天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

4/24 最上の機嫌

2019-04-28 14:33:06 | 信仰


31・4・24、
[眞(まこと)の信仰は、(眞まこと)の幸いは、最上の機嫌のところにあり]

信仰の目的を実現するためには、《自分自身を変える》ことにつきます。
なぜなら、運命開拓、意義のある人生、幸せへの道、健康への道のどれをとっても、『人がらの変化、向上』をぬきにしては、語れません。

『あさのことば』にあるように、『人生の目的、実現』には、『まことの信仰』を、といわれます。
すなわち、心と生活を、(あかるく、柔らかく、優しい、)修養に励み、『最上の機嫌の処』に常にいるように励むことが、まことの信仰です。つまりは、人と離れたところには神は存在しないし、信仰も名前だけのものです。

人間には、何を見ても、聞いても、不平不満が生まれ、ことばも態度も最悪となる悪癖があります。
この自分の、癖を変えるために、家族や、信友と手を携えて、いのりと学びの場にでたいものです。

御神尊様の慈悲に導かれ、きずきを重ね、人がらの向上をはかりましょう。
『最上の機嫌は、みずからの心で維持する』のです。

人生の、無限の喜びとなりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/14 一字一句

2019-04-28 14:20:25 | 運命の原理


31・4・14、
[一字を悟れば、百字この中より生まる、一行の悟りは、百行に通ず]

おはようございます😃
御神尊様の万巻のおしえのスゴさは、その言葉の文字が、的確に使われ、表現されていることです。
とくに、救いの経典《御聖経》は、20年にわたる、御研鑽の集大成です。

『その一字、一句』には、『深い悟りと、救いの御慈悲』が込められています。その『一字と祈りの中』で、真剣に向き合う時何かを感じ、何かを悟れば、それは、百字に繋がり、あなたを導くことになるといわれます。そしてさらに、一行に向き合う時、その瞬間の悟りは百行の悟りに劣らない、ともいわれます。

つまり、『一字、一読に誠をこめ』『一行に徹する』ことで、『朝のことば』は、『実践の原動力』となり、どんな障害も超えていく力となり、あなたのオーラがまわり人々を導くことになりましょう。より生まる、一行の悟りは、百行に通ず]

《一字、一読に誠をこめ、一行に徹する》
《朝のことばは、実践の原動力》

どんな障害も超えていく力となり、あなたのオーラがまわり人々を導くことになりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/13 子育ては、自分育て

2019-04-28 14:11:45 | 親業


31・4・13、親業と運命€
[妻が、(夫が)、夫が、(妻が)言うことをきかないから、子どもが、親のいうことを、きかなくなる]

親業が続きます。世の中には、様々な分野にわたって、偉大な業績を残した方々がいます。
表の面(社会的)を見れば、素晴らしい事を成し遂げたかたも、裏の面(家庭的)をみれば、研究活動に、全力を尽くした結果、後継者に恵まれないのが特徴的です。

宗教界では、独身を貫いて、道を開いた方々も多くいます。
つまり、家庭的な生活は、研究と両立しないと、考えての手段が、独身を貫いたのかもしれません。
御神尊様も、研究と修行に明け暮れる中で、独身で行こうとされた時期もあったようです。
しかし、世の中の苦悩者に接するにつれ、その苦しみの殆んどは、家庭から生まれてくることに、きずいて、結婚することになられました。幸い、百日千里の道すがら、しっかりと、池田家に見られていたようです。

というように、どんなに偉大な貢献もさることながら、一般家庭の我われは、何の為に仕事に打ち込むのか?それは、御神尊様のいわれるように、親業を貫き、子どもたちを育て、社会に益するためです。

子どもたちが、親のいうことに耳を貸さないのは、言うまでもなく、両親のふだんのあり方を、映し出しているのです。
『子育ては、自分育て』ともいえます。
まずはお互い様。
『はい!』と、大きな声で、返事のできる親になりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/12 親の愛

2019-04-28 14:02:55 | 信仰と生活


31・4・12、親業と運命€
[子どもは、親の鏡にして、子どもは、親の運命的流れに伴う]

いつの時代も、親の願いは、わが子が健康で幸せな一生を送ってくれることです。
そのために、親は懸命に働き、衣食住教育に力を注ぎます。

親の子どもに対する接し方は[子どもは親の鏡]です。
子どもの幸せを願うなら、何をさておいても、『親が幸せな親』になることです。
『親が、喜んで生きる幸せな姿』を『子どもという鏡』に映すのです。
『幸せな親と共に』あってこそ『子どもの運命』も開かれるのです。

ですから〈私はどうなってもいいから、あなただけは幸せになって欲しい〉では、決して子どもの運命はひらけません。
親であるあなたは、ご自分のご両親をどのように、心の鏡に映っているのかでしょうか、考えてみましょう。
あなたを育てる為に、苦労をいとわずに、寄り添ってきたご両親です。
『ありがとう』と改めて感謝の祈りを捧げることで、親とふたたび結び合うでしょう。
そして、その親の子であることの幸せが、あなたの子どもたちをも、包み込むでしょう。
それでこそ、あなたの親の苦労も報われます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/11 神の愛

2019-04-28 13:55:49 | 神と人


31・4・11
[10本の指を、愛するが如く、汝と人とを愛すべし]

『隣の人と愛ある生活』『生き甲斐ある人生』
いつも寄り添う夫や妻、家族から、海を挟んだ隣国まで、すべての人間を包み込む神の愛
御神尊様は、運命の道理として、救済の道を確立されています。

[汝ら常に我を愛するが如く、すべての人を愛せよ]とあります。
人は、自分のことになると、極端な可愛いがり方をします。そのように、我が身を愛さずには、おれない愛を、人様に注ぐのが本当の愛です。

それを御神尊様は、10本の指をいとおしむ姿で、教えられています。
あるのが当たり前、この指は必要、小指は役に立たないから、要らないなどと、考えたことはないでしょう。それを、[10本の指に対して、無差別平等の愛情を持つ]と言われています。
私たちは、自覚なしに、無差別の愛を体験しているのです。

[我が家族は、10本の指なり]と慈しみ、周りの人にも、10本の指の愛念を広げていきたいものです。
それも、今日より(こんにちより)という、強い意識をもつことです
私たちは、得てして、明日の約束はしても、実行を後回しにしがちです。これでは、幸運の扉は開けません。

10本の喩え(たとえ)は、親指、人差し指、中指、薬指、小指、が互いの個性を生かしあって、働いている姿です。1本でも傷つけば、残りの指が、不自由になります。傷が癒えれば、すべての指が、元気になり、存分に行動ができるようになります。

私たちも、それぞれの個性を認め合い、一人として欠けることのないよう慈しむのが、『愛の道』です。
どうぞ、縁ある方々と共に手を取り合い、人生の苦楽を歩もうでは、ありませんか!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする