アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ダッシュ!C62~塩谷への道

2021-02-23 17:00:00 | 鉄道写真(SL)

日本最大の蒸気機関車C62。思えば夢のような8年間だった・・・

国鉄が民営化されてからの最大にして最高の被写体だったように思う。高崎に籍を置く同じハドソン機のC6120だが、やはり印象は似て非なるもの。カマ自体の大きさはともかく走行する道がまるで違うのだ。日本の素晴らしい原風景は、そこを走る蒸機を何倍にも魅力的にする。このことが初めてシロクニを見た時証明されたと思った。

1988年から「SLニセコ」号として函館本線山線に復活。アントンKは初年度はどういう訳か、行けず仕舞いで、翌年の89年6月、初めて倶知安峠を往くC623を見てから、いきなり取りつかれてしまったのだ。毎年運転日が減少する中、各シーズン日程や資金のやり繰りに追われたことが懐かしい。当時の気持ちは、無理してでも行くべき!これが本音だったのだ。

アントンKなりに、本気で撮影に明け暮れた数年間だったが、今こうして見返すとやはり写真のセンスがまだまだ未熟で歯痒い思いが募ってしまう。いまの機材で、本の25年前まで還りたくなってしまうのだ。

掲載写真は、初回にあまりにも衝撃を受け、急遽翌月にも渡道してしまった時のコマから1枚出しておく。長い坂道を連続Sカーブで上っていくC62 3ニセコ。黒い巨体が現れてから、一気に迫り通過していくまでの間、五感が痺れ、その音と圧倒的な迫力に夢中で立ち向かったのだ。

1989-07-31   9163ㇾ  C62 3         JR北海道/函館本線:塩谷-小樽


デゴイチの雄叫びを聞け!~D51 498

2021-01-25 19:00:00 | 鉄道写真(SL)

国鉄がJRへと移行されると、磐越西線への訪問はご無沙汰になると思いきや、逆に増えていった。あまり意識もないのだが、撮影データを見返して件数を数えてみると国鉄時代よりも訪問回数だけは多くなっていた。理由は簡単であり、その一つが復活蒸機の運転、そしてJR化後各地に誕生したジョイフル客車の入線が頻繁にあったことに他ならない。

東北地方でも有数の観光地が点在する磐越西線沿線へは、昔から団体列車の運転も多く、ジョイフルトレインのカラフルな客車列車の入線も多かったのだ。すでに晩年を迎えていたED77との組み合わせに東奔西走し、最高のロケーションのもと撮影を楽しんだことが昨日のようだ。ここでは、1990年から開始された蒸機列車の運転の写真を掲載しておく。冬場の蒸機運転は、当時は珍しく多くのSLファンで沿線はあふれ返っていた記憶がある。現在のような「ばんえつ物語号」のような定着した列車にはならなかったが、数年に渡り運転があったのだ。東長原を出発し、一気に25‰の連続勾配を駆け上がるD51498。アントンKも何年間かこの蒸機列車を狙いはしたが、天候に大きく左右され、時には地吹雪で撮影など出来ないこともあったと思い出している。この時も強風の中、デゴイチの煙が竜の舞のごとく、大きく目の前に広がり撮影も思うようにいかなかった。

1991-02-04   9224ㇾ D51498 磐梯会津路号 JR東日本/磐越西線:東長原付近


雪原の中で後光が射した時~D51

2021-01-06 20:00:00 | 鉄道写真(SL)

磐越西線での蒸機列車運転。現在運転されているC57180による「ばんえつ物語号」が走る前には、郡山を起点に電化区間を蒸機が走ることがあった。特に90年代は、冬場に毎年のように運転があり、雪中での蒸機を体験できるということでよく出向いてたものだった。

今回は懐かしく当時の画像から1枚掲載しておく。この時は、吹雪いていわゆるホワイトアウト状態、何も見えなくなったと思えば、雲の切れ間から光の矢が差し込むような、不安定な荒れ狂った空模様。風は強いは、露出は無いは、いつ列車が来るのか判らないはで、身も心も限界が近い時、蒸機の接近とともに、ほんの一瞬風が止み、日が射し辺りが明るくなった。カメラを持つ手も、寒さで痛かったが、汽笛とともに緊張感が高まり、バケペンのシャッターを下ろした。そんな微かな記憶がこの画像から蘇ってくる。ブルーの12系客車も、何だか懐かしく思うのはどうしたことだろう。

1996-02-03  9229ㇾ  D51 498     JR東日本/磐越西線:猪苗代付近


今年の締めくくりに蒸機を・・D51

2020-11-28 08:00:00 | 鉄道写真(SL)

師走が目の前のこの時期、ここへきて感染者数が増え続けており、どこか落ち着かず悶々とした日々を送っている。年寄りと同居している以上、最低限考えられることはこれからもしていかなければならない。数字ばかりに目が行きがちだが、再び春先のような状況にでもなったら、生活そのものが厳しくなるだろう。今は沈静化を祈るばかりなのだ。

残り数週間になってしまった今年2020年。アントンKにとっては厳しい我慢の年になった。よくぞここまで過ごせてこれたというのが感想でもあるが、多くの人たちに励まされ助けられて今日を迎えられたと思っている。誠に有難く生涯忘れることはないだろう。もちろん趣味で知り合った方々との日常の有難さを感謝し、また演奏会で本気の音楽に触れ、明日への力を享受できたことの大きさは果てしないのである。

残された数週間、2020年という年のうちに蒸機が見たい。あの五感がしびれて背筋がゾクゾクしる感覚に陥りたい。長く続く上り坂だが、ゆっくりだが必ず上り切る。そう空高く立ち上がる爆煙を見て決意したいのだ。

1998-12-29 試9244ㇾ D51 498       JR東日本/磐越西線:更科信号所付近


慶徳峠への序奏~C57門デフ

2020-11-15 08:00:00 | 鉄道写真(SL)

感染症に振り回された今年2020年も、いつの間にか残り少なくなって、気持ちの上ではもう、来年はどんなことが待ち受けているのか、もっと良い年にしよう、しなくては・・・、と気ばかり早ってしまう。考えれば不安な要素はまだまだ多いが、趣味活動との切り替えスイッチを意識して、心身ともに健全第一で生きていきたい。

学生時代の友人たちと福島を駆け足で回ってきた。現役中も、そして卒業後も幾度も訪れた磐越西線。何年か振りにこの地に入ると、自然と昔話に花が咲く。今のようなラーメンブーム以前の喜多方の街を撮影後訪れ、ラーメン屋を3件続けてハシゴした思い出や、吹雪の中いつ来るか知れない蒸機を待ち死ぬ思いをした苦い経験も、今や水色の思い出に代わっている。こうして同じ顔ぶれでこの地へ来れることが、どんなに奇跡的なことか、今年は特に解るような気がする。昔と違った生活がそれぞれにあり、「鉄」ばかりにかまけていられないはずなのに、こうして同行できる幸せは、何物にも代えがたいものだと思い直しているところだ。

紅葉ピークの磐越西線。狙い通りこの地の美しい風景の中、蒸機を撮影できて満足できたが、帰路については、今の期間特別にC57のデフが門デフへと変えられているので、機関車主体に狙ってみた。区間随一の峠道、慶徳への助走区間、舞台田の築堤をいく門デフ装備のC57180。オレンジ色の夕日が優しく車体を輝かせて、ファインダーの中の情景が目に染みる。この輝きは、アントンKにとって、明日へと希望の光となった。

2020-11   8223ㇾ  SLばんえつ物語号  JR東日本/磐越西線:喜多方付近