時間に追われて日々過ごしている身で、我に帰る間もなかなかない昨今・・・
年齢を重ねるたびに時の流れの早さを痛感する。
趣味活動のなかでは、この春のダイヤ改正や、気に入った演奏家の実演に触れることで、その時の流れを普段は感じることが多ったが、ふと身近にもっと目をやると、自分の家族を見ればいつでも感じることができたことなのだ。そのことに気づかないで、ただただその日暮らしに徹していた自分自身がどこか情けなく思う。
こんなアントンKでも、娘たちが幼いころは、家族の時間を大切にして一緒によく遊んだもの。小さな手の感触や温もりは、いまだによく覚えていると言っていい。こういう写真やビデオでは伝わらないことが、将来の心の糧となっていくのだろうか。
成長につれて、自分の知らない娘へと変わってしまったことに、一抹の寂しさを覚えたのも随分昔のことになってしまった・・・
病院・・・
出来れば避けて通りたい場所。しかし今回は少し違っていた。
辛い想いが続いた場所のはずが、明るい光に満ちているように感じる。
こんなに「生」ということを改めて意識し考えたこともなかったのでは?
また「死」ということも同時に感じたことも書き記しておきたい。
娘が母になった日、アントンKは爺になった・・・
(2016-04-27 06:17 記)