら、聞いていました。

でも、日々関わっていた、「訂正をきちんとする」の「きちんと」の本人レベルが高すぎていつまで経っても提出できず困っている子やクラスでのグループ作りに戸惑い、運動が苦手なのに学年でも最上級レベルの運動レベルのグループに飛び込み、練習でうつむいている子にどうしたらいいかのヒントは研修では何一つ得られないことを研修に出るたびに学ぶことになりました。

きっと、卯月さんが出会った、凡医たちと似たり寄ったりのレベルの人たちが、私のように初めて特別支援教育に出会う人に、
先駆者気取りで内容のないことを教えていたんだなぁと今は思います。

そうやって、本に出てくる「小川クリニック」の先生同様、症状の羅列が自閉症を理解したことだと思っているような人が、自閉症や発達障害の理解のために今でも研修だ、講座だとやっている現状。卯月さんの凡医の毒牙にかかりお子さんを亡くされた無念さが浮かばれないと胸が苦しくなりました。

「薬だけ出してくれて、話は3分も聞かれない」「もう少し様子を見ましょうって言われて、一年半経つ」「嫌なら病院変えられたら?と言われた」そんな話を私の周りでも聞くことがあります。

どうしてこうも、威圧的高圧的に相手を萎縮させるだけの医者や無策で先の見通しもない医者ばかり卯月さんは出会ってしまっていますが、これは不運というより、仕方がないことかもしれません。

自分で違和感を持つのだったら、自分の感覚を信じて病院を変える、それが先々自分を守ることにもなる。でも、それをするには自分の人生には自分で責任持つ、ダメならまた動く体でいることが大事かも、そんなことを思うことでした。



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